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のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

受賞

2014年10月07日 | 日記・エッセイ・コラム

 ノーベル物理学賞。日本から受賞者が出ましたね。

 

 LEDか光触媒が日本の注目株だろうなとは思っていました。それにしても、ソビエト崩壊の混乱したロシアでさえ道路の信号がLEDだったのに、その頃の日本は信号をLED化することに賛否両論渦巻いていて、要は電球交換の業者が天下りの温床だったのでこの利権を手放したくなかっただけだったんですが、そんなことしてたらLED化から取り残されていたと言うお粗末なことがありました。

 

 これじゃいかんと政権交代したらもっとお粗末になったと言う情けない時代もありましたが、今回の受賞者の中村さんが日本を見限って米国籍を取った気持ちもわからなくはない閉塞感がありました。あのおじさん少し「我」が強すぎるところもありますけどね。

 

 閉塞感と言えば昭和50年代の日本も閉塞感にあふれていて、一本のレールから外れたらもうおしまいみたいな息苦しさを感じていました。つまり、受験勉強に嫌気がさしていたんですが、受験戦争勝ち抜いて大学に入ってその先どうなるの?って漠然とした不安と不満がありました。

 

 何かやりがいを、と、左翼運動に走る奴や原理研(統一教会の学生)に入り込むやつなどもいましたが、健康的に山登りに首突っ込んで人生狂わしちまった。

 

 高校生の時、駿台の模擬試験にを受けにお江戸に出て、気持ちが高揚するどころか意気消沈しちまって、せっかくお江戸に来ているんだからアメリカ領事館に亡命申請の手続きのやり方を教わりに行きました。

 

 当時はソビエトをはじめ東側のスポーツ選手やアーティストが日本に来てはアメリカ大使館に駆け込む時代でしたので、ただでアメリカ旅行ができるかも?と甘い期待もありましたが、アメリカで「ベニハナ」と言うステーキ屋を成功させたロッキー青木と言う青年の活躍にもあこがれを感じていました。

 

 領事館で「亡命申請はどうすればいいんですか?」と素朴に質問したらどえらい騒ぎになってしまって、別室に呼ばれて年派鵜の日本人職員に得々と説教され、洋食屋に連れて行ってもらってスープに入ったスパゲティーを御馳走してもらいました。スープに麺が入ったスパゲティーを食べたのはこの時が初めてで、お説教は右から左に通り抜けてしまいましたが、スパゲティーごちそうになって大変満足でした。何事も挑戦してみるもんだなとちょっぴり自信を持ってしまいました。

 

 米国籍になった中村さんを見てなぜかあの時の感覚を思い出してスパゲティーを食べたくなってしまいました。

 

 高校卒業間近に現国の先生が「少年には失策、老年には悔悟。今の君たちには失敗できる特権がある。年老いてあの時やっておけばと後悔しないように失敗を恐れず壁にぶつかりなさい。」と言われました。

 

 既に失敗ばかり繰り返していましたし、全然懲りない性格なので老年が近くなって「悔悟」はあるようなないような、ほどほどでようござんした。と言った感覚ですが、親の介護をせざるを得なくなってから思うには、国語の先生は「悔悟」と「介護」を取り違えていたのでは?老年には介護が正解だったのでは?

コメント
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