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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

巡りめぐりて輪廻を離れぬ~悩む『山姥』(その7)

2007-11-20 12:58:34 | 能楽
いま『山姥』の上演に向けて、後シテが突いて出る「鹿背杖」を作っています。鹿背杖は『山姥』のほか『恋重荷』『玉井』『鞍馬天狗・白頭』など、老体で超人的な役の後シテが持つ杖で、杖の上部に横向きに握りの部分をつけた撞木杖の形の杖です。杖の素材は竹で、径は一寸弱、およそ2.5cmぐらい、握りの径は一寸程度で、こちらは木を使って作ります。大成版の謡本には「乳の高さの竹に三寸程の握りをとり付け無紅紅緞にて巻き、之を鹿背杖とす」と書かれていますが、高さはそれよりやや低い感じ、握りの長さはやや長めに作る方が姿はよいと思います。今回は握りを五寸強(16cmぐらい)に、杖自体は高さは少し変えたものを二本作ってみました。

いえ、鹿背杖ぐらい師家にも何本もあるのですが、これ、不思議と演者の体格に似合うのがなかったりします。演者に合わせてそれぞれ作るのが一番。師家の鹿背杖を使って稽古していたら、先輩からも「君にはもう少し長い方がいいかもね」と言われ、また別の先輩に伺ってみても「ああ、僕が『山姥』をやったときは、自分に合わせた鹿背杖を作ったよ」と言われたので、ぬえも作ることにしたわけです。それにしても『隅田川』の塚、『一角仙人』の剣、『井筒』のススキ、そして鹿背杖。。ぬえも道具を作るのは好きだけれど、今年はまあ、よくいろんな物を作ったもんです。

さて鹿背杖ですが、竹を切って節を目立たぬように落とし、握りを取り付けるまではよいのですが、問題はこれに巻く無紅紅緞。これは作物を揃えている能楽堂とか、薪能など地方の公演でも自前で作物を揃えなければならない職分家などでなければ持っていないでしょう。紅緞はじつはかなり高価なものですし、鹿背杖を作るためだけに能装束屋さんに1本や2本だけを注文するわけにもいかないし。。でも東京には「ユザワヤ」という強い味方があるのです。「ユザワヤ」は東京だけではなく関東近郊や関西にも店があるらしいですが、言うなれば手芸材料や生地の巨大デパートです。この夏に『一角仙人』の剣を作ったときも、柄に巻く金襴はこのお店で探し出しましたし、ぬえは「ユザワヤ」にはずいぶん助けられていますね~。今回も「藍染め風」の、まあ無紅紅緞に見えなくもない、という感じの綿の生地を発見して、これを使う事にしました。

なお『山姥』だけは、鹿背杖に木葉を付けるのです。これは榊の生木を使う場合も多いですが、今回は「100円ショップ」で造花の榊を買って使う予定。九月の「ぬえの会」で上演した『井筒』でも、前シテが持って出た木葉は「100円ショップ」製でしたが(笑)、いや、なかなかどうして、良いできばえの造花があるのです。まあ、とは言っても大量生産の品ですから、枝ぶりが左右シンメトリーであったり、少し手を加えなければならない部分もあって、『井筒』のときはライターで少しあぶって葉の向きを調整したりしました。

さて、前回『山姥』の舞台とされた越後の現地に残っている地名をご紹介しましたが、これから見ても、どうやら越後・越中では「山姥」は人を取って食うような恐ろしげな化け物とは思われていないようですね。そしてそれは能『山姥』の後シテの造形と相通ずる性格を持っているように思います。じつは、どうやら日本人の「山姥」像は時代によって変遷を遂げているらしく、現代人が普通に「山姥」に持つイメージは、どちらかといえば『安達原』の後シテの鬼女のような人間に害を及ぼすような怪物に近いものだと思いますが、それ以前には能『山姥』に描かれ、また現地に伝説として伝わり、地名にその片鱗を残すような、「山」そのものの化身のような大きさと、人間の生活を手助けするような身近な存在であったようなのです。高村光雲の彫刻の中にパリ万博に出品されたという傑作「山霊訶護」がありますが、これは光雲の大正期の作品で、猛禽が空から狙うウサギを山姥が守っているところの像です。これを見ると、少なくとも大正期の頃までは山姥は心優しい超自然的な存在、というように、日本人にとって共通認識が残っていたのかなあ、なんて想像してみました。

「道行」が終わると一行は境川に到着し、しばらく休憩を取ります。ツレとワキツレは脇座以下に居並んで着座し、ワキはアイを呼び出して善光寺へ至る道について尋ねます。

この部分、および前シテが中入してからワキとアイが問答をされる部分は、通常は謡本にも記載がなく、また演者もあえて公開しない定めとされています。。のですが、現代では研究の要請などもあって、従来秘公開とされていたような事もいろいろな場所や場面で事実上公開されていたりしますね。今回の ぬえが勤めさせて頂く『山姥』は、おワキが下掛り宝生流、お狂言が大蔵流山本師のお家という組み合わせですが、小学館から刊行された『日本文学全集』の「謡曲集(2)」に、同じ組み合わせで翻刻されていますのでご紹介させて頂きます。(ただし底本の本文と現行の上演詞章に小異がある場合もある事をお断りさせて頂きます。

ワキ「御急ぎ候ほどに。越後越中の境川に御着きにて候。しばらくこれに御座候ひて、なほなほ道の様体を御尋ねあらうずるにて候
ワキツレ「もっともにて候
ワキ「まづかうかう御座候へ
ワキ「境川在所の人のわたり候か
アイ「境川在所の人とお尋ねは。いかやうなる御用にて候ぞ
ワキ「これは都方の者にて候。これより善光寺への道の様体、教へて賜り候へ
アイ「さん候これより善光寺への道あまた御座候。なかにも上道下道上路越と申して御座候が、すなはち上路越と申すは如来の踏み分け給ふ道にて候。さりながら険難さがしき道にて候。見申せば女性上臈を御供と見え申して候が、なかなか御乗物などはかなはぬ道にて候
ワキ「ねんごろに御教へ祝着申して候。御覧候如く女性を伴ひ申して候間、そのよし申し候べし。しばらくそれに御待ち候へ
アイ「心得申して候