エンゼルホープ病院の九州病院の院長は、名前こそエンゼルホープ病院だったが、マチコジブ記念病院からきている人、代々 マチコジブ記念病院の副院長の人が院長になる事が多かった。マチコジブ記念病院は恵が作った病院で、治部ビルがそれ程大きくなかった時代でもあり、寄付集めに苦労し、みんな腰が低く、学会、医師会とも付き合いも上手くいっていた。企業の健康診断もよくしていた。恵は医師たちの待遇とか体制作りには気を付けたが、病院の中身については手を抜かなかった。それだけに財政的にはより苦しかったのだった。エンゼルホープ病院とは違うが、寄付金集めにはみんな苦労して今日があった。
九州病院はその流れを汲んでいて、九州の大学とか開業医たちとネットワークも作っていた。東京本院は元々何もなかった所だったし、神三郎の独立独歩の姿勢で出来た病院であったのと違っていた。
この時も、近在の医師たちとも協力関係が出来て、むしろ 分院の分院みたいな関係を近在の医師たちの病院とか診療所を作り上げた。
診療器具も九州病院から貸して、健康診断をしてもらう関係になった
エンゼルホープ病院は東京本院のみならず九州病院も 寄付でやっていける体制が出来ていた。カヨコファイナンシャルは、この病院を支えるための法人だったのに、恒常的な出費はほとんどなく、加代子からナンダカンダと言われ、診療器具などの新規購入分の費用を寄付として分担していたので、この時に必要な負担も すんなりといった。
九州の医師たちのネットワーク作りも進んで、その核となったのだった。