多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

他の子と比べるという事

2018-06-02 11:11:05 | 子どものあれこれ
「子どもを他の子と比べるのは良くない」とおっしゃる方に会った。


私は 比べること自体は 悪い事ではないと思っている。


ただ その子どもには どうしようもない事、


性別だとか、体格、容姿などを比較して、


誰かの基準で優劣をつけるのは 嫌だと思う。


私の子どもたちは、男の子で、発達凸凹で、兄弟であっても


全く個性が違っていた。どちらの子も個性的で 私には


どっちの子も「かわいい子」でしかなかった。


その子その子で いいものを持って生まれてきたのだから、


別に「誰かのコピー」になる事はないと思って育てた。


上の子にしかできない事、下の子にしかできない事、


そういう事も 有って当然だから、「弟ができるのに」


「お兄ちゃんができるのだから」と 互いの長所を


他の子を責める道具にはしなかった。


家の整理をしていて、子ども達が幼い時の写真が出てきた。


見ていると、その時々の その子が持っていた課題が


ちゃんとその姿に表れている。「ああ、この時期には目を使う遊びを


したなあ」「あ、この時には視線の問題をクリアして、しゃがんだり


かがんだりができるようになっていたなあ」と


懐かしく思い出した。兄ちゃんの幼い時の写真にも、


検診や医師の診察では見逃された「物をつかむ力の弱さ」が


はっきりと 写っていた。その後時間をかけて、生活の中で


物をつかむ事、手先を使う事を本人が意識しない形で


繰り返すうちに、その課題もクリアできた。


自閉っ子の学校での写真も、面白いものがたくさんあった。


逆さバイバイではないが、逆さピースサインの写真。


先生は自閉っ子がなぜそういう反応をするのか 不思議に思われたようだ。


なんとか 自閉っ子に 正しい手の使い方をさせようと、


年上の女の子を相手に、握手をさせようとした写真があった。


自閉っ子は、差し出された手を見て、自分も手を出そうとするが、


相手が 差し出した手を つかむには、自分がどちらの手を出すのがいいか、


感覚がつかめず、両方の手を出そうとしている。


向かい合った相手へ どちらの手をだせばいいか、これは


まだ 逆さピースサインの段階の自閉っ子には 難問だったろうな、と思う。



いろんな場面の写真を見ると、その時子ども達が 何を越えようとしていたか、


それをクリアして 次は何にチャレンジしていったかが わかり、


見ていて面白かった。


物をつかむことに苦心していた事が嘘のように、今は


会社で 様々な作業をこなし、後輩の指導もする兄ちゃん。


弱視で、自分の体の感覚があやふやだった自閉っ子も、


目も治り、体を動かすことが得意になり、会社で一般の人と


同じ仕事をこなすようになった。


スマホやタブレットで 好きなグループや歌手の動画を再生し、


歌詞や振付を 覚えて 気分よさそうに歌う姿は、


「こんにちは」が 言葉であり、あいさつであり、相手から


自分へ、自分から相手への コミュニケーションの手段だと


わかるまでに 数年を要した時期を思うと、別人のようである。


どちらの子も、自分の持って生まれた資質を 最大限に活かしていると


思うので、それぞれいい生き方をしていると思う。


人様から見たら「ただの親バカ」であるが、


私にとっては どちらの子も 私を越えて育ってくれた事に、


ただ感謝である。












自閉っ子の心身をラクにしよう!
クリエーター情報なし
花風社
コメント
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