ジャガイモは元々南アメリカ大陸原産で16世紀にヨーロッパにもたらされ、普及するまでも様々なドラマがあり、ドイツでは国が強制的にジャガイモつくりを農民に押し付け、フランスでは王侯貴族がジャガイモの花を愛でることにして庶民にジャガイモつくりを普及させ、英国ではジャガイモの芽を王室に食べさせたために毒素のソラニンに中って大騒ぎになったためにジャガイモの普及が遅れた歴史があります。
寒冷なヨーロッパで、寒冷地に強いジャガイモの普及は大きな役割を担っていましたし、もしジャガイモが普及しなかったらヨーロッパ諸国の人口は増えず、植民地も必要なかったのではなかろうかと言う意見もあります。
日本にはインドネシア経由では行ってきたのでジャガタライモ。ジャガタラはジャカルタですね。
新しいことに否定的な保守的意見は当然あるもので、ジャガイモ普及の足を引っ張ったのが「悪魔のりんご」と呼んだキリスト教の古いい一派だったそうです。
ロシア語でジャガイモは「カルトフェーリ」と呼びますが、ドイツ語では「カルトッフェル」。ドイツから入り込んできたことがわかります。
ロシアにも16世紀から17世紀にジャガイモがもたらされていたようですが、普及はしませんでした。
帝政ロシアの皇帝が国有の耕作地に一定の割合でジャガイモを作付けするように詔を発したのが1840年。
これに対して農民達の暴動が起きています。日ごろから皇帝に対する不満が背景にあったことが一番の要因でしょうが、政府が庶民の日常的な食生活に対して干渉したことへの反発や、ジャガイモは悪魔の食べ物と言う迷信もあり、「皇帝は我々にジャガイモを食わせて殺す気だ!」と不平が爆発しました。
いまやロシアの伝統的な主食のごとく鎮座するジャガイモですが、100年も遡れば、食生活を変えることに激しい抵抗がありました。
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