ところで『身延鑑』の物語で弁財天の「垂迹の姿」として登場するのが「赤竜」というところに興味を引かれて、ちょっと調べてみました。
弁財天は七福神の一人として殊に有名ですが、私たちが想像する弁財天は一般的には優美な飛天の姿でしょう。仏教では天部の一人。。すなわち如来や菩薩と比べればそれほど徳の高い存在ではなく、我々が持っている弁財天のイメージもむしろ世俗的な親近感ではないかと思います。そういう印象からも、弁財天は中国あたりの民間信仰の神様が仏教の中に取り込まれたのかと思ったのですが。。ところが意外や弁財天はれっきとしたインド生まれの神様で、仏教に取り込まれて天部となって後、ふたたび神様として崇められるようになったのは、特にこの日本においての特異な現象のようです。
仏像・仏画に描かれた弁財天は八つの腕を持って(八臂)その手には武器を携える、女性の姿ながら仏教の守護神たる天部としての姿のものと、天女や菩薩の姿として一般的になじみの深い像にわけられ、日本でも二つの姿が並立したまま仏像・仏画が作り続けられたようです。
ところが弁財天が竜である、という考え方はこれまた日本独自のもののようで、本来インドで弁財天は川の神様であったことからの連想なのでしょうか。厳島神社においても厳島神が蛇身であるという伝承があり、『身延鑑』の物語ともほぼ矛盾ないようです。弁財天は天女あるいは菩薩の姿なのだとばかり思っていたのですが、八臂や竜・蛇身など、いろいろな現れ方をしているのですね。しかし最も一般的な飛天の姿と見えたのはじつは菩薩の姿で、仏教では妙音菩薩と同一視されることも多かったのだとか。
弁財天は蛇身とも考えられ、天女としての姿も妙音菩薩と同一視され。。そういえば妙音菩薩も霊鷲山で釈迦の法華経の説法を聞いた一人です。さらに日蓮自身も自分が釈迦が説法したときに地から湧いて出た一連の菩薩の第一番とされる上行菩薩の再誕と信じて法華経流布に努めた。。どうも『身延鑑』の物語や能『現在七面』の背景や登場人物にはいろいろと相関関係も見いだせそうですが、今回の調査はこれ以上は望むべくもなく、また ぬえの手にも余るようですので、この度はこのへんにてご報告の筆を置かせて頂きたいと存じます。
最後になりますが、『身延鑑』には上記の物語のほか七面池について、また七面神の威光について大変面白い記事が載せられていますので、これらをご紹介させて頂きましょう。
又、古老の里人の申し伝えには、人皇七十一代御三条院の御宇に、京極中納言師資卿という公卿、子の無き事を嘆き、安芸の国厳島弁才天に祈りて、一人の姫を設け給う。成人に従がいて、いわんかたなき美人にて春の花の窓の内深く、いまだ知る人もなかりしに、匂いや外にもれぬらん。
東宮の御連枝に池の宮と申し奉りしが、風の便りに聞し召し、玉章のかずも千束になりけれど、いなやのかえり事もなし。池の宮の御うらみの歌に、
我袖ハなミたのしぐれはれねとも つれなき松はふるかひもなし
此の歌に、姫君あわれとや思召し、秋の田のかりそめふしの御枕の契り給わんと、一夜二夜とすぎのまどあかし給う所に、姫君俄かに人のきらいし病を御身にうけ、色々御養生はかぎりなくありし所、御氏神厳島大明神御告げに、これより東海道の道のすえ、甲斐国波木井川の水上に七面の山と申すは、北方毘沙門天の城妙華福光吉祥園を移して七宝の池あり。これ天竺無熱池の水の末なり。池の底には金の砂を敷き、八功徳を具え、諸天常に極楽し給う池なり。此の水にて垢離し給うならば、忽ち平癒し給うべしと。
弁財天は七福神の一人として殊に有名ですが、私たちが想像する弁財天は一般的には優美な飛天の姿でしょう。仏教では天部の一人。。すなわち如来や菩薩と比べればそれほど徳の高い存在ではなく、我々が持っている弁財天のイメージもむしろ世俗的な親近感ではないかと思います。そういう印象からも、弁財天は中国あたりの民間信仰の神様が仏教の中に取り込まれたのかと思ったのですが。。ところが意外や弁財天はれっきとしたインド生まれの神様で、仏教に取り込まれて天部となって後、ふたたび神様として崇められるようになったのは、特にこの日本においての特異な現象のようです。
仏像・仏画に描かれた弁財天は八つの腕を持って(八臂)その手には武器を携える、女性の姿ながら仏教の守護神たる天部としての姿のものと、天女や菩薩の姿として一般的になじみの深い像にわけられ、日本でも二つの姿が並立したまま仏像・仏画が作り続けられたようです。
ところが弁財天が竜である、という考え方はこれまた日本独自のもののようで、本来インドで弁財天は川の神様であったことからの連想なのでしょうか。厳島神社においても厳島神が蛇身であるという伝承があり、『身延鑑』の物語ともほぼ矛盾ないようです。弁財天は天女あるいは菩薩の姿なのだとばかり思っていたのですが、八臂や竜・蛇身など、いろいろな現れ方をしているのですね。しかし最も一般的な飛天の姿と見えたのはじつは菩薩の姿で、仏教では妙音菩薩と同一視されることも多かったのだとか。
弁財天は蛇身とも考えられ、天女としての姿も妙音菩薩と同一視され。。そういえば妙音菩薩も霊鷲山で釈迦の法華経の説法を聞いた一人です。さらに日蓮自身も自分が釈迦が説法したときに地から湧いて出た一連の菩薩の第一番とされる上行菩薩の再誕と信じて法華経流布に努めた。。どうも『身延鑑』の物語や能『現在七面』の背景や登場人物にはいろいろと相関関係も見いだせそうですが、今回の調査はこれ以上は望むべくもなく、また ぬえの手にも余るようですので、この度はこのへんにてご報告の筆を置かせて頂きたいと存じます。
最後になりますが、『身延鑑』には上記の物語のほか七面池について、また七面神の威光について大変面白い記事が載せられていますので、これらをご紹介させて頂きましょう。
又、古老の里人の申し伝えには、人皇七十一代御三条院の御宇に、京極中納言師資卿という公卿、子の無き事を嘆き、安芸の国厳島弁才天に祈りて、一人の姫を設け給う。成人に従がいて、いわんかたなき美人にて春の花の窓の内深く、いまだ知る人もなかりしに、匂いや外にもれぬらん。
東宮の御連枝に池の宮と申し奉りしが、風の便りに聞し召し、玉章のかずも千束になりけれど、いなやのかえり事もなし。池の宮の御うらみの歌に、
我袖ハなミたのしぐれはれねとも つれなき松はふるかひもなし
此の歌に、姫君あわれとや思召し、秋の田のかりそめふしの御枕の契り給わんと、一夜二夜とすぎのまどあかし給う所に、姫君俄かに人のきらいし病を御身にうけ、色々御養生はかぎりなくありし所、御氏神厳島大明神御告げに、これより東海道の道のすえ、甲斐国波木井川の水上に七面の山と申すは、北方毘沙門天の城妙華福光吉祥園を移して七宝の池あり。これ天竺無熱池の水の末なり。池の底には金の砂を敷き、八功徳を具え、諸天常に極楽し給う池なり。此の水にて垢離し給うならば、忽ち平癒し給うべしと。