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魚沼の散歩道

魚沼での、無農薬での野菜作りと四季の変化を徒然にお知らせします。

坂戸山観光

2009-04-20 22:00:57 | お出かけ
今日は、以前から、行ってみたかった坂戸山を見てきました。
魚沼市から、南魚沼市までは、車で30分ぐらいでしょうか。
一週間前に登った友人に案内してもらいました。

午後から歩いたので、途中まで歩いて、帰ってきました。
今、話題の「天地人」の坂戸山なので、平日に行ったほうがいいと思ったからです。
今は、上越の春日山に舞台は、移っています。
もうすぐ、越後から、離れると思うと、残念です。
会津若松に上杉家が移らず、このまま越後に残っていたら、今の新潟は、また違ったのかな?などと考えるのも面白いです。
駐車場は、行ってみるといっぱいでしたが、調度、車が出て行ったので、駐車できました。
坂道は、整備されていて、歩き易かったです。
登り始めてすぐに、家臣の屋敷跡があります。
カタクリが群生しています。

この木を見たとき、天地人の最初にテーマソングと一緒に映る一場面のような気がしました。

屋敷跡を見ながら、この杉木立を歩きます。

もう桜は、葉桜になりかけていて、桜の花びらが風に舞ってきれいでした。
坂戸城の跡は、石垣だけ残っていました。
この前の一本の桜は、満開でした。

坂戸城跡と書いた石碑は、上杉の17代目の方が書かれた字のようです。
六日町の方がわざわざお願いして書いていただいたものなのでしょうか?


石垣の後ろは、杉の木が植えてありました。


カタクリの群生地がありました。広々とした場所は、カタクリが見事でした。
広神のカタクリより花が大きいように思いました。
日当たりがいいからか?などと思いました。

お城は、坂戸山の頂上のあたりにあるのかと想像していましたが、実際は、山の下の方が屋敷後でした。
考えれば、山の上だと水の確保も大変だし、やっぱり麓にあるのが普通だと気がつきました。
途中の一本杉まで歩いて、別の道から帰りました。
一本杉からは、六日町がよく見えました。
この坂と山は、六日町の人たちが日頃から、よく歩く散歩コースのようです。
標高は、六百メートルぐらいなので、80分ぐらいで登れるようです。
次回は、頂上まで行ってみたいと思いました。
下る道のことは、、続きとします。

大原スキー場に出かけました。

2009-02-08 22:40:55 | お出かけ



今日は、この冬始めてのスキーに出かけました。
雪がどんどん消えているので、早く行かないと、雪が消えてしまうのではと思ったのです。
入広瀬にある大原スキー場は、魚沼市のスキー場の中では、一番標高が高い所にあります。
魚沼に住むようになって、今まで、このスキー場には行ったことがありませんでした。
雪が多いときは、途中の山道でよく雪崩が起きたりします。
でも、今年は、雪が少ないので、行ってみました。
スキー場に着いたぐらいから、風と雪が降って来ました。
こんな山奥なのに、結構、県外ナンバーの車が止まっているのは、以外でした。
ここまで、来なくても、湯沢のほうが近いのですから。
雪は、凍った雪の上に新雪が積もっていて、ゲレンデは、まあまあでした。
人もあまり滑っていなくて、ゆっくり滑れました。
ただ、リフトに乗っている時、風が強く吹いて寒くてまいりました。
滑っている時も、時々、下から横から風が吹き付けてきて、眼も開けられないぐらいでした。
それでも、久しぶりに滑って、寒かったけれど、楽しく滑れました。

子供たちは、やっぱり付いてきませんでした。
子供たちは、スキーは好きではないようです。
これからは、子供たちは、付いてこないので、夫婦で楽しむことにしました。
二時間も滑っていたら、鼻水が出てきました。
帰りに、寿和温泉で体を温めて帰りました。
スキーで冷えた体を温泉で温めるのは、最高に気持ちがいいものです。

「愛,天地人博南魚沼」を観て来ました。

2009-02-06 17:09:32 | お出かけ
今日は、南魚沼市に友人と出かけました。
天地人博を観ました。
あまり、人がいなかったので、ゆっくり観て回れました。
昨年の九月に南魚沼でロケした時の写真などや、小道具、衣装などが展示されていました。
主要な人物などのパネル展示などもありました。
ドラマの撮影風景なども上映されていました。
もう、ドラマで放送された場面でしたが、興味深く観る事が出来ました。
中は、撮影禁止でしたが、この写真撮影用の所だけは許可されていました。


ただ、ほんの何回かの場面だけの展示で一年間も開館するのは、無理があるのではなんて思いました。
もっと、資料などの展示もあってもよかったのではと思いました。
例えば、坂戸山の城跡や、上田の庄の現在の写真なども、六日町の人たちには、当たり前でも、観光客は知らないのですから。
でも、楽しく観る事はできました。    

入場券と一緒にコシヒカリ一キロをいただきました。
その後、近くの清流館という、日帰り温泉施設でゆっくりして帰宅しました。
帰りに朱鷺のいる場所に行きましたが、今日も沢山の見物客が車を止めて寒さに震えながら、見ていました。
田んぼの水路で餌取りをしていたようです。
小学生の子供の通学路なのですが、朝の通学中、変な声を聴いたそうです。
大声で「朱鷺ー。朱鷺ー。」と叫ぶおじさんがいたそうです。
近所の人だけでなく、遠くからも見学に来る人たちが増えていくのではと思いますが、朱鷺が安全に安心して暮らせるように気をつけてもらいたいものです。


津山、鳥取への旅

2009-01-09 09:06:43 | お出かけ
年末に、昨年も紹介したもと京都の病院OBたちとの旅行のことを紹介します。
今回は、参加者が少なくて、他の方々との合同旅行になりました。
貸切バスにするには、二十一名では、少なかったようです。
京都までは、夜行バスで行きました。
今回は、時間通りに六時過ぎには八条口に着きました。
さすが、京都です。
早くから、お店が開いています。
そこで、モーニングを食べました。
集合時間は、八時だったので、バスで、四条大宮まで行きました。
大宮から、貸切バスに乗り、岡山の津山で、昔の城下町を観光しました。
森蘭丸の弟が築いたお城が津山城です。
「本能寺の変」で信長と共に亡くなった蘭丸に弟がいたのを今回の旅行で初めてしりました。
お城に登る時間はなくて、残念でした。
お天気がよくて、暖かく、観光には、もってこいでした。
津山城に登る階段の所で、記念写真を撮りました。
春には、桜が五千本も咲いてきれいだそうです。


バス旅行で、大内宿へ。

2008-10-20 23:36:33 | お出かけ
昨日も、よい天気でした。
地域の人たちと、日帰りバス旅行を楽しみました。
福島の大内宿まで、出かけましたが、紅葉は、やっぱり始まったばかりでした。
暖かくて、風も心地よく感じられました。
大内宿は、茅葺の民家が道沿いに並んでいました。
みやげ物店やお蕎麦の店がほとんどでした。
ここで、昼食でした。

新そば、岩魚の塩焼きなど美味しくいただきました。
魚沼の蕎麦も美味しいですが、会津のお蕎麦も細めの蕎麦で、つるつると喉越しの良いお蕎麦でした。
でも、茅葺の民家は、魚沼でも、見られるし、あまり珍しとも思いませんでした。
この建物は、会津のお殿様が、参勤交代の時に、泊まられた本陣屋を復元したものだそうです。本物は、戊辰戦争の時に焼けてしまったそうです。

今は、魚沼は、新潟ですが、江戸時代は、魚沼も、会津藩が治めていたので、戊辰戦争の時に、戦場になったそうです。

四国ともお別れ。

2008-09-05 15:30:21 | お出かけ
名残惜しいのですが、健全なおじさんやおばさんは、午前様の前に、皆さんとお別れしました。
もう、先の?短い私たちは、また、10年後なんていっていると、会えなくなるかも?
と言うことで、二年後に、松山での再開を誓って、お別れしたのでした。
ホテルの前で、記念に、撮りました。


翌日は、大阪に帰る、シーちゃんの車にちゃっかり、もう一人の、三重に帰る彼女と一緒に、同乗させてもらいました。
瀬戸大橋に、乗る予定が、何故か、鳴門大橋~明石大橋で、本州に渡りました。
今までの、お天気がうそのように晴れわたり、すごい暑さでした。
しばらく、四国ともお別れなので、青い海を神様が見せてくださったのでしょう!
淡路島から明石大橋、対岸もよく見えました。





10時ごろに宇和島を出て、16時前に、新大阪に着くまでの、楽しいドライブでした。
シーちゃん、ありがとう。


愛南町から宇和島へ

2008-08-20 22:56:21 | お出かけ
今日も、魚沼は、午後から、夕立がありました。
雨ばかり、降るので、トマトが割れてしまいます。
でも、沢山なっているので、あまり、気にしません。
枝豆を美味しく食べています。
土寄せもしないし、消毒もしない、かまっていなかったのですが、いい出来です。
昨夜、子供たちが京都に、二人で出かけました。
姉の所で、世話になります。
今日は、何となく、家の中が広く感じました。
子供たちが、出て行ったら、きっと、こんな感じで、少し、物足りないような、さびしいような感じになるのだろうなと思いました。
ミミも、少し、おとなしいようです。

8月9日のことです。
愛南町から、同窓会の場所のある宇和島にバスで移動しました。
このトンネルは、鳥越トンネルといいます。
このトンネルのこちら側が愛南町です。
道が二手に分かれています。我が故郷は、由良岬のほうです。


由良岬とも、いよいよお別れです。

須の川の海です。鹿島が見えます。ここでは、海中公園があって、サンゴや熱帯魚をグラスボートで見ることが出来ます。

津島あたりでは、稲刈をしていました。
宇和島城です。小さな天守閣だけが山の上に残っています。
仙台の伊達政宗の長男がこんな所まで、やってきて、明治になるまで、伊達家が治めていました。
だからか、魚沼の方言と似たような言葉もあります。鹿踊りなどもあります。
お城は、下から見上げると、結構りっぱに見えますが、
小学生の時、城山に登って初めて宇和島城を見たとき、あまりにも小さいので、がっかりしたことを覚えています。三層の可愛いお城です。


思い出の木や植物。

2008-08-18 23:50:21 | お出かけ
愛南町は、愛媛の最南端です。
高知の足摺岬までは、一時間ぐらいで行けます。
霜は子供の頃は、見たことがありませんでした。
雪は、何年かに一度積もりました。積もるとうれしくて、不思議でした。
でも、昼頃には、消えてしまい、残念でした。
アラレは、冬になると、たまに降りました。

子供の頃には、大きな松がお寺、神社、祠のある所には、ありました。
しかし、松くい虫にやられて、大きな立派な松は、みな枯れてしまいました。
楠木もありました。
保育園になっていたお寺の庭には、二本ありました。

学校の校庭にも、一本大きな楠木が立っていました。
どちらも、夏には、涼しい木陰を作ってくれました。

高校の玄関の前には、大きなオリーブの木がありました。
今度、通ってみましたが、切られてなくなっていました。


お宮に行ってみました。


松の木はなくなっていましたが、大きな楠木と馬目樫の木は残っていました。

馬目樫は、固いので、高級な炭になる木です。
山には、どこでも自生しています。
ハマユウもありました。白い花が咲きます。目立たない花でした。

学校にもあったのですが、今はなくなっていました。

ソテツの木です。これは、まだ、お宮にも学校にも残っていました。

オレンジ色の実がなります。
子供の頃には、当たり前に、大きな木があちこちにあり、見守られたり、遊んだりしていたことを、思い出しました。

我が故郷

2008-08-17 00:00:36 | お出かけ
愛媛に帰省した時も、雨にあいましたが、魚沼に帰ってきてからも、雨が続いています。今日など、肌寒いほどです。
すっかり、雨女になってしまったようです。
宇和島から、お見舞いに病院に行ったのですが、帰る時は、夕立が降っていました。行く所で雨が降って、まるで、雨を連れてきたようでした。
実家に一泊して、子供の頃に見て育った風景を撮りました。
海と島は、変わりませんが、村は変わりました。
子供の頃、泳いで遊んだ、浜は埋め立てられて、今の子供たちは、せっかく目の前に海があっても泳げず、プールで泳いでいるようです。
段々畑は、山になってしまいました。
一面、見渡す限り畑だったのです。
真珠養殖を個々の家でするようになって、村は変わってしまいました。
今は、真珠も景気がよくなくて、ほそぼそとやっているようです。
 子供の頃、毎日見ていた風景です。リアス式の海岸に、三島です。
夕日がきれいで、よく見ていたものです。
今回は、雨だったので、見られませんでした。

子供の頃に通った小学校は、木造の二階建てだったのですが、火事で焼けてしまいました。
今は、こんな学校になり、校門の場所、校舎の位置も変わってしまいました。

子供の頃の校門は、柵もなく、よく校庭から、ボールが転がり出て、道の向こうは、海なので、落ちたものです。長い棒で取ったり沖に流された時は、ろこぎの舟で取りにいったりしていました。


学校の前から、見える山が子供の頃は、山の上まで、段々畑でした。