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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

『難波』の小書「鞨鼓出之伝」(続)

2009-09-12 00:19:38 | 能楽
それは、どうしても上記の事情によって、若い男神としての「鞨鼓出之伝」の上演の機会が少なく、演出がこなれていないのかも知れない、と今回 ぬえは思いました。なんせ ぬえもこの小書に若い男神の演出があることを初めて知ったのです。

それだけではなくて、『難波』という曲が持つ特有の事情も、この小書の未整理に影響しているかもしれませんですね。

前述の通り『難波』という曲は観世流だけが他流とは別に極端に違った演出で常に上演しております。これはとりもなおさず観世流だけが後世に演出を改変したからにほかならず、にもかかわらず古態の演出は廃止されることなく小書「鞨鼓出之伝」として存続した、と考えられるのです。

それではなぜ「鞨鼓出之伝」の小書の中に、観世流の現行の演出であるはずの若い男神の姿の演出が選択肢として存在しているのか。。? ここからは ぬえの想像なのですが、古態の演出を廃しておきながら古態の演出を残したために、かえってお囃子方との申合が整いにくかったのかもしれない、と考えております。

観世流が若い男神としての『難波』を、おそらく江戸中期に正式な演出として採用したために、近代になってかつての「座」を離れていろいろなお流儀のお囃子方とお相手をするようになった時に、小書としての老神の演出が、結局それが古態でもあり、また現行の他流と同一の演出になることについて違和感があって、申合が整わない場合があったのかもしれない。。師家の型付に、この小書で老神の演出を採るか若い男神のそれにするかについては囃子方の流儀にも考慮するよう記載されていることも その事情を伺わせるように感じられます。

ともあれ今回はおシテが若い男神の演出を採られましたが、もともと『難波』の後シテは老神を想定して作られた詞章であるのは明らかで、『高砂』の後シテと同じ颯爽とした姿ではやや演じにくいのですが、今回は小書をつけてまでなお若い男神で演じた意欲的な試みでありました。このときのお囃子方とも話したのですが、もちろんこの演出による「鞨鼓出之伝」の上演はみなさん初めての経験で、それぞれのお師匠さまにも相談されたそうですが、いずれも上演の経験はほとんどないほどの珍しい上演だったようです。

そんな事情もあって稽古能、申合と本役のお囃子方が参加してくださったのですが、これが面白いことに、小書での上演の特殊性を表現したい、という欲求は誰からともなく出てきて、神舞は初段ヲロシでぐっと位が締まり、また段数が進む毎に著しく速くなっていくように工夫が凝らされてきて、とても面白い神舞になったと思います。申合という形式張ったことでもなく、こういう工夫の経験の積み重ねで演出が決まってきたり、また変化してくるのも、現代に生きる古典芸能として健全な姿なのではないかな、と思った ぬえは後見座に座りながら感心して拝聴しておりました。

この『難波・鞨鼓出之伝』、ぬえはふだんほとんど経験させて頂いたことのない主後見の大役を仰せつけられ、またチビぬえも本来は大人のツレの役である天女のお役を頂戴致しました。いずれも大過なく勤めることができて今は安堵しております。

じつは ぬえはこの日の後見・チビぬえの天女のお舞台をもって、ようやく今年のお舞台のお役にひと段落がつきました。4月にチビぬえが『望月・古式』の子方の大役を頂き、5月には ぬえの『殺生石・白頭』があり、6月には伊豆の綸子ちゃんとチビぬえが揃って『嵐山』の子方を勤め、8月に1週間の間に ぬえは『現在七面』『望月』の2番を勤め、チビぬえもこの『望月』で共演させて頂きました。そうして9月初旬の『難波・鞨鼓出之伝』。なんだか年始から稽古三昧で秋まで気の休まることのなかった年ですね~。まだこれからも仕舞や連吟などいくつか大切なお役は続くのですが、とりあえず能のお役はこれでいち段落!

そうして ぬえは今、遅~~い夏休みを過ごさせて頂いております~