のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

グレープフルーツ

2024年08月26日 | 日記・エッセイ・コラム

 台風10号迷走し始めましたね。東北地方の東側にある熱帯高気圧が力を増したから台風が西に追いやられたようですが、まんべんなく日本列島縦断するんじゃあるまいな?もうちょっと頑張ってもらって半島の方に行ってくれるとありがたいだけどなぁ。

 今月いっぱい天候が怪しい中、今日は何とか持ちこたえる天候。降られたらできない作業を進めておこうと忙しかったのですが、こういう時に限って当て込んでいたカン太君のおとっつぁんが熱中症でダウンしており、茶トラ猫の三井田さんがうろうろしておりましたが、しょせんは猫の手。「餌、なんかクレねぇのかなぁ?」と言いたそうな顔つきで離れた場所からこちらを眺めている。昨日はお休みしちゃいましたしね。

 キツネのミカチャンと猫の三井田さんのエサは持ってきていたけど、私が昼飯を食えない状態になってしまいました。と、言うのも「台風が来る前に薪入荷できますか?」と、ホームセンターからの依頼で、急遽2tトラックにタガ詰めした薪を積んで配達に行ったり、家に用意してきた冷やし中華を食べる間もなく夕方になってしまいました。

 家に帰る途中に中学の同級生宅に立ち寄りました。先だっての同窓会に来られなかったはらからから新しい住所の連絡が入ったので名簿管理している同級生の家に情報持っていきました。

 「お盆飾りの残りもんだけど。」とグレープフルーツを出してくれました。「むかしはこういう食べ方だったよね。」と半切りにしたグレープフルーツにギザギザ付きのスプーン。小学生の頃に突如出現したグレープフルーツ。サンキストだったかのCMで流れたこの食べ方が都会的に思えたものです。砂糖も乗っけて食べたっけ。

 7月に出た新札にはまだお目にかかっていないけれど、グレープフルーツはコマーシャルが流れるとほどなくこの田舎にも姿を見せましたから、新札より流通が早かった。何より娑婆の流行が時をおかずに入ってきたのは衝撃的でした。でも、先の尖ったギザギザ付きのスプーンはなかなか出てこなかった。私も平成になって100均で買ったけど、使う機会はあまりない。

 グレープフルーツの出現で酸っぱかった夏ミカンが大打撃を受けた時代がありましたが、ほどなく甘みを持った夏ミカンが出回るようになり、ミカン農家と農林省がどれだけ品種改良と普及に奮闘したかを感じてしまいます。柑橘類の黒船だったグレープフルーツも今や珍しくもない果物になってしまいましたが、思い返すと過酷な時代だった気もします。その頃ミカンはすでに段ボール箱に入っておりましたが、リンゴはまだ木の箱で、もみ殻を緩衝材に入れて出荷してました。近所の木工所が夏休みが明けたころになるとリンゴの箱を作り始めて仮設の屋根の下に山積みになってくる。

 11月ごろのマラソン大会には参加賞でリンゴがもらえるのですが、クラスにひと箱リンゴ箱が来て、先生がバールで木箱をこじ開け、みんな並んでリンゴをもらう。もみ殻のリンゴの香りがよかったんだ。秋葉機やもみ殻は冬のストーブの燃料になった。マラソン大会の入賞者の商品が、麦飯のアッペン大麦や山芋、もち米など生活物資。近隣の方々学校に寄贈してくれていたんですね。これが昭和40年代の山奥の姿でしたよ。

 流行からは程遠かったけれど、案外、基本をしっかり踏まえた育ち方してたんじゃなかろうか?

コメント
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