のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

イスラム国

2014年10月16日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨今何かと話題の「イスラム国」という呼び名が妙に気になる。別にイスラム教の国家を示すわけではなくただの団体名ですが、変な日本誤訳にしないで向こうの呼び方で良かったのではなかろうか?それともよっぽど発音が難しかったのだろうか?「国」とはいると正当性を感じてしまいます。
 「アル・カイーダ」だって「ネットワーク」や「情報網」なんて意味ですが、情報を飯の種にするメディアにすれば「テロ組織”情報網”による同時多発テロ」なんて言い方は使いにくいでしょうね。

 

 シリアにのこのこ出かけていって人質になったサバゲーオタクは語る価値もありませんが、テロ組織イスラム国の活動に参加しようとした北大の学生についてはいろいろ思うところがあります。
 今回の事件には北大の教授も関わっていたみたいですが、思い出したのはイラク戦争の時に人質になって、日本政府が暗躍して解放された3人がいました。
 そのうち二人は北海道の人だったと記憶しています。一人は女性でイラクに支援活動として出向いていた人物、家宝されて日本に戻ってきた後も、戦争被災者を放っておけないと再びイラクに行ってしまいました。

 

 もう一人はまだ二十歳そこそこの若者でなんだかわからないけれど暇つぶしに行ってたような青年でした。
 この暇つぶし青年の家族が、政府の対応が云々とクレームを発して「事故責任」という言葉が世に強く印象づけられたと記憶しています。行くなと行っている場所に、巧妙進化なに頭の下心があって出かけていって、トラブルがあれば国に文句を言ってくる。しかも、この一家が新左翼のような反政府的な活動をしている一家だとかで「自作自演じゃないか?」と噂されました。

 

 内戦が終わったカンボジアの支援に国際奉仕活動の一員として参加した日本人民間青年が射殺される事件が向かしありましたが、この父親は国と日本のみなさまに心配とご迷惑をおかけした、息子の意志を継いで自分も世界のために役立つよう活動していきます。と凛として答えた姿が印象的でした。自衛隊の海外派遣を巡ってがたがたしていたメディアは、おおむねこの父親を快くは思っていなかったようですが、あの北海道の青年の家族と比べれば品格が月とスッポンです。

 

 さて、話は北大生に戻りますが、やりがいを求めてなどと動機が子供じみているのに、わざわざイスラム教に入信して渡航しようと試みていたと言うのですから、何かきな臭い物が背後にあるのでは?

 

 と、勘ぐりつつも、よく思い出してみれば私もアルバイトでイスラム教徒になったことがあったっけ!と他人事のように思い出しました。
 学生の時に東京に駐在している某中東国家の大使館関係のモスクの改装アルバイトで、イスラム教徒でなければ工事に携わることができないと言うので、大工さんや左官屋さんや電気屋さんなどみんなでイスラム教徒になって、職人さんたちは作業で忙しいから施主とのつなぎ役に外国語がわかり、目先の金には思想と節操のない学生バイトで私が雇われました。なんたって中東の産油国で結構単価が良かったので私のバイト代も高額なので喜んでモスクにお参りしてました。

 

 職人さんたちとモスクで洗礼を受けて、「ムスターファ」と言う洗礼名までもらって、その後職人さんたちと一緒に当時まだ珍しかったもつ鍋屋に行って着工式のお祝いをしました。豚肉は食べてはいけないと言われていたけれど、牛のモツでしたし、酒飲んじゃいけないと言われたけれど仏教界には「般若湯」という方便があります。 
 このとき、イスラム教のパスポートのような手帳をもらったのですが、後にアラブやイランと取り引きするときに大いに役立ちました。さすがシルクロードの商人たちの宗教です。

 

 北大の学生は単なる欲求不満が原因でテロ組織イスラム国に荷担しようと思ったのでしょうが、かつてその欲求不満の固まりが中東で暴れまくったことがありました。連合赤軍です。
 シリアなど赤軍の進入を警戒していて迂闊に「Red Army」なんて言葉も口にできない国だったんですが、そんなところに事情も知らない日本の若者がのこのこ出かければトラブルに巻き込まれないわけがない。

 

 それより怪しいのは北大教授と募集広告の張り紙をしていた古本屋のおやじだと思います。

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逆パワースポット

2014年10月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 先週から近隣市町村にある山奥のお寺の山林の手入れをしています。

 

 開山は古いものの住職が棲みつかないお寺で、お寺の所有する裏山が荒れて獣の住処になっていると言うので、見通し風通しが良くなるように木や藪を伐採する仕事を頼まれました。

 

 お寺の裏山と言うのは興味深い遺物の宝庫で、このあたりにたくさんいたと言われる隠れキリシタンの遺物があったり、古い裏街道や抜け道が存在していたり、歴史的な人物のお墓が発見されたり、これはこれで興味深い歴史・民俗が隠れているものです。

 

 私と一緒に作業している人も、子供の頃自宅近くのお寺の裏山で忍者ごっこをしていたら、森の枯葉の中に大きな石塔が倒れているのを見つけ、大人たちが調べたら真田家ゆかりのお墓だったそうです。

 

 近年山の手入れをしなくなったので、およそ人も入り込めない林の中に祠があり、隠れキリシタンをにおわせる十字が刻んであったなんて発見は私も経験しています。

 

 今回入っている山の反対側の里は隠れキリシタンが住んでいたと言われる集落があったので、山を越えてこちら側にも来ているだろうか?真田おとりつぶしの際に奥山に逃れた武家の集落もこの下流にあるので、落ち武者の痕跡でもあるだろうか?なんてことを想像しながら山に入っています。

 

 先週の金曜の午後のことですが、お寺の裏の谷筋に入ったら何か違和感がありました。息苦しくなって汗が噴き出してきて、ナトリウム不足だろうか?自動車の中にポカリスウェットがあったな。なんて頭に浮かぶのですが、足が進まない。山の中のあちコ日獣の踏み跡があったのに、この一帯だけは獣も避けて通っているようで、笹の藪に獣道もない。

 

 刈り払い機で湿った平坦地の笹を刈り払っていたのですが、右足が何かにひっぱられるように不用意に前に出てしまう。刈り払い機の歯に当たったら大変なことになります。

 

 4-50m先に民家の集落と畑があり、そこまで行けば大丈夫と頭に浮かんでも体が進まない。妙な気配を感じるのですが、獣の気配でもないしどこかで見られていると言うより周囲を包まれているような感覚。なんだかわからないけれど、怒りや憎しみめいた感情が湧き上って来るので”こりゃぁ尋常じゃないぞ、憑依される前に逃げよう”と道まで出てきて、30mほど離れて作業していた一緒に山に入っているおじさんに「妙な違和感があるんだけど」と言うと、「俺もなんだよ。」

 

 60代半ばですがフルマラソンを3時間少々で走るアスリートなので、このくらいの仕事では汗もかかない人なんですが、顔面から汗が噴き出していました。「胸が苦しくなって心筋梗塞かな?と思ったんだけど、胸の右側が締め付けられるんだよ。」

 

 山の中で「何かあった場所だな」と不快感を感じる時は、だいたい何かあった場所で、こういうときには歓迎されていないのだから早めに退散することにしています。だけど、これほど邪気を感じたことはなかったので恐怖はないものの身の危険を感じました。人間よりもっと大きな「気」が取り囲んでいるような感覚がありました。

 

 なんかいわくつきだな。ケガをしないうちに別の場所に移動しようとクルマまで戻ると立っていられずに座り込んでしまいました。大汗をかいた時のために味塩のビンに食塩を持ってきているので、まずは塩分補給とビンを見たら食塩がベタベタになっていました。

 

 お昼に別の場所でゆで卵を食べた時に使った食塩ですが湿気で固まったと言うよりは溶けた感じで、それもふたを開けっぱなしで何日も置いたのならわかりますが、2時間やそこらでこんなになるのかな?とにかく気力が充実した朝に手を付けようとこの場を離れて、別の場所に移動しました。

 

 昨日は雨だったので、この近所の人に聞いたらいろいろいわくつきだった場所だそうで、その昔、山の鎮めにお寺をこの場所に移転してから住職が住みつかなくなってしまったそうです。

 

 大雨で谷から鉄砲水が出てお寺付近の墓地を土砂が押し流してしまったこともあったそうです。そのため、沢が埋まって沼地とまではいかないもののジメジメとぬかった場所があり、人が通る道に石畳のように石が敷き詰められているのですが、戒名が彫られた石なので、土砂と一緒に流された墓石を道に敷いたんでしょう。

 

 今朝、天気が良かったので午前中に一気にケリをつけちゃおうと、かつて忌場だった谷筋の整備に取り掛かりました。近所の人が「下手なお札よりよっぽどご利益があるから飲んでから仕事しらっさい。」とリポビタンDを持ってきてくれました。

 

 前回ほどの不快感はなかったものの、リポビタンDのご霊験で事故もなく午前中に作業を終えることができました。午後に入った場所は全然違和感を感じることなく快適に作業できましたが、林の中に水神様の祠を見つけました。

 

 下には川も流れていて堤防で川と隔たった田圃もありますが、多分、元の地形は川が蛇行してやはり水害があった場所だったんだなと察しました。水神様の祠の周りをきれいにして日当りを良くし、地面に落ちていた石の屋根を祠に戻し、盛り塩をしておきました。

 

 不気味な場所をかたずけたので気持ちが楽になりましたが、逆パワースポットだったようです。

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半ば

2014年10月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風19号、ずいぶんゆっくりやってきた割に急激に速度を上げて通り過ぎてしまいました。幸いこちらは大した雨もなかったのですが、北海道では雪になったり東北でも大雨になったみたいです。

 

 こちらはむしろ昨日より台風一過の今日の方が雨の量が多いのでは?と思えるほど、延々雨が降り続きました。台風が通り過ぎるとウソのような青空が広がるものですが、今回はやけに雨が尾を引いています。

 

 天気が良ければ武尊山頂付近の新ルート開拓の踏査に行きたかったのですが、この天気では無理なので、次の週末まで先延ばししましたが、いつ雪になるのか?気になりだしました。

 

 確か、山田昇杯登山競争の時は10月の第二日曜日で、何回か大会を経て10月の第一日曜日に日程を変えました。それでも、武尊山の山頂はいつ雪が降ってもおかしくないので、山頂で番をする山岳連盟の会員は冬山装備を持って山の上で待機していました。

 

 当時は女性5㎏、男性10㎏の荷物を背負って参加しなければならなかったので、こうした寒さ対策の装備も持っていけましたし、登山競争に参加する選手も登山上りが多かったので、寒さに対する装備の心配はあまりなかったのですが、今や極限まで荷物も体も絞った選手が走るので、この3週間の気候変化は大きいです。

 

 この寒さを考えるととても10月に大会が開けるような山ではありません。

 

 鎖場を通過せずに山頂まで登れるルートを模索中ですが、標高2000m付近に岩場のバンドが山を巡っているので、何とか弱点を見つけてルートを開けたいのですが、地図や航空写真ではなかなか現実とは重ならないので、藪をかき分けて自分の足で調べるしかありません。

 

 4kmから5kmほど新しい道を開ければ登山者とトレランランナーが接触するような場所はほとんど回避できるのですが、できれば大会に関係なく多くの人に来てもらいたいから、すれ違えるように道は広い方がいいね。などと計画がだんだん大きくなるのも楽しいもんです。できれば自分たちが作業するのでなければもっと楽しい。と、言うより、計画が大きくなるほど現実がのしかかってくるので、”もっと歩かなくて済むルートに変えませんか?”と言う気持ちもないわけではない。

 

 自分が歩かなくて済むならねぇ。

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体育の日

2014年10月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 日光白根に登る予定でしたが、朝から怪しい雲行だったので取りやめました。昨日・おとといの晴天と今日の冷え込んだ曇り空。事故がなければよいけれど・・・。

 

 2週間連続でやってきた台風におろおろしているうちに10月も半ばになってしまいました。

 

 一日お天道様が顔を出さなかったので、家の中で最高気温が15度。そろそろストーブが恋しくなりますが、灯油1リットル104円なのでもうしばらく我慢です。

 

 台風シーズンが終わって雪が降るまでの悪天候は冷たい雨が降り、これが身に沁みるどころか身の危険を感じる冷たさ。雨降りは要注意です。

 

 久しぶりの休みになったので世情を調べてみると、興味深い事件がいろいろ起きていました。北の金ちゃん一家の孫が両足首手術で静養中らしいのですが、ちょっと思いついたことがあります。

 

 ロシアでは足に人工骨を埋め込んで身長を伸ばす手術があるそうで、1cmあたり日本円で100万円くらいと聞いたことがあります。

 

 金ちゃんと言えば金ちゃんパパも背が低くてシークレットブーツを使っていたとうわさされています。金ちゃん孫も身長に劣等感を持っているようですから、実は両足に人工骨埋め込んで身長を伸ばしていたなんてことはなかろうか?それよりも、あの肥満も問題だと思いますが、金ちゃん国の南には整形大国があり、顔面のみならず歴史もスポーツのルールも整形してしまうほどです。ちょいとトンネルくぐって整形外科医を拉致してくれば可能かもね。

 

 ついでに顔も小顔にして目もぱっちりした二重にして、韓流スターのような顔になって姿を現したら?ブサイクだから黙っていた子分や人民がいよいよ「我慢ならねぇ」と怒り出すかもしれません。

 

 ところで、今日は何の祝日?体育の日だったっけ?

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2014年10月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 地区の道普請の勤労奉仕でした。

 

 台風が接近しているので排水路の中や、水路をふさぎそうな木の枝や草をかたずける作業をしました。

 

 午後、高齢者家庭を訪問して台風対策や非常時の案内などをして回りました。何軒かまわっていたら、百人一首クラブのお年寄りがカセットテープの読み手を相手に百人一首の練習をしていました。

 

 「もうろくしてても、毎回同じテープ聴いていると順番を憶えちまった。」と言うので、それじゃぁカセットテープに成り代わって読み手をいたしましょう。と読み手を引き受けました。毎日こんなことをしていると見えて上の句を読み終える前に札を取ってしまうので、「歌の意味なんか全然気にしない」ことが強さの秘訣なんだろうか?

 

 2-3回読み手をやってお暇するつもりでしたが、都合の良い読み手が来たといつの間にか8人ほどお年寄りが集まってプチ百人一首大会になってしまい、夕方までお付き合いさせられてしまいました。

 

 はたして防災の役に立ったのか?全然役をなさなかったのか?大型台風が目前に迫っているのに、雅な人たちです。

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嵐の前の静けさだったりして

2014年10月11日 | 日記・エッセイ・コラム

 コンビニ弁当生活で体を壊して入院中だったヤマさんがめでたく退院し、さっそくスーパーの弁当を食べたようです。

141011  いよいよ来年のトレランに向けて新しいルートの選定や、関係各位への根回しが始まりますが、候補地の下見にしてもルート開拓にしても「雪」と言う厄介な障壁が出てきます。

 

 渋滞要因の鎖場を通過せずに武尊山頂に到達するルート設定にしても、笹で覆われて表面からはわからなかったけれど、同じ標高付近が岩盤のバンドになっているような様相がわかってきました。下調べに踏査しようにも人の背丈を超える高さと太い笹の中をどうやって突き進むか?周囲が見えないので自分の居場所もわからない藪をどう攻略するか?何より自然環境との妥協と折り合い。頭が痛い問題です。

141011a 今回の台風19号も大型台風になりそうな気配です。

 

 あのまま真っ直ぐ朝鮮半島に抜けてくれれば被害はおろか、公害をも吹き飛ばしてくれるのでしょうが、星野仙一も驚くようなシュート回転で日本を縦断しそうな様子です。

 

 この台風の影響で、ようやく色づき始めた山の樹木も一気に葉を落としてしまうかもしれません。

 

 8月に台風が来なかったからどこかでしっぺ返しが来るとは思っていましたが、何もこの時期に来なくてもよさそうなものです。

 

 とはいえ、嵐の前の静けさで、真っ青な空が広がる一日でした。

141011b 山の木道を補修しているおじいさんと孫に会いました。製材したから松の分厚い板を、背中に背負って孫が山の中まで運んできて、おじいさんが腐った木道と張替える作業で、 この春に市長が変わってからこうした事業も良く行われるようになりました。

 

 山の仕事はほとんどが高齢者ばかりになってしまい、若い人たちは稀です。理由は、仕事と労働賃金が会わないからで、アベノミクス以来こうした作業に対する賃金は上がっているのですが、途中で抜かれる費用が大きく、多分発注金額の半分か4割程度の賃金で作業に従事していると思います。

 

 請け負う業者や組合にすればデフレスパイラル時代の負債があるからと言いたいのでしょうが、地方創生を考えるならまずはこの末端を何とかしなければならないでしょう。最近人手不足を囁かれる都市部に若者が移ってしまうのも止められません。溜まりたまった怒りが噴火して、そのうち大嵐になるような気もします。

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文学賞?平和賞?

2014年10月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 メディアが騒いだにもかかわらず、日本はノーベル文学賞も平和賞もとれなかったようですね。

 かつて、毎年のように候補に挙がりながら文学賞の受賞を逃した作家に井上靖さんがいました。いつ、何回読んでも読み応えある大河小説を描いた作家だと思いますが、翻訳家次第だったんだろうか?

 村上春樹小説は「ノルウェーの森」しか持っていないのですが、古本屋に行くと100円コーナーのような在庫セールの段ボール箱に必ず入っているので、入手しやすい本を書いているようです。

 

 村上春樹デビューと学生生活がほぼリンクするので、雑誌の群像で賞を取った新進気鋭の作家だと知ってはいましたが、同じ時代に村上龍や田中康夫などの若手作家が注目された時代だったので、特に注目していませんでした。海外に行って村上春樹の名前を耳にするようになり、いい翻訳家がついているんだなと思っていましたが、妙なひねりがない文章なので、翻訳しやすかったのかもしれませんね。

 

 村上春樹作品を読んで、「こうあるべきか?」と自分を変えるきっかけは思いつかないのですが、井上靖作品も川端康成作品も人格形成に一役になっていたなと思うことはしばしばあります。これがペンの力だと思います。

 

 ノーベル平和賞は戦争放棄をうたった憲法9条が候補と一部メディアが騒いでいたけど、同じような憲法ならイタリアはじめ他の国にも存在しているんですけどね。平和賞の評価に値するのなら憲法よりも日本人の国民性そのものだと思うのだけど。

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カムイ

2014年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 トレランの大会が終わって落ち着いたので、目の治療を始めたタケさんですが、来週には手術をしなければならないみたいです。

 

 夏前から目の違和感を感じていたとかで、8月に入ってから病院通いして、今年の冬は猟をしないと狩猟許可の申請もしていなかったそうです。シカやクマや北朝鮮の工作員と間違えて人でも撃ってしまったら大変なことになります。

 

 完治は難しいとかで、少しでも良い方向へと長い付き合いになりそうな病気だそうですが、年齢相応にどこかしら体にもガタがくるものなので、そこそこ折り合いをつけながら共存していくことも必要なのかもしれません。

 

 自然の世界では体力の衰えなどがより強い動物に捕食される要因になりますが、長年鉄砲で獣や鳥を撃ってきたタケさんだけに祟りじゃねぇか?と皆に言われています。「みんなだってシカの干し肉食ったじゃねぇか!同罪だろう!祟りのおすそ分けだ。」とタケさんが言うので、そのうち我々の体にも異変が起きるのかな?ってことは、シカの干し肉に何らかの感染症が?

 

 改造手術の末、タケさんの目が暗視スコープ付のズームになれば、保育園のお子様たちもお喜びのことかと思いますが、おじさん的には眼帯をした隻眼の猟師なんてのもオツな味わいかもしれません。白戸三平の「カムイ伝」に出てきそうな追手の猟師役みたいです。

 

 「カムイ伝」と言えばリアルタイムで雑誌に出ていたころ、私はまだ幼かったので憶えていませんが、その頃小学校高学年だったタケさんは「時折少年サンデーに出ていたマンガでよく憶えているよ。テレビのアニメになったこともあって、カムイが終了してサザエさんが放送されるようになったんだ。急に男の漫画から女の子向けの番組になって面白くなかった思い出があるよ。」と、さすがに時代真っ只中を生きてきただけによく覚えているようです。

 

 「カムイ」がテレビで放送されていたのはおぼえがありますが、私にたちの年代には難しかった記憶がります。同じ頃に忍者番組で「サスケ」があり、私たちにはこちらの方がとっつきやすかったのでよく見た覚えがあります。

 

 「カムイ伝」には被差別問題などが含まれているとかで、今の時代に再放送するには何かと問題があるみたいですが、藪や森を信じられないスピードで駆け抜けて行くあんな連中がトレランに参加してきたらタイトル総なめにされるだろうな。

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取り越し苦労

2014年10月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 皆既月食は雲に隠れて見ることができませんでした。台風19号はどうやらこの連休に直撃するみたいです。10月10日は天候が良い日が多いと言うことで東京オリンピックの開催日荷ったそうですが、今年は10日に台風が上陸する可能性があり、10月10日の台風上陸は多分、今まで観測されていないと思います。

 

 三連休のど真ん中に地区の秋祭りが入ってしまったので、13日に日光白根に登ってこようと計画していましたが、天候はよくないみたいです。今年は夏ごろから天候に翻弄されています。

 

 おかしな天候、火山の噴火、小規模な地震の連続、まともな行いをする某氏etc、奇妙なことが続くと何かの前触れ?と心配になってしまいます。こういうのを杞憂(きゆう)と言います。

 

 今の河南省あたりにという国があり、そこに住む一人の男は「もし天と地が崩れてしまったら、身のよせるところがなくなってしまいどうすればいいんだろう。」と考えると心配で、飯ものどを通らず、夜も眠れませんでした。

 一方、そんな友人を見ていて心配をした男がおり、出かけていって言い聞かせました。

 「天なんてものは空気が積もっただけなんだ。空気のないところなんてありゃしないよ。体を曲げたり伸ばしたりだって天の中でやっているんだ。どうして天がなくなるなんて心配するんだね。」

 「天が空気の積もったものならお日様や月や星が何で落ちてこないんだね。」

 「お日様や月や星などは空気が積もった中で輝いている部分なので、落ちてきたって当たって怪我をさせるようなことはしないよ。」

 「それなら、どうして大地は壊れないんだね?」

 「大地は土が積もっただけで、それが四方に満ち満ちているいるので、土のないところなんかありゃしない。飛んだって跳ねたって、いつも大地の上にいるじゃないか。なぜ、大地が壊れるなんて心配するんだね?」

 そこで心配していた男は胸がさっぱりしてたいそう喜んだそうです。言い聞かせた男も気が晴れて安心しました。

 「杞憂」(いらぬ取り越し苦労をする)(いわれなき心配をする)の語源となったエピソードです。「杞憂」は列子の「天瑞篇」に出展されています。列氏はその解釈として付け加えています。

 「天地が壊れるという者も、壊れないという者も間違えている。壊れるとか壊れないとかは我々の知ることのできないものだ。さりとて、壊れるという者にもひとつの道理があり、壊れないというものにもひとつの道理がある。生は死を知らないし、死は生を知らない。将来は過去を知らないし、過去は将来を知らない。天地が壊れるとか、壊れないとかをどうして我々が心に入れて考慮できようか?」

 

 いらぬ取り越し苦労の裏側には「自分だけ助かりたい」と言うあさましい欲があったりしてね。

 

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受賞

2014年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 ノーベル物理学賞。日本から受賞者が出ましたね。

 

 LEDか光触媒が日本の注目株だろうなとは思っていました。それにしても、ソビエト崩壊の混乱したロシアでさえ道路の信号がLEDだったのに、その頃の日本は信号をLED化することに賛否両論渦巻いていて、要は電球交換の業者が天下りの温床だったのでこの利権を手放したくなかっただけだったんですが、そんなことしてたらLED化から取り残されていたと言うお粗末なことがありました。

 

 これじゃいかんと政権交代したらもっとお粗末になったと言う情けない時代もありましたが、今回の受賞者の中村さんが日本を見限って米国籍を取った気持ちもわからなくはない閉塞感がありました。あのおじさん少し「我」が強すぎるところもありますけどね。

 

 閉塞感と言えば昭和50年代の日本も閉塞感にあふれていて、一本のレールから外れたらもうおしまいみたいな息苦しさを感じていました。つまり、受験勉強に嫌気がさしていたんですが、受験戦争勝ち抜いて大学に入ってその先どうなるの?って漠然とした不安と不満がありました。

 

 何かやりがいを、と、左翼運動に走る奴や原理研(統一教会の学生)に入り込むやつなどもいましたが、健康的に山登りに首突っ込んで人生狂わしちまった。

 

 高校生の時、駿台の模擬試験にを受けにお江戸に出て、気持ちが高揚するどころか意気消沈しちまって、せっかくお江戸に来ているんだからアメリカ領事館に亡命申請の手続きのやり方を教わりに行きました。

 

 当時はソビエトをはじめ東側のスポーツ選手やアーティストが日本に来てはアメリカ大使館に駆け込む時代でしたので、ただでアメリカ旅行ができるかも?と甘い期待もありましたが、アメリカで「ベニハナ」と言うステーキ屋を成功させたロッキー青木と言う青年の活躍にもあこがれを感じていました。

 

 領事館で「亡命申請はどうすればいいんですか?」と素朴に質問したらどえらい騒ぎになってしまって、別室に呼ばれて年派鵜の日本人職員に得々と説教され、洋食屋に連れて行ってもらってスープに入ったスパゲティーを御馳走してもらいました。スープに麺が入ったスパゲティーを食べたのはこの時が初めてで、お説教は右から左に通り抜けてしまいましたが、スパゲティーごちそうになって大変満足でした。何事も挑戦してみるもんだなとちょっぴり自信を持ってしまいました。

 

 米国籍になった中村さんを見てなぜかあの時の感覚を思い出してスパゲティーを食べたくなってしまいました。

 

 高校卒業間近に現国の先生が「少年には失策、老年には悔悟。今の君たちには失敗できる特権がある。年老いてあの時やっておけばと後悔しないように失敗を恐れず壁にぶつかりなさい。」と言われました。

 

 既に失敗ばかり繰り返していましたし、全然懲りない性格なので老年が近くなって「悔悟」はあるようなないような、ほどほどでようござんした。と言った感覚ですが、親の介護をせざるを得なくなってから思うには、国語の先生は「悔悟」と「介護」を取り違えていたのでは?老年には介護が正解だったのでは?

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無事通過

2014年10月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風は無事通過したみたいですね。午後には青空が出ました。

 

 早朝から地区の水路の見回りをして、雨水がスムーズに排水路に吸い込まれているか確認し、地区の独り暮らしのお年寄りや高齢者世帯を回ってから朝食です。

 

 山の樹木が水を吸い上げない季節になったので、山の保水力が落ちている時期に見えますが、このところの天気続きで山が水を落としていたこともあり、まだ雨をため込む余裕があったようです。大雨が一瞬にして降ったわけではなく、時間をかけて多くの水量が降り注いだことも幸運だったかもしれません。いつもなら水が湧き出してくる箇所も静かでした。多分一日か二日後にそこから水が湧き出してくるでしょう。

 

 今日は父の介護認定の説明があり、弟たちもこちらに顔を出しました。弟たちはいわゆるマスオさん生活で、それぞれ奥さんの親と生活していますが、どういう因果か親の面倒が重なるめぐり合わせみたいです。すぐ下の弟は嫁さんの父親がガンで入院したばかり。一番下の弟はしばらく前に嫁さんのお父さんが心筋梗塞で入院しこれから人工透析が必要になるのかの瀬戸際みたいです。幸い皆頭の方はボケていないのが救いです。

 

 ここで自分の親が要介護と言うのも弟たちに酷なので、とりあえず現状を知っておいてもらうことしかできません。今のご時世、親の世話ができるのも特権だと思って苦労する姿を子供に見せておけと、嫁さんの親の世話を優先させて、こちらのことは心配させないようにするしかありません。

 

 こちらは足が悪くて歩くことが困難なので半分寝たきり状態になっていますが、この夏つけた梅酒を隠れて飲み干して転がったことが足を痛めた原因です。幸い骨には異常がなかったものの、昨年ガンで胃をとっているのでなかなか体力も回復していません。

 

 この夏のトレランコース作りの時には早朝5時ごろには山に出て行くので、朝様子を見て山から下りてきてからまた世話をする結構忙しい日々が続いていました。

 

 週何回か介護ヘルパーが来てくれるだけでも大助かりですが、田舎の人は人様の世話になることを嫌うので介護保険を使うことやヘルパーの手を借りることに抵抗があります。他人様の世話になる介護認定の申請には抵抗していましたが、ようやく父もあきらめたみたいです。福祉や保健を「損得」で使いたがる風潮には私も抵抗がありますが、お世話になりつつも依存しない気持ちは持ち続けたいです。

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台風の中で

2014年10月05日 | 日記・エッセイ・コラム

141005 台風18号が雨をもたらしているのに「親子自然観察会」が決行され、湿原の植物観察が行われました。

 「小雨決行」とは言われていたものの、まさかこんな天気の中でやるとは思ってもいなかったので面喰いました。

 

 台風来てるんだよ。標高1200mの山の中だよ。よい子はこういうときには表に出ないでテレビゲームをするもんじゃないのかい?

 

 うっかりしていました。まさかこの雨の中活動するとは思わなかったもので、ゴアテックスの雨具を持ってきてしまいました。高価なゴアテックス製品は持っていることに喜びがあるもので、こんな雨の中ではもったいなくて使えない。高価なものは長持ちするものですが、清水の舞台から飛び降りる覚悟で雨具を使ってしまいました。

 

 こうした薄暗い日には人の行動範囲にクマが出てきている可能性があるので、文字通り「露払い」で一足先に山の中を鈴を鳴らしながら歩きました。多分昨夜で来たと思われる「熊棚」がミズナラの木に多数できていました。

 

 あ~雨合羽が雨に濡れている。

 

 失意の中、無事に観察会は終わりました。幸い。全く幸運なことに全員無事に戻ってこられましたが、台風の最中にこうした活動をすることが「自然を学ぶ」ことになるのだろうか?恐ろしい目に合ってからでは時すでに遅しなんですけどね。

 

 幸いなことに台風の生暖かい風がやや南から吹いていましたが、体が濡れて行動が停まれば低体温症を起こすには十分な寒さです。子供たちの雨具は上からかぶるポンチョタイプが多く、いくら近いとは言えどもこんな装備で山に入ることを憶えさせてはいけない気もします。たかだか1300グラム程度の脳みそで追いつけるほど自然の力は甘くはありません。

 

 気温も低かったしゴアテックスのご霊験で蒸れることなくそれなりに快適でしたが、足元からビチャビチャに濡れている子供たちを見ると可哀そうでもありました。

 

 昨日は北からの強い風が吹いていましたが今日はやや弱い南からの風にやむことがない雨。明日はその両方だろうか?

 

 高校生の時に新田次郎の「聖職の碑」が映画化されて見に行きました。あの事故は大正2年8月26日で、木曽駒ヶ岳に登山した高等小学校の生徒たちが台風に遭遇し、11名が低体温症で亡くなる事故を扱った物語で、小説としてはヒューマニズムを取り上げていましたが、その背景には理想主義者と実践主義者の対立や、統率が取れないリーダーに業を煮やして勝手な行動をとる人たちが混乱を大きくし、およそ「聖職」と呼ぶにふさわしくない混乱に巻き込まれた事故だったともいえるでしょう。

 

 雨の中、最後の一人が山から出るまで待っていましたが、あの小説のことを思い出していました。立場的には教師たちの諍いにブチ切れて途中で逃げ帰ってしまう、生徒に同行した地元青年の立場ですが、老年に近くなっただけ忍耐力が身についたので自分をなだめながらニコニコと見守っていました。

 

 おかげさまで。この場合山の神様のおかげ様でなんだろうか?あっ、今月は神様が出雲に行って留守だったんだ。出雲そばや出雲ぜんざいはなかなかの名産です。学者先生や子供たちがそんなことに気がつくこともなく何事もなく終わったことが有難かったです。運を使っちゃったかな?

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晩秋

2014年10月04日 | 日記・エッセイ・コラム

141004 嵐の前の静けさとでも言うのだろうか?
 強い風は吹いていたものの、天気には恵まれていました。蒸し暑かった昨日よりも過ごしやすかったです。

 
 台風の前なのに強い風で、紅葉が始まった山の樹木の葉っぱが吹き飛ばされそうです。

 
 昨年の台風の前も見かけましたが、今年も台風の強風が吹く中を夢中になって飛んでいるトンビがいました。昨年同様一生懸命飛んでいるのですが風に流されて後ろに下がっている、マイケル・ジャクソンのムーンウォークのような飛び方をするトンビ。風で獲物が飛び出してくるのだろうか?強風になると出てくる変わった趣味を持つトンビ。なかなか理解しがたい行動をしています。

141004a_2   森の中にツルリンドウの実を見つけました。先週は花がが終わった後だったと思いますが、一週間ほどで真っ赤な実を実らせていました。

 


 ツルリンドウの花を見かけるのは8月も終わる頃で、いよいよ秋が来るなと感じさせる花です。この赤い実がなると秋を通り越して、冬が近いなと予感してします。枯葉の上に雪が積もりツルリンドウの赤い実がやけに目立つ季節もそこまで来ているのでしょうね。

141004b  温かい場所ではまだ花をつけているツルリンドウが残っていました。
 リンドウとしては淡い紫です。来週あたり赤い実がなっているかもしれません。
 風は北風だったのですが、生暖かい北風で「凩」と言う字を思い出そうとしていたbのですが、頭に浮かぶのは「楓」の文字ばかり。さてさて、どんな文字だったかな?と車に戻って携帯の辞書で調べました。

 

 一昨年はツルリンドウの赤い実を見つけた日に、湖にカモが飛来しているのを見つけたので、そろそろかなと水辺を眺めていましたが、4-5年前まではこのあたりにいなかったカワウが浮かんでいるだけでした。

 

Отговорила роща золотая
Березовым, веселым языком,
И журавли, печально пролетая,
Уж не жалеют больше ни о ком.

 

だんまり静まり返っている金色のしげみ。

白樺のにぎやかなおしゃべりの舌が止んだ。

雁たちがうら悲しく渡り去るが、

もはや未練を誰に残すこともない。

 

 セルゲイ・エセーニンの詩にこんな一説が出てきます。季節感が違うなと感じたのは「雁たちがうら悲しく渡り去る」光景がロシアの晩秋を示していて、日本ならそれが飛来してきて晩秋です。

 木の葉が落ちたら来年のコース作りの踏査をする予定ですが、本格的な木枯らしが吹いた11月になるでしょう。

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中韓

2014年10月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨夜、山岳会の会議で、山岳連盟主催の日中韓の合同救助訓練に行ってきた会員が面白いことを言ってました。

 

 韓国の救助隊が皆ノースフェイスの登山ウェアを着ていて、韓国ではノースフェイスが安く買えると言うことでした。しかも、韓国限定のマークも違うノースフェイス製品なんだそうで、「それって結局まがい物なんじゃねぇか?」と言う話になりました。

 

 ノースフェイスが出てきたのが30年ちょっと前じゃなかろうかと思いますが、とにかく高くて買えなかった。3年前に型落ちのゴアテックスの手袋を買ったのが初めてのノースフェイスですが、もったいなくてまだ使っていません。

 

 そういえば、最近中国人もよくノースフェイスを着ています。ちょっと前まではKaepaが中国人御用達だったのですが、この1-2年でノースフェイスを街着にしている中国人をよく見かけます。

 

 Leeのジーンズも中国人がこぞって愛用するようになってから姿を消し,Kaepaも見かけなくなりました。いよいよ次はノースフェイスが食われるか。文化さえ食い尽くす恐るべき民族です。

 

 中国では登山を専門とする大学があるらしく、その学生たちが来ていたそうです。反社会的かつ非生産的な登山などを専門として卒業後はどうなるのだろう?辺境の地に追いやるか、ホームレスにでもなれば学んだ知識が生かせるでしょうね。どっちにしても将来性のない学生たちだと思います。

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撃破

2014年10月02日 | 日記・エッセイ・コラム

 朝、通学路を巡視していると藪の中に危険なものを発見しました。

141002 そろそろ食べごろになった紫アケビです。

 こうしたものを野放しにしておくと、クマなどの野生動物が食べに来るので危険です。ほおっておいては危ないのでクマに成り代わっていただきました。これで通学路は安全です。

 

 今年は山の木の実が不作なので、人里に頻繁に野生動物が出現していますが、アケビに関しては例年並みに身がついているようです。

 

 先日タケさんは保育園の子供のためにコナラのドングリを集めていました。「食べさせるんですか?」と聞いたら「なんてこと言うんだ!熊じゃねぇ!」と言ってましたが、保育園の名が「熊の子保育園」。

 

 子供たちがドングリの実をボンドで張り付けて工作を作るためのマチエールに使うのだそうで、ドングリがどのようになっているか見せるために、実がついている枝も採取していきました。

 

 コンビニに行ったらおなじみのおばちゃんが入院中のヤマさんのことを聞いてきました。私に聞いてくるくらいだから情報が不足しているんだなと察しましたが、このおばちゃんが収取した情報に自分の雑感を交えて井戸端会議で喋るのですぐ広まります。真っ当なことを教えても面白くないのでちょっとからかってやりました。

 

 ”おばちゃん気がついていたかな?あまり知られていないことなんだけど、ヤマさんとワンワンは実の親子ではないんだよ。”

 

 どう返答してよいのかわからず唖然とする姿を見て、おばちゃんの頭の中でCPUがフリーズしたのがわかったので、

 ”ワンワンは本当はいいとこの生まれのお嬢さんだったんだけど、わけあってヤマさんに引き取られたんだよ。ヤマさんは血の繋がっていないワンワンを男手ひとつでわが子のように育てていたんだよ。ワンワンも小汚い雑巾のような姿で育っても、グレることなく明るく素直な犬に育ったんだねぇ。”

 

 コンビニのおばちゃんはどうリアクションすればよいのか戸惑っているので、今度はカタカナ言葉を入れて少し横に振ってやろうと、”そんなワンワンの育ち方を見てフランシス・ホジソン・バーネットは小公女を書いたんだね。”

 

 韓流ドラマや花王愛の劇場などの泥沼の恋愛物語にはやたらめったら強くても純文学系には脆いおばちゃんなのでCPUの演算速度が追い付かどころか、メモリーも不足してフリーズ状態のコンビニのおばちゃん。

 

 さすがにおばちゃんっも「ねえねえ、ヤマさんとワンワンは本当の親子じゃないんだって」と報道できないでしょう。当たり前じゃないか犬と人が親子であるわけないじゃん。何言ってるんだ?と言われるのだせいぜい。

 コンビニのおばちゃん撃破に成功しました。

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