日本から戻ったウラジオストクの女性スタッフ。携帯電話に電話したら声がガラガラでした。日本で雨の中を飛び回って風邪気味だそうです。明日には仕事に戻れる模様ですが、この夏、私が風邪をこじらせて1ヶ月近く声が出なくなってしまったことを目の当たりにしていますから、「日本の風はロシアの病院で治るのだろうか?」と気にしているようです。
ウラジオストクで留守番をしていた男性スタッフ(留守番と言うけれど、事務所にはおらず、海に釣りに行ったり山に狩りに行ってた)の言うところでは、「日本でカラオケに行って声が出なくなった」。
富山にはロシア人向けのカラオケがあるようです。
ウラジオストク事務所のスタッフは日本語堪能で日本をよく理解していても「気を使いました。」言っていましたから、なれない外国に来てナーバスになる人がいても不思議なことではありません。
それが誰のせいというわけでもなく、こちらでの生活に向き不向きと安易に判断できるわけでもなく、つまるところ自分自身の問題なのですが、ある意味「真面目」といわれる人ほど神経をすり減らすようです。
あの大雑把で緻密さのかけらもないように見える彼女らが「日本はミステイクが許されないので、”失礼”がないように気を使った。」というのですから、窮屈だったのだろうか?
自分の日常から環境が変わるということはどこでも窮屈感や違和感はあるもので、そうでなければ旅行に出たまま帰ってきません。
近所の農家は正月の煮豆に使う花豆を作っていますが、サルが一つ残らず摘み取ってくれたそうです。
摘み取った豆の殻をむき、天日干しして、袋につめて持ってきてくれればありがたいのですが、そんな芸当ができるような連中ではありません。
サルと人との果てしない知恵比べは続いていますが、どうやってサルの命を奪わずに山奥に帰ってもらうか?と、一応、人には倫理がありますから難しい問題です。
核兵器を持つ連中より我々農民のほうが高い民度を持っているようです。
これだけサルが大量にいると観光客なら大喜びでしょうが、野生を知ってる人にとっては恐いですよ。
とは言え、自分の身の回りからサルの姿が見えなくなってからOKかといえばそうではなく、冬になると山の木々の皮をむしって食べるので木がかれてしまいます。つまりは増えすぎたわけです。
自然の生業で増えすぎれば淘汰されていくしかないのですが、それを無責任な「情」で曖昧にするから、最終的にはもっと悲惨な結果をもたらすように思えます。