最近、楽屋で能楽師からもこのブログについて質問を受けたりしています(^^ゞ
ぬえ、あんまり詳しくないのでご質問はお手柔らかにお願いします~(^◇^;)
これによれば「山八分にあ」る「本堂」には「曲蛇の形」をした「七不思議の池」があり、さらに「二十町上」ったところに「奥の池」があるとされるわけですが、じつはこの山は身延山ではありませんで、そのお隣に位置する「七面山」のことを記したものです。ところが「本堂」に祀られているのは仏ではなく神様でして、しかもこの書でガイド役を務める老僧の言うには「池の太神なり」ということで、ご神体は山よりもその山頂に近くある<曲蛇の池>あるいは<奥の池>に鎮座すると考えられているようです。本堂そばの<曲蛇の池>から流れ落ちる水は「天竺の無熱池の水末なり」と老僧が説明しているのを見ても「水」が重要なキーワードで、能『現在七面』とも共通するところです。
法華宗の信者であるこの書の参詣人は当然ながら疑問を持ち、①「本地はいかなる仏菩薩」か、②「何時の頃よりか此の山に跡を垂れ、末法法華の守護神」となったのか、③「七面とはいかなるいわれ」なのかと、本地垂迹説に基づいて神の本地仏について尋ね、また「七面」の謂われを尋ねています。
老僧の答えにはこの神の本地仏は「弁財天」であり(①の答え)、山の八方に門がありながら「鬼門を閉じて」「七面を開き」、「七難を払い、七福を授け給う七不思議の神の住ませ給うゆえ」に七面山と言うのだ(③の答え)と説明されています。
後回しにされた②の説明ですが、これが最も興味深い点で、老僧は次のような不思議な物語を語ります。
此の神、身延山末法護法の神となり給う由来は、建治年中の頃なりとかや。大聖人御読経の庵室に二十ばかりの化高女の、柳色の衣に紅梅のはかまを着し、御前近く居渇仰の体を、大且那波木井実長郎等共見及び、心に不審をなしければ、大聖人はかねてその色を知り給い、かの女にたずね給うは、御身は此の山中にては見なれぬ人なり。何方より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは、我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人の御経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまえと申しければ、輪円具足の大曼茶羅を授け給い、名をば何と問い給えば、厳島女と申しける。聖人聞し召し、さては安芸の国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。霊山にて約東なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまわく、垂迩の姿を現わし給えと、阿伽の花瓶を出し給えば、水に影を移せば、一丈あまりの赤竜となり、花瓶をまといしかば、実長も郎等も疑いの念をはらしぬ。
本の姿となり、我は霊山会上にて仏の摩頂の授記を得、末法法華受持の者には七難を払い、七福を与う。誹誇の輩には七厄九難を与え、九万八千の夜叉神は我が脊属なり。身延山に於て水火兵革等の七難を払い、七堂を守るべしと固く誓約ありて、また此の池に帰り棲み給う。その時の蛇形を狩野大蔵が筆にて元祖大聖人霊翰をあそばされ残し置き給う。阿伽の花瓶も今に身延の霊蔵にあり。厳島女の曼茶羅は安芸の国厳島神殿に納めありて諸人拝み侍り。厳島には七浦ありて七浦の明神と申すとかや。裏面一体分身の神のいわれなり。
能『現在七面』の物語の原拠は身延山・久遠寺の縁起や周辺に伝えられたこのような伝承であったことは間違いないところでしょう。それでも能の台本とは根本的にシチュエーションが異なっている点もいくつかあって、そこにこの能の作者の意図を感じた ぬえではあります。
ぬえ、あんまり詳しくないのでご質問はお手柔らかにお願いします~(^◇^;)
これによれば「山八分にあ」る「本堂」には「曲蛇の形」をした「七不思議の池」があり、さらに「二十町上」ったところに「奥の池」があるとされるわけですが、じつはこの山は身延山ではありませんで、そのお隣に位置する「七面山」のことを記したものです。ところが「本堂」に祀られているのは仏ではなく神様でして、しかもこの書でガイド役を務める老僧の言うには「池の太神なり」ということで、ご神体は山よりもその山頂に近くある<曲蛇の池>あるいは<奥の池>に鎮座すると考えられているようです。本堂そばの<曲蛇の池>から流れ落ちる水は「天竺の無熱池の水末なり」と老僧が説明しているのを見ても「水」が重要なキーワードで、能『現在七面』とも共通するところです。
法華宗の信者であるこの書の参詣人は当然ながら疑問を持ち、①「本地はいかなる仏菩薩」か、②「何時の頃よりか此の山に跡を垂れ、末法法華の守護神」となったのか、③「七面とはいかなるいわれ」なのかと、本地垂迹説に基づいて神の本地仏について尋ね、また「七面」の謂われを尋ねています。
老僧の答えにはこの神の本地仏は「弁財天」であり(①の答え)、山の八方に門がありながら「鬼門を閉じて」「七面を開き」、「七難を払い、七福を授け給う七不思議の神の住ませ給うゆえ」に七面山と言うのだ(③の答え)と説明されています。
後回しにされた②の説明ですが、これが最も興味深い点で、老僧は次のような不思議な物語を語ります。
此の神、身延山末法護法の神となり給う由来は、建治年中の頃なりとかや。大聖人御読経の庵室に二十ばかりの化高女の、柳色の衣に紅梅のはかまを着し、御前近く居渇仰の体を、大且那波木井実長郎等共見及び、心に不審をなしければ、大聖人はかねてその色を知り給い、かの女にたずね給うは、御身は此の山中にては見なれぬ人なり。何方より日々詣で給うとありければ、女性申しけるは、我は七面山の池にすみ侍るものなり。聖人の御経ありがたく三つの苦しみをのがれ侍り、結縁したまえと申しければ、輪円具足の大曼茶羅を授け給い、名をば何と問い給えば、厳島女と申しける。聖人聞し召し、さては安芸の国厳島の神女にてましますと仰せあれば、女の云く、我は厳島弁才天なり。霊山にて約東なり、末法護法の神なるべきとあれば、聖人のたまわく、垂迩の姿を現わし給えと、阿伽の花瓶を出し給えば、水に影を移せば、一丈あまりの赤竜となり、花瓶をまといしかば、実長も郎等も疑いの念をはらしぬ。
本の姿となり、我は霊山会上にて仏の摩頂の授記を得、末法法華受持の者には七難を払い、七福を与う。誹誇の輩には七厄九難を与え、九万八千の夜叉神は我が脊属なり。身延山に於て水火兵革等の七難を払い、七堂を守るべしと固く誓約ありて、また此の池に帰り棲み給う。その時の蛇形を狩野大蔵が筆にて元祖大聖人霊翰をあそばされ残し置き給う。阿伽の花瓶も今に身延の霊蔵にあり。厳島女の曼茶羅は安芸の国厳島神殿に納めありて諸人拝み侍り。厳島には七浦ありて七浦の明神と申すとかや。裏面一体分身の神のいわれなり。
能『現在七面』の物語の原拠は身延山・久遠寺の縁起や周辺に伝えられたこのような伝承であったことは間違いないところでしょう。それでも能の台本とは根本的にシチュエーションが異なっている点もいくつかあって、そこにこの能の作者の意図を感じた ぬえではあります。