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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

巡りめぐりて輪廻を離れぬ~悩む『山姥』(その8)

2007-11-21 00:28:18 | 能楽
ワキ「善光寺への路次の様体尋ねて候へば、上道下道上路越、この上路越と申すは、已身の弥陀唯心の浄土に喩へられたる道にて候が、ただし御乗物の叶はぬ由申し候
ツレ「げにや常に承る、西方の浄土は十万億土とかや、これはまた弥陀来迎の直路なれば、上路の山とやらんに参り候べし、とても修行の旅なれば、乗物をばこれに留め置き、徒歩跣足にて参り候べし、道しるべして賜び候ヘ
ワキ「さらばその由申し候べし

ワキ「最前の人のわたり候か アイ「これに候
ワキ「御申しの通りを女性に申して候へば。乗物をばこれに留め置き、徒歩跣足にて参らうずるとの御事にて候。とてもの事に案内者あって賜り候へ
アイ「もっとも御不知案内にてござあらうずる間、案内者申したくは候へども、かなはざる用の事候程に、なるまじく候
ワキ「仰せはさる事にて候へども、ひらに案内者あって賜り候へ
アイ「さあらば用を欠いて参らうずる間、やがて御立ち候へ ワキ「心得申し候

ワキ「さあらばやがて御立ちあらうずるにて候

このおワキの言葉によって、ツレ百万山姥が都からこれまでの道中を ずっと乗物に揺られて旅をしてきた事がわかります。こういうところも能の特徴的な面白いところですね。舞台上ではツレはワキの前に立ってずっと歩いて登場してきたのに、じつは彼女は徒歩旅行ではなかった、という設定になっていたのです。

お客さまはこのセリフでその設定に初めて気づいて「ええっ?そうだったの?」と驚かれるでしょう。じつは演劇の脚本を作る上で、お客さまに疑問を持たせる事はもっともイケナイ事なのです。ぬえも何度か新作能の台本を書いたり、その手助けをしたことがあるのでよくわかるのですが、推理小説を舞台化した作品とか、よほど考え抜かれて敷かれた伏線ならばともかく、お客さまが脚本に矛盾を感じたら、もうその先は見て頂くことができません。正確に言えば、見て頂く事は物理的にはそのまま続行するでしょうが、誰もついてきて下さらなくなっちゃう。脚本への共感とか、そもそも鑑賞して頂く、ということも、すべてそこで不可能になってしまうのです。舞台の失敗は疑うべくもなく、こういう脚本が書かれてしまったところからそれは始まっているのです。

ところが能『山姥』のこの場面でお客さまの思考が中断されてしまわないのは、能の象徴主義的な演出の姿勢によるところが大きいでしょう。能の場合の象徴主義とは、扇や型で品物の代用をしてしまうとか、主人公の心理を表現することばかりではなく、「その場にはない物」を、あたかも存在するかのように役者が扱う演技をする事で実在させてしまう事も含まれるでしょう。旅行が一段落して、もう着座してしまったツレが「(これまで乗ってきた)乗物をばこれに留め置き、徒歩跣足にて参り候べし」と言ったところで、お客さまの中に齟齬が起こったとしても、それは すでに過ぎてしまった場面の話なのであり、しかもそれは能の進行や脚本の本質的なところと比べればほんの些細な事にしか過ぎないのです。大体、ここはまだシテさえ登場していない場面で、場面設定を構築している段階。お客さんの期待感も、これから登場してくるシテの登場に向けて次第に高められてゆく最中なのです。

ちょっと違った例ですが、『隅田川』で出される塚の作物が舞台に違和感を与えないのも、能の演出の姿勢が一貫しているからにほかならないでしょうね。よく考えてみれば最後の場面にしか使われない塚の作物が、狂女が舟に乗るこちらの岸の場面にもあり、舟中のおワキの語リで何と川の中に塚があって、舟を追いかけて移動しているかのよう。それでも舞台に違和感がないのは、役者がみんな揃ってその塚を無視して演技し、また塚のある舞台後方を誰も演技スペースとして使おうとしないからでしょう。これは役者が「あたかも存在するように」演技するのとは反対の、それでいて演技の質としてはそれとまったく同質の、一貫した演技の姿勢があるからなのだと思います。そうなってくるとこの「見えるはずのない塚」が、戯曲の中の無言の伏線に見えてくるから不思議。

ついでながら「乗物」について。能の中に説明はありませんが、『山姥』のツレが乗っている乗物、とは、おそらく「輿」の類でしょう。ところが『山姥』では省略されるこの輿の作物、先日 ぬえが勤めた『一角仙人』では堂々と登場するのですよねえ。

これは、『一角仙人』ではツレ旋陀夫人が皇帝の官女という高貴な立場である事を説明するために輿がわざわざ出されてツレの頭上に差しかけられます。輿が登場する場合にはそれを支えるために二人の役者(ワキツレ)が必要になるので、ツレの豪華な装束と相俟って旋陀夫人の高貴な性格づけがなされるのです。また『一角仙人』では、そんな彼女が山奥の仙境に向かうのですから、そのミスマッチを強調するのにも輿を登場させるのは効果的。そしてあまりにも場違いなこのツレの登場によって、シテ一角仙人が不思議に思って姿を見せる、という台本も「輿」が登場するからこそ違和感なくスムーズに舞台が進行するのだと思います。

さらに輿といえば。。『盛久』でしょう。この曲は平家の武士で囚われの身となった盛久が都から鎌倉まで護送される場面で「輿」が使われます。この場合の「輿」は罪人を乗せる唐丸駕籠のようなもので、ほかの能に登場する「輿」とは全く違うものです。それでも形状は通常の「輿」とほとんど同じで、ただ違う点は常の「輿」が竹の骨組みに紅緞を巻いて作るのに対して『盛久』の輿は無紅紅緞を巻き、しかもその紅緞を骨組みに千鳥掛けにしません。つまり装飾がない「輿」で、無紅紅緞は常の「輿」の華やかさとは違って陰気な印象をお客さまに与えます。輿を支えるワキツレも『盛久』では警護の武士で、大口裳着胴姿である事はほかの曲の「輿舁」の場合と同じですが(おワキ方に伺ったことがありませんが、おそらく厚板などは『盛久』とほかの能とでは区別があるのではないかと思います)、後ろにつき従うのは直垂上下に梨打烏帽子をかぶり、太刀持ちを従えた武士の姿のおワキ。この大人数であっても、華やかさではなくて「厳めしさ」や「物々しさ」が漂います。

ちょっとした違いで舞台効果には歴然とした差が出る。。やはり能の演出は、とっても深く考えられて、計算し尽くされていると思います。

さて、おワキに促されて立ち上がったツレは、これから登山する体で正面へ受けて立ち居ます。アイは道案内をするために常座に立ち、すると。。俄かに日が暮れてしまいます。

アイ「何と最前申したるよりも険難なる道にてはなく候か
ワキ「げにげに承り及びたるよりは険難にて候
アイ「かやうに候へばこそ御乗物などはかなはぬよし申して候。や。何とやらん日の暮るるやうになりて候
ワキ「げにげに俄に日の暮るるやうに候。このあたりに泊りはなく候か
アイ「なかなか泊りはなき所にて候
ワキ「あら不思議や。暮れまじき日にて候が、俄に暮れて候よ。さて何と仕り候べき

これにて いよいよ前シテが登場します。