傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

松下イズムが政治・社会を変革する?(雑感)

2009-10-17 13:12:13 | 独り言

パナソニック(旧:松下電器産業)の創業者の松下幸之助氏の思いが、なにか、政治の世界にも影響力を持ち始めたかな?という印象を持っています。
「経営の神様」と言われた松下幸之助の信念・理念については、下賤な当方が論評するのは、おこがましいが、松下政経塾出身者が鳩山新内閣で頑張っており、また、松下労組出身者が「連合」の新会長に就任し、松下イズムが政治変革の担い手になっていますね。
松下電器(現パナソニック)本体は、政治の世界から距離をおいている印象があり、「素直な心」の松下イズムとは不可思議ですね。

パナソニックの社史をみると、松下幸之助氏は、

大正7年11月に第1次世界大戦が終結すると、経済界は反動不況に陥った。その後、一時的に景気は好転したものの、不況はさらに深刻化の様相を呈し始めた。そこに、大正9年3月、株式市場の大暴落が起こり、戦後恐慌が突発した。企業倒産が続発し、街に失業者があふれ、労働組合運動は次第に過激になり、社会不安が一挙に高まった。

その中で、松下電気器具製作所はむしろ順調に販売を伸ばし、一見何事もなく推移していた。だが、所主は、この激動期に臨み、「松下電器が将来発展していくためには、全員が心を1つにしなければならない」と考えた。そこで、自分をも含めた全従業員28名を会員とする「歩一会」を結成した。名称は「全員が歩みを1つにして、1歩1歩着実に進もう」との思いからつけられたものである
。」”

その後、組合の母体となる「歩一会」と設立したとあります。
戦後、公職追放時の1946年(昭和21年)には、PHP研究所を創設とあり、

”「悪性インフレの急進に加えて、大凶作による食糧不足に見舞われ、日本は危機に直面していた。道徳の乱れ、人心の荒廃は目に余るものがあり、平和とはほど遠い状態だった。また、当時の法律や制度の中には、社会の実状や人情に合わないものも多く、まじめに働く人ほど損をするといった矛盾点が少なからず見られた。

そうした世相の中で、社主は、これが人間本来の姿なのかという強い疑問を抱き、人間そのものについて、また人間社会の意義について、さまざまの思いを巡らせた。そして「この世に物心一如の繁栄をもたらすことによって、真の平和と幸福を実現する道を探究しよう」と決心した。

そこで、社主はこの「繁栄によって平和と幸福を」(Peace and Happiness through Prosperity)を実現するための研究および運動の機関として、昭和21年11月3日、「PHP研究所」を創設、第1次研究10目標を掲げ、広く社内外の人々に働きかけた。

昭和22年4月には、PHP誌を創刊、翌年2月からは、大阪中之島図書館で毎月1回、研究講座を開催するなど積極的な活動を展開した。
廃墟の中でのこの働きかけは、飢餓に苦しむ人々の共感を得て、PHP運動の波紋は次第に広がっていった
。」”

と戦後の混乱期に、「繁栄によって平和と幸福を」(Peace and Happiness through Prosperity)(PHP)を実現する組織を設立したと書いております。
当時の松下電器の社員が、松下幸之助の公職追放の解除を占領軍に働きかけたとそうです。

昭和21年の労働組合の結成大会に、松下幸之助氏は、

”「松下電器でも、伝統ある歩一会に代わって、15,000人、42支部からなる松下産業労働組合(昭和22年に松下電器産業労働組合となる)が結成されることになり、昭和21年1月30日、大阪の中之島中央公会堂で、結成大会が開催された。

(松下幸之助)社主は、招かれないまま、進んでこの大会に出席し、祝辞を述べた。

この組合の結成により、わが社の民主経営に拍車がかけられると思う。これを期して、全員一致して、真理に立脚した経営を行っていきたい。正しい経営と正しい組合は必ず一致すると信じる

短いながらも、従業員に全幅の信頼を置いたこの訴えに、大きな拍手が起こった。この成り行きは、来賓の、労働運動の闘士たちにも予想外のことであった
。」”

と、戦後、労使騒動が常態化の労働運動が隆盛時に、「正しい経営と正しい組合は必ず一致すると信じる」と祝辞を述べたとあり、昭和51年、松下電器労働組合の結成30周年に当たり開催された記念行事で、

”「今日では労働組合の良識いかんによっては、国が傾き、国が発展することにもなると思う。それだけに、組合は、形なき真実の為政者、国家経営者としての責任意識をもって行動してほしい。今後日本はますます混迷の度を深めると思うが、われわれの手で日本のほんとうのあり方を見出すことに成功しなければならない」と訴えた。

(松下幸之助)相談役は、昭和21年の組合結成大会に進んで出席し、「あいさつをしたい」と申し入れたことを思い出した。その時は、採決を受けてから、壇上に立ち、「正しい経営と正しい組合は必ず一致する」と述べ、万雷の拍手を受けた。その思いに違わず、会社の発展とともに、労働組合も大きく成長してくれたという感慨がわき、相談役は壇上で、当時の委員長だった朝日見瑞氏の手を取り、喜び合った
。」”

と労使協調で会社が発展したと労働組合に謝意を表しています。

パナソニックも、世の常として、労働組合が御用組合化に変容し、労働貴族とは言わないまでも、組合幹部だけの情報交換の親睦の集りがあり、出世の処世術の一つになっていると想像できますが、まだ、松下幸之助イズム(DNA)は引継ぎされているでしょうね。
「連合」の古賀新会長は、パナソニック労組から電機労連の事務局長に従事した経歴があり、松下幸之助イズムを引き継いでいれば、官公庁の組合の専従問題は、下賤の労働貴族の類であり、専従問題も健全化、公務員制度改革、非正規社員の待遇改善に前向きな取り組みを期待します。
マアー、期待はしないが、社会風潮で取り組みせざるを得ないでしょうね。

また、社史によれば、松下幸之助氏は、1980年(昭和55年)に、松下政経塾を開塾とあり、

”「1980年代に入っても、日本はなお混迷の度を深めていた。

「21世紀には日本をはじめとするアジアに世界の繁栄が巡ってくる」と洞察した相談役は、その繁栄の受け皿づくりを熱心に提唱、自らもやむにやまれぬ思いから、その準備のための活動に着手した。国家百年の大計に立ち、「新国土創成論」や「無税国家論」などの壮大な構想を発表、それらを実現するための方策についても、具体的に研究を始めた。

さらに、21世紀に理想の日本を実現しうる為政者をはじめ、各界の指導者を育成するために、私財70億円を投じて「松下政経塾」を設立した。この塾は、昭和53年9月に構想を発表し、大きな反響を呼んだもの。その後、文部省から財団法人の許可もおり、第1期塾生を募集したところ、全国から約900人が応募、3次にわたる厳正な審査の末に、20人余の俊英が入塾、昭和55年4月、開塾した。松下政経塾の研修期間は5年間(特別塾生は3年間)で、「自習自得」を主眼とした研修機関である
。」”

とあり、政治家には、基礎勉強なり、社会勉強が必要という思いで、松下政経塾を開塾したのでしょうね。
松下政経塾の出身政治家は、衆議院議員(31名)(自民党:5名、民主党:26名)、参議院議員(3名)を輩出しており、鳩山政権で活躍しています。

パナソニックを再生させた中村前社長は、松下幸之助DNAだけ残れば良いと「破壊と創造」で、血を流して、松下電器を再生させました。
社長時代に、官公庁案件で「不正行為」が発生した際に、官公庁営業部門を解散させ、営業現場に、「スーパー正直になれ!」と営業実務者に、順法違反したら、無条件に処罰を甘受すると「誓約書」を書かせ、販売ノルマ達成より、誠実であれと自己責任を問うたと聞いたことがあります。

経団連の次期会長候補に中村前社長の名前が挙がっておりますが、仮に就任しても、パナソニックは政治とは距離をおくでしょうね。
松下幸之助イズムの根源は、「素直の心」と思っておりますが、「素直な心」であれば、自社や業界団体の利益第一に、政治は利用しないでしょうから。
パナソニック本体が政治を意識しはじたら、松下イズムも終末でしょうね。
連合も、政経塾も、本業に何ら関係のない話ですから。
むしろ、連合も変容すべきでしょうね。

参考
① 松下政経塾の24期生の前川桂恵三の「松下政経塾日記」
トヨタ式」と「松下イズム」と「京セラフィロソフィー」
http://keizo.livedoor.biz/archives/51148920.html

② 東京新聞 社説「連合新体制 “国民労組”へ脱皮急げ
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2009101002000087.html




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