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ぬえの能楽通信blog

能楽師ぬえが能の情報を発信するブログです。開設16周年を迎えさせて頂きました!今後ともよろしくお願い申し上げます~

巡りめぐりて輪廻を離れぬ~悩む『山姥』(その1)

2007-11-03 01:05:35 | 能楽
本年12月16日の日曜日、東京・観世能楽堂で開催される梅若研能会例会にて、ぬえは能『山姥』を勤めさせて頂きます。いま公演に向けて稽古の真っ最中の ぬえですが、同時にこの曲について あれこれと考えを巡らせております。能『山姥』について、しばらくお付き合い頂ければありがたく存じます~~

しかし。。そもそも『山姥』って何なのでしょう。得体の知れない魑魅魍魎もた~くさん跋扈している能の世界の中でも、山姥は みんなが知っているようでいて、じつは実体は捉えどころのないシテの代表格なのではないでしょうか。よく能の入門書では『山姥』の事を「大自然の象徴」のような、雄大な、人間よりも幾廻りも大きな、超自然的な造形のような説明がなされたりしていると思いますが、そして稽古をしている感じでは、確かに大きな存在として舞う事が求められてもいるのですが、う~~ん、本文をよく読み込むと。。じつはそれほど大きなものとも思えない。。少なくとも山姥を、人間を超越した存在と見る事が必ずしも正しいとは言い切れないように思います。そりゃ、人間の目に見えず、山から山へと巡る姿はその超人的な能力を表しているのですが、やはりこの曲に描かれているのは、山姥の内面であるはずです。そこには葛藤があり、悩みがあり。。山姥はより人間的なものとしてこの曲の中に描かれています。『山姥』の本文をよく読んでいると、ぬえなぞはこの曲よりも「猩々」の方がよほど得体が知れなく思うけれど。。

さて今回の連載でも、『山姥』について考えるにあたって、例によって研能会の当該公演にお出まし頂ける方の便宜のために鑑賞のポイントなども同時にご紹介して参ります。まずは舞台の進行から~。

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囃子方が幕から、また同時に地謡が切戸口から登場し、それぞれが所定の位置に座着くと、大小鼓はすぐに床几に腰掛け、次いで笛が鋭く「ヒシギ」を吹き、ツレとワキの登場音楽である「次第」が演奏されます。「次第」は大小鼓が拍子に合わない手を打つ登場音楽で、役者の登場音楽としては非常に用途が広いものです。ですから演奏の「位」…速度や印象も千差万別。『山姥』はツレ遊女とそのボディガードのような従者の登場を囃すので、位はサラリと打たれます。

「次第」の中の決められた手組を聞いて幕が上げられ、ツレとワキ、そしてワキツレの順で橋掛りに登場します。ツレは連面と称される小面を掛け、襟は赤一枚、着付は白地摺箔、紅入唐織を着て紅入鬘帯を頭に締めています。なおツレは摺箔の模様は金を避けて銀のものを用い、唐織も通例は段ではなく赤地のものを選びます。襟が必ず一枚なのもシテがしばしば襟を二枚重ねるのに対して位を一段下げるための処置ですが、しかし『山姥』の前シテのようにシテが無紅の時は、シテも金ではなく銀模様の摺箔を用いますし、しかも『山姥』の前シテは山里に住む女という、やや位が低い役で、こういう場合はしばしばシテも襟を一枚だけ用いますから、単純に比較はできにくいのですが。。

たとえば『熊野』の場合、シテとツレは紅入唐織の着流しというまったくの同装で、しかも役も同じ若い女性。この場合はシテとツレでハッキリと装束や面に差をつけるので明快です。すなわち。。
シテ 面=若女    襟=白二枚、白地金摺箔、紅入段唐織、紅入鬘帯(胴箔または金が勝ったもの)
ツレ 面=小面(連面)襟=赤一枚、白地銀摺箔、紅入赤地唐織、紅入鬘帯(金の少ないもの)

じつは『山姥』も前シテとツレは同装なのです。しかし二つの役には大きな性格の違いがあって、ツレは都で一世を風靡する遊女~今で言う流行タレントですな。。~であって、一方の前シテは山に住む中年女性。おのずとツレの方が品格は上、という事になります。しかし品格とは言っても、それは前シテの出自と比べた場合の、一種のヒエラルキーの違いのようなものであって、優美・繊細といったものとは少し違うようです。華やか・きらびやか。そう考えた方がふさわしいように思います。先にツレの登場の「次第」の囃子について<ツレ遊女とそのボディガードのような従者の登場を囃すので、位はサラリと打たれます>と書きましたが、このツレは親の追善のために善光寺詣でをする途次なのですが、このツレの登場の場面は ぬえにはお花見や紅葉狩に出かけるような、そんな遊興の匂いが感じられます。