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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

展覧会「鳥獣戯画がやってきた!」(続)

2007-11-11 04:14:56 | 日本文化
でも ぬえは、じつは今回「鳥獣戯画」のホンモノの中で心惹かれたのは、有名な甲巻よりもむしろ、リアルに獣を描いた乙巻や、人間を描く事に専念している丙巻だったりします。

乙巻に出てくる牛が、やっぱりどこか人間の顔をしている様子とか、枝にとまった鷹が、立派なはずなのに妙にひしゃげた頭をしていたり。あ~~ケンカに負けて顔をかまれた(じゃれている?)ワンコの情けないお顔と言ったら。。

それに丙巻に出てくる、賭け双六に負けて身ぐるみ剥がされながらなお平然と賭け事を続ける男と、その後ろで心配そうに見守る妻子。耳引きや首引きの場面は狂言の素材にもなっているし、あ!これは「にらめっこ」だ! 一方男と稚児の将棋の対局の場面では優しい表情で稚児に指し手の助言をする法師がひとり。へ~~~、まるで今の世に普通に見かけるような光景だ。時代が変わっても、人情はちゃあんと繋がっているのね~。むしろテレビやゲームがない時代、ほんの少し前まで当たり前だった年代を超えたご近所付き合いの、羨ましいような姿がここにはあります。

もっとも、ウサギと蛙が大活躍する甲巻では、今回は有名な相撲の場面は展示されておらず、展示された前半部分のクライマックスとしては わずかに弓競べのシーンだけでした。だからこそ甲巻以外の巻に目が行ったのかもしれません。甲巻の魅力の真髄は展示後期に期待。もっとも相撲の場面ではウサギは蛙に負けてるんですけどもね。。でも、今回はそれだからこそ、「鳥獣戯画」の中で「製作された時代が遅れているはず」「技巧としては甲巻よりは拙く」などと言われて甲巻の蔭に隠れてしまっている感がある乙・丙の各巻の魅力が存分に引き出されていると思います。

でね、ぬえが今回の展覧会についてもっとも誉めたいのは、会場がすいていたこと!平日の午後という ぬえが足を運んだ時間も幸運だったのかもしれませんが、展示物をじっくり見ることができました。主催者には申し訳ないですが、国文学科出身の ぬえとしましては、古文書類の展示ではどうしてもその読解に走ってしまうので、押すな押すなの展覧会じゃ困るのです~~。過去にも、何気なく展示されていた古文書の、偶然に開かれていたページにあった記述から発見をしたことも数多くある ぬえとしましては、これは展覧会では重要なポイントなんです。

「鳥獣戯画」には詞書がないけれども、今回同じモチーフを持つということで展示された「雀の小藤太絵巻」(室町期)や「鼠草子絵巻」(桃山期)の詞書を読んで爆笑! なんせ前者は我が子がヘビに喰われた雀の小藤太が出家して諸国を行脚する、という物語で、とくに前半部分では様々な鳥たちが小藤太を弔問に訪れて和歌を交わす、という場面が描かれています。後者は清水の霊験で人間の妻を娶ったネズミの大名・権守のお話で、臣下ともども人間に化けた権守でしたが、ついに見破られて姫君は去り、失意の権守は出家して高野山にのぼるまでが描かれます。しかし出家した権守の法名が「子ん阿弥」、高野山にのぼる途次道連れになった僧はネコで、その名も「猫の坊」。。どちらの物語も登場人物はふんだんに和歌を詠み、それがまた とっても良くできた和歌だったりするので さらにおかしい。

なんだか ぬえは能の『大会』を見ている気持ちになってきました。この曲だって「鳥獣戯画」にひけは取らないユーモア精神で作られている能です。まじめくさった顔つきで威張っているばかりと落語などで思われている江戸期の武士だって楽しんで見ていたはずで、ちょっと今では想像がつきにくくなってしまったけれども、それでも ほんの百年前までは確実に日本人のユーモアのセンスは ずう~~っと、連綿と続いているんだなあ、と、なんだか あったかい気持ちになる展覧会でした。


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