傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

野田新政権の誕生は、自民党政治の怠惰が遠因(雑感)

2011-09-08 09:25:38 | 民主党(野田政権)

野田新総理は、「怨念政治から脱却」を明言し、「中庸」の姿勢での党内役員人事・組閣は党内融和・挙党態勢を垣間見でき、「中庸」の姿勢で野党折衝することは政権安定化になり、長期政権を予感させますね。
野田新総理の「中庸」の姿勢は、現実解であり、容認できるが、日本社会の「破壊と創造」は疑問ですね。

野田総理は、「カバン・カンバン・ジバン」もなく、政治の世界に飛び込み、24年間の街頭演説をし続け、弱小の政党から政界にはいり、「中庸」の処世術を習得したのでしょうね。
「中庸」姿勢は、現実的な自己実現の方策でもあり、否定できませんね。
ただ、党内融和・挙党態勢を掲げた野田政権を、世の中、好感していますが、何を今更、党内融和かという思いはしますね。

メディアは、野田新総理の誕生について、「松下政経塾」と「日本新党」を取り上げていますが、「松下政経塾」であろうと「日本新党」であろうと、積年の自民党政治に、国民は食傷気味(政治不信)になり、変化を求めていた時期に誕生したのであり、自民党政治の怠惰が起因ですね。

松下政経塾については、本ブログ「松下イズムが政治・社会を変革する?(雑感)松下イズムが政治・社会を変革する?(雑感)」で、松下幸之助氏は、日本の混迷に、人材の育成は不可欠とし、政治家も、基礎勉強(素養)なり、社会勉強が必要という思いで、松下政経塾を開塾したのでしょうと書きました。

「松下政経塾」、「日本新党」の関連で、当方が過去に触発されたのは、松岡正剛氏の「千夜千冊」のエントリー『出井康博著『松下政経塾とは何か』(2006年11月29日)です。
改めて紹介すると、

松岡正剛氏は、細川護煕氏が新党の結党宣言の校正から要請から、松下政経塾の塾生の言動の絡みを書いており、野田佳彦、前原誠司の名前が出てき、松岡正剛氏は、細川護煕氏は松下政経塾を活用したかっただけで、幸之助の哲学にもほとんど共鳴していなかったと書いていました。

そして、
”「日本新党は何の根っこも政治イデオロギーもなかったにもかかわらず、全国を揺るがすブームをおこした。脆弱な殿様の実力はともかくも、自民党は決定的な惨敗を刻印されたのである。この動向を政界再編成しか関心のない小沢一郎が見逃すはずはなかった。細川は一国の首相という“大殿様”になり、そしてたった8カ月で退陣していったのである。」”
と、松下政経塾の評議員であった細川護煕氏は、松下政経塾を利用したと。

その細川護煕氏が、野田佳彦氏のアドバイザー・後見人として、野田佳彦氏と小沢一郎氏の会見をセットしたり、野田佳彦氏の演説を助言したとTVでニコニコ顔で語っているのを散見すると、政治の世界は、私心の集合体としか思えないですね。
マアー、「松下政経塾」も「日本新党」も、硬直化した日本社会への副作用(反自民)だったのでしょうね。

「付記」

① みんなの党の江口克彦参院議員(71)が前原誠司氏を酷評の記事・・・『前原は“腐りかけの饅頭”だ! 野田にも劣る適性「30点」

江口克彦氏は、松下幸之助の経営哲学・理念の伝道師であり、江口克彦氏の意見は妥当性がありますね。





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