草藪からニョロリとデッカイ蚯蚓が躍り出てくる。足がない手がない。目がない耳がない。ないように見える。ほんとうはある。あるはず。わたしに見えないだけで。土の上に転んで、クニョクニョする。じっと見ている。見ているしかない。
そして不遜になる。どんな暮らしがあるのだろうと思う。湿った草藪のその土の下の住まいがお粗末に見えてしまう。文化の度合いが低いように思ってしまう。そしてそう思って見下している己を恥じる。そうしか見えていない己の精神の貧しさが恥じられて来る。
そうではないのだ。地上に生きるすべての生き物は、どんな暮らしをしていようとも、崇高な使命を持つ生き物の暮らしをしているのだと、不遜な己の愚案を訂正する。土を耕しているといろんな虫たちが出て来る。小さな虫たちが出て来る。それをつまらなく醜く思ったりする。そしてそれを訂正する。
山川草木悉有仏性(さんせんそうもくしつうぶっしょう)。仏陀の教えである。不殺生の教えは、殺すなの教えだけではない。見下してはならないの教えでもある。正当に評価をして見るべきだの教えである。すべての生き物がそこで仏道の修行をしているのだから。軽んじてはならないのだ。軽んじているわたしの方が軽いのだ。