自閉っ子というと 絵カードが おすすめ、という方が 多いように思う。
私も 一時 興味を持って 何枚か 作ろうとして カードを 買ったが
絵を描くことも 文字で あれこれ書くことも面倒だし、
何よりも カードという ペラペラで 散らかりやすく、しかも平面に置くと ぺったりくっついて
持ちにくいという事で すぐに挫折した。
私は 写真を撮るのも苦手だし、ラミネート加工の機械を買っても 使いこなせそうにない。
それで 絵カードではない物で 自閉っ子や 使いやすそうで 安くて
手に入りやすいもので 私にも扱えるものを 使った。
それは ペットボトルの蓋である。知り合いに声をかけたら たくさん集まったので、
色の種類に分けて 自閉っ子に 与えてみた。
ぺとボトルの蓋のいいところは 滑り止めが ついていて、握りやすく、
弱視の自閉っ子にも 「何か 触った!」と わかりやすい点である。
カードでは 多分見るだけで 一苦労だし、立体感もないから
意味が 分からないだろう。
蓋の 大きさは どのメーカーのも 同じだが、
触った感じや 色や マークなどの バリエーションが 豊富である。
それに 何しろ ただであるし 手間かけて作ったわけではないから 失くされようが
ぞんざいな扱いをされようが 気にならない。
これが 時間と手間をかけて 作ったものだったら 「この子には 合わないんだ」と
事実を 認めるより 「何とかして 使わせなければ」や「せっかく作ったのに」と
いう感情が湧いていたかもしれないと 思う。
蓋の入れ物は 100円均一の 浅い トレイで、蓋を並べたり しまっておくのにぴったりのが
あったので それを 使って 遊ばせていた。
丸い シールの 赤いのや 黄色のを 貼って、変化をつけたりもしたし、
遊びに 飽きて 卒業してからは
それに 太い文字を書いて 目の前に 持って行き
どの文字に 関心を示すのか、好きな文字は 何か、を 確かめたりしてみた。
一生文字の読み書きができない、と医師に宣告された自閉っ子であるが、
好きな 文字は数字だと2、アルファベットだと H,かなは やはり自分の名前のうちの ある一字であることが
この 遊びで わかった。
曲線で 作られた文字も、直線でできた文字も、2画の文字も 認識できていることが わかったので、
これらの 文字への こだわりを 生かしながら、他の遊びを通じて
線の つながり方の ポイントを教えていったら 読み書きは 可能だと その時
確信した。
そこで すぐには 読み書きの 練習には 入らずに、それまでも していた
遊びながら 体の訓練をする、ということを 続けた。
体の 不器用さがあり、その上 目で物をとらえる力が 弱いのに、
プリントや ドリルに 取り組んでも 効果は薄いように 思った。
こだわりも あったけれど、その様子を 観察して、
感触に こだわるのか、弱い視覚でも わかることで その物にこだわるのか、
自閉っ子なりの 世界観、というものに 時には同調し、
これは いくら好きでも あなたのものではない、ということは
しっかり 教えた。自分の好きにしていい場所と そうでない場所、
その区別を 言葉が通じない時から 教えていった。
教えられなくても わかるお子さんもいるが、自閉っ子には
この世界の情報を つかむために 重要な 「視力」にハンディがあり、
体も 麻痺があるわけではないのに 自由には動かせない。
体の動かし方、扱い方と、はっきりとは 見えなくても ここに 物があることを
自閉っ子が 興味を持つ方法で 教えていった。
その様子は「自閉っ子のための道徳入門」の3章と、「支援者なくとも 自閉っ子は育つ」に
まとめていただいた。
自閉だからこう、弱視だからこう、と決めつけることなく、
いろんな情報の中から ご自分にも お子さんにも 無理のない方法で、
修行を続けて 行って欲しいというのが 凸凹っ子たちの 子育てに
苦心し 悩んでいらっしゃる 方々に 願う事である。
私も 一時 興味を持って 何枚か 作ろうとして カードを 買ったが
絵を描くことも 文字で あれこれ書くことも面倒だし、
何よりも カードという ペラペラで 散らかりやすく、しかも平面に置くと ぺったりくっついて
持ちにくいという事で すぐに挫折した。
私は 写真を撮るのも苦手だし、ラミネート加工の機械を買っても 使いこなせそうにない。
それで 絵カードではない物で 自閉っ子や 使いやすそうで 安くて
手に入りやすいもので 私にも扱えるものを 使った。
それは ペットボトルの蓋である。知り合いに声をかけたら たくさん集まったので、
色の種類に分けて 自閉っ子に 与えてみた。
ぺとボトルの蓋のいいところは 滑り止めが ついていて、握りやすく、
弱視の自閉っ子にも 「何か 触った!」と わかりやすい点である。
カードでは 多分見るだけで 一苦労だし、立体感もないから
意味が 分からないだろう。
蓋の 大きさは どのメーカーのも 同じだが、
触った感じや 色や マークなどの バリエーションが 豊富である。
それに 何しろ ただであるし 手間かけて作ったわけではないから 失くされようが
ぞんざいな扱いをされようが 気にならない。
これが 時間と手間をかけて 作ったものだったら 「この子には 合わないんだ」と
事実を 認めるより 「何とかして 使わせなければ」や「せっかく作ったのに」と
いう感情が湧いていたかもしれないと 思う。
蓋の入れ物は 100円均一の 浅い トレイで、蓋を並べたり しまっておくのにぴったりのが
あったので それを 使って 遊ばせていた。
丸い シールの 赤いのや 黄色のを 貼って、変化をつけたりもしたし、
遊びに 飽きて 卒業してからは
それに 太い文字を書いて 目の前に 持って行き
どの文字に 関心を示すのか、好きな文字は 何か、を 確かめたりしてみた。
一生文字の読み書きができない、と医師に宣告された自閉っ子であるが、
好きな 文字は数字だと2、アルファベットだと H,かなは やはり自分の名前のうちの ある一字であることが
この 遊びで わかった。
曲線で 作られた文字も、直線でできた文字も、2画の文字も 認識できていることが わかったので、
これらの 文字への こだわりを 生かしながら、他の遊びを通じて
線の つながり方の ポイントを教えていったら 読み書きは 可能だと その時
確信した。
そこで すぐには 読み書きの 練習には 入らずに、それまでも していた
遊びながら 体の訓練をする、ということを 続けた。
体の 不器用さがあり、その上 目で物をとらえる力が 弱いのに、
プリントや ドリルに 取り組んでも 効果は薄いように 思った。
こだわりも あったけれど、その様子を 観察して、
感触に こだわるのか、弱い視覚でも わかることで その物にこだわるのか、
自閉っ子なりの 世界観、というものに 時には同調し、
これは いくら好きでも あなたのものではない、ということは
しっかり 教えた。自分の好きにしていい場所と そうでない場所、
その区別を 言葉が通じない時から 教えていった。
教えられなくても わかるお子さんもいるが、自閉っ子には
この世界の情報を つかむために 重要な 「視力」にハンディがあり、
体も 麻痺があるわけではないのに 自由には動かせない。
体の動かし方、扱い方と、はっきりとは 見えなくても ここに 物があることを
自閉っ子が 興味を持つ方法で 教えていった。
その様子は「自閉っ子のための道徳入門」の3章と、「支援者なくとも 自閉っ子は育つ」に
まとめていただいた。
自閉だからこう、弱視だからこう、と決めつけることなく、
いろんな情報の中から ご自分にも お子さんにも 無理のない方法で、
修行を続けて 行って欲しいというのが 凸凹っ子たちの 子育てに
苦心し 悩んでいらっしゃる 方々に 願う事である。
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