これは余談になりますが、前掲の『山姥』のおワキの名宣リの文章によれば、ツレ「百万山姥」が都での上演活動を一時停止してまではるばると善光寺まで詣でる理由は、彼女の親の十三回忌だからだ、と説明されます。この故でしょうかね? 『山姥』は追善能でも好んで上演されます。しかし十三回忌を表す「また当年は御親の、十三年に当たらせ給ひて候程に」という文句は、下掛り宝生流のおワキの詞章で、福王流のおワキでは「又この頃は善光寺へ御参りありたき由承り候程に」と、善光寺詣での理由はハッキリしていません。
ともあれ、おワキの名宣リの最後の文句、下掛り宝生流の場合は「ただ今信濃の国へと急ぎ候」と、おワキは両手を前で合わせる「掻合せ」もしくは「立拝」と呼ばれる型をして、次いで「サシ」と呼ばれる拍子に合わない詞章を、ツレの方へ向いて謡い出します。このときツレもワキツレも、一同が向かい合います。
ワキ「都を出でてさざ波や。志賀の浦舟焦がれ行く、末は愛発の山越えて、袖に露散る玉江の橋、かけて末ある越路の旅、思ひやるこそ遥かなれ。
「サシ」とは、いわば詠吟といいますか、拍子には合わせないで謡うけれどもこれは完全に歌ですね。この意味で「セリフに音楽的な要素が交じった」といえる「カカル」とは性格を全く異にしています。謡のお稽古をされているお弟子さんに、このへんを説明して理解して頂くのは本当に難しいですけれども、これを心得て謡って頂けると ぐっと上達が早くなるのではないかなあ、と、いつも思います。「サシは歌。カカルはセリフ。」こういう風に覚えて頂けると、テキストの全体像が見えやすくなるのではなかろうか。
あ、お稽古の教授のことはこの際措いといて。f(^―^;
この「サシ」ですが、観世流の大成版謡本では全文をおワキが独吟することになっていますね。観世流の謡本は、かつての座付流儀であった福王流のおワキの本文を反映しているのですが、しかし実際には福王流でもこの部分は実演上ではほとんどの場合、おワキが終始独吟しておられるわけではないように思います。二句ばかりをおワキが独吟してから、ワキツレも謡い出して連吟しておられるように記憶しているのですが。。さらに ぬえが拝見している限り、少なくとも下掛り宝生流ではワキツレの方が先に「サシ」を謡い出して、それからおワキが唱和する形を取っておられるように思います。いずれにしても ぬえはおワキの実演上の約束までは詳しく存じませんので、なんらかの「決リ」があるのかもしれません。
さてサシの止まりで大小鼓が打切を打って区切りをつけて、今度は拍子に合った謡の「道行」が謡われます。
ワキ/ワキツレ「梢波立つ汐越の、梢波立つ汐越の、安宅の松の夕煙、消えぬ憂き身の罪を切る、弥陀の剣の砥波山。雲路うながす三越路の、国の末なる里問へば、いとど都は遠ざかる、境川にも着きにけり、境川にも着きにけり。
境川はその名の通り今でも富山県と新潟県との県境で、『山姥』の道行のあとに現れる「上路=あげろ=」の村も、現在は新潟県糸魚川市の一部として現存しているそう。当地には「山姥の里」「山姥の洞」があり、また山姥の子どもが坂田金時という伝説があって、「金太郎がブランコをした藤」とか「金太郎がお手玉をした石」、さらに「山姥が日向ぼっこをした岩」というのもあるのだそうです。
ともあれ、おワキの名宣リの最後の文句、下掛り宝生流の場合は「ただ今信濃の国へと急ぎ候」と、おワキは両手を前で合わせる「掻合せ」もしくは「立拝」と呼ばれる型をして、次いで「サシ」と呼ばれる拍子に合わない詞章を、ツレの方へ向いて謡い出します。このときツレもワキツレも、一同が向かい合います。
ワキ「都を出でてさざ波や。志賀の浦舟焦がれ行く、末は愛発の山越えて、袖に露散る玉江の橋、かけて末ある越路の旅、思ひやるこそ遥かなれ。
「サシ」とは、いわば詠吟といいますか、拍子には合わせないで謡うけれどもこれは完全に歌ですね。この意味で「セリフに音楽的な要素が交じった」といえる「カカル」とは性格を全く異にしています。謡のお稽古をされているお弟子さんに、このへんを説明して理解して頂くのは本当に難しいですけれども、これを心得て謡って頂けると ぐっと上達が早くなるのではないかなあ、と、いつも思います。「サシは歌。カカルはセリフ。」こういう風に覚えて頂けると、テキストの全体像が見えやすくなるのではなかろうか。
あ、お稽古の教授のことはこの際措いといて。f(^―^;
この「サシ」ですが、観世流の大成版謡本では全文をおワキが独吟することになっていますね。観世流の謡本は、かつての座付流儀であった福王流のおワキの本文を反映しているのですが、しかし実際には福王流でもこの部分は実演上ではほとんどの場合、おワキが終始独吟しておられるわけではないように思います。二句ばかりをおワキが独吟してから、ワキツレも謡い出して連吟しておられるように記憶しているのですが。。さらに ぬえが拝見している限り、少なくとも下掛り宝生流ではワキツレの方が先に「サシ」を謡い出して、それからおワキが唱和する形を取っておられるように思います。いずれにしても ぬえはおワキの実演上の約束までは詳しく存じませんので、なんらかの「決リ」があるのかもしれません。
さてサシの止まりで大小鼓が打切を打って区切りをつけて、今度は拍子に合った謡の「道行」が謡われます。
ワキ/ワキツレ「梢波立つ汐越の、梢波立つ汐越の、安宅の松の夕煙、消えぬ憂き身の罪を切る、弥陀の剣の砥波山。雲路うながす三越路の、国の末なる里問へば、いとど都は遠ざかる、境川にも着きにけり、境川にも着きにけり。
境川はその名の通り今でも富山県と新潟県との県境で、『山姥』の道行のあとに現れる「上路=あげろ=」の村も、現在は新潟県糸魚川市の一部として現存しているそう。当地には「山姥の里」「山姥の洞」があり、また山姥の子どもが坂田金時という伝説があって、「金太郎がブランコをした藤」とか「金太郎がお手玉をした石」、さらに「山姥が日向ぼっこをした岩」というのもあるのだそうです。
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