のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

サンダカン八番娼館

2022年07月15日 | 日記・エッセイ・コラム

 一日雨で仕事になりませんでした。涼しくて有り難いんですけどね。

 農民作家の山下惣一さんが10日に逝去されていたことを知りました。佐賀県の唐津にお住まいと伺っておりましたが、講演会などで2回ほどお目にかかってます。農家御用達の家の光協会から出版していた本が多く、その月刊誌によく広告が出てました。

 隣町のフォーク喫茶に顔を出してきました。おなじみの顔ぶれが集まってましたが、謎の山岳民族の話になりました。と、言うとサンカやマタギの話になりそうですが、私の町との境にある山の中に棲んでいる60代半ばのおじさんで、電気もなければ水道もない生活をしています。

 たまに下界に降りてきてスーパーで買い物して山の中に戻る生活をしていますが、元自衛官だったんだそうです。そうとも知らず、以前、もし金ちゃんの国の工作員がこの山の中に入ってきたらどうやって駆除しようか、なんて話をしたときに随分具体的に罠の仕掛け方などを解説してくれたのでただ者ではないと思ってましたが、忍者ですね。

 今日は「サンダカン八番娼館・望郷」を観ました。昭和49年の映画なのでリアルタイムでは見ていませんが、早稲田の名画座で見た映画でした。

 栗原小巻と田中絹代が出た映画で、田中絹代最後の映画でした。今更ながらすごい女優さんだなと感心しながら眺めてましたが、娼婦時代の配役は高橋洋子。確か、クラフト(言問橋や僕にまかせて下さいを唄ってフォークグループ)の三井誠さんと結婚した女優さんです。

 何方かと言うと、暇つぶしに見た映画でしたが、最初に映画館で見た時は栗原小巻演じる研究者が、娼婦上がりの田中絹代に接することが、エリート女性が底辺女性に自己満足の慰みで接するように思えていましたが、歳をとって見なおすと、底辺女性の方が重量感ある人生を持っていることが描かれている気もしました。これ、後に色々つながってきた映画でした。

 ボルネオ島にキナバルと言う4095mの山があり、登山に行ってマレーシア側におりました。サンダカンと言う聞き覚えがある都市があるので行ってみました。果たしてどのあたり娼館だったのかはわかりませんが、かつてはから雪さんと呼ばれた出稼ぎ女性が日本から来ていたんだなぁと、町に見入りました。

 からゆきさんゆかりの地でもある島原や天草や島原にも雲仙登山の時に周遊してきましたが、あの頃は隠れキリシタンや天草四郎の方に興味を持っての旅でした。

 島原の子守歌に♪はよねろ泣かんでおろろんばい 鬼池ン久助どんの連れんこらるバイ♪と言う歌詞がありますが、この意味が分かったのは最近のこと。スキー場に天草の青年がアルバイトに来て、鬼池と言う土地があること、久助さんと言う女衒がいたことなど、なるほどなぁと、あの小説(映画)の舞台が天草だったのも腑に落ちました。

 時代は大正から昭和にかけての時代で、お江戸では鬼舞辻無惨様と鬼殺隊が戦い時代ですね。映画に描かれているように娼婦上がりの人が粗末にされていたのかと言うと、そうでもなかったらしく、いい所に嫁に行けたり大切にされていたと伺いました。個人の性質次第なんでしょうね。

 売る方が悪いのか買う方が悪いのか?こうしたことは時価相場で善悪で測れるものではないけれど、最近またからゆきさんが問題になっているようですね。もちろんマラッカやシンガポールではなくUSAらしいのですが、日本人女性の入国拒否が相次いでいるみたいです。

 ひところリゾラバなんて言って、海外リゾート地で買う側として問題が多かった日本人ですが、私がUSAに行ってた頃はイエローキャブと呼ばれる、日本人女性が問題になってました。こんなのメディアが自由恋愛なんてあおるから尻の軽さを認識しなくなっている馬鹿でしかないのですが、仕掛け屋がいるんでしょうね。見事に乗るのもばかなこと。末はエイズか子宮頸がんか?

 時代は海外出稼ぎに出るおねえちゃんたちが出てきましたか。富の流れが変わったと言うことですね。生活のためならある種悲哀もあるけど、どちらにしても見下される。地道に生きろよ。

コメント
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