傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

財部誠一氏の「木村剛氏が果たして極悪人なのか」の問いには違和感!

2010-08-01 06:13:37 | ビジネス

財部誠一氏が、日経BPサイトにコラム『日本振興銀行事件、木村剛は果たして極悪人なのか?』を寄稿し、木村剛氏が社会的批判を甘受せざるをえない軽率さはあるが、木村剛氏は、曖昧な理解、曖昧な判断を嫌う人間であり、検査マニアルを作成したのが木村剛氏で、容疑を否認しており、メディアが報道するほどの極悪人かどうかと疑問を呈しています。

財部誠一氏のコラムは、木村剛氏への擁護の論調で、バブル崩壊後の不良債権問題処理に貢献した人物とし、

”「木村氏はものごとを徹底して合理的に考える人間である。曖昧な理解、曖昧な判断を彼ほど嫌う人間を私は見たことがない。法律に精通していることは無論、現在金融庁が行っている銀行検査の検査マニュアルを作成したのも木村氏である。」”

とし、その木村剛氏が、

”「メール削除はご法度」なんてことは金融機関の管理職なら常識だ。サーバーを調べれば一発で発覚するお粗末きわまる隠匿行為なのだ」”

と、お粗末な隠匿行為をすることは不可解であり、逮捕直前、財部誠一氏は木村氏から直接話を聞く機会があり、「メール削除の指示など絶対にしていない」と彼は断言しており、木村氏がそのようなレベルの低い指示を出すことなど想像ができないと論じ、

”「かつて日本を不良債権地獄から救った男はいまや、ルール無視の極悪人として報道され、そうした報道ばかりが大洪水と化している。異論も反論もない
確かに振興銀行の経営者として木村氏は厳しく問われるべき責任を負っている。だが事実の検証もないまま、次々と彼の人格を全否定するかのような報道が続くことに憤ると同時に、印象論だけで一方的に報道の流れが出来上がってしまう日本という国に心底、恐ろしさを感じる。
 」”

と、日本の不良債権問題を解決に貢献した木村剛氏を、社会的批判を甘受せざるをえない軽率さはあったかもしれないが、木村剛氏の人格否定するがようなメディア報道を批判しています。

当方は、日本振興銀行、木村剛氏について、ブログで取り上げてきました。
日本振興銀行については、昨年2月、本ブログ「再生法申請した商工ローンのSFCGと日本振興銀行との関係?」で、

”「ビジネス再生法申請した商工ローンのSFCGは、昨年、多額の債権を「日本振興銀行」に一括譲渡しており、日本振興銀行は、短期間に貸出残高を増やしており、不良債権のみがSFCGに残ったのではないかと思われ、また、日本振興銀行には、平将明衆議院議員が関与しており、何か胡散臭いですね。
また、銀行が貸さない中小企業への貸付のありかたは、難しいことも事実で、貸さないのが悪いのか?、ノンバンクから高利で借りるのが悪いのか?、取立てが悪いのか?難しいが、問題は地域密着金融機関のあり方なのでしょうね。
」”

と、日本振興銀行のビジネスモデルに疑問視しました。

そして、木村剛氏の逮捕の報道を接して、本ブログ「日本振興銀行:木村剛前会長逮捕・・・才覚に慢心の結果」で、

”「当方は、日本振興銀行の発足当時から金融による中小企業支援に疑問視しており、SFCGらから債権譲渡で業績拡大を日本振興銀行の非常勤取締役の平将明議員が喧伝しているのを見て、金融行政の矛盾と中小企業の再生の難しさを感じていました。
ただ、言えることは才覚だけでは現業には通用しないとことです。
」”

と、木村剛氏の才覚は認めるが、才覚だけでは現業には通用せず、過去の栄光を捨てられない慢心が事件を発生させたのです。

財部誠一氏は、木村剛氏はバブル崩壊後の不良債権問題処理に貢献した人物と称しており、当方も、木村剛氏のハードランデイング指向の不良債権処理について、資金調達で苦労していた中小企業からは賛同意見のあるのは、知っていました。
ハードランディングが最適解だったか、ソフトランディングの選択もあったのか判断できませんが、現在、是非を問うのは不毛な事と思いますね。

当方は、木村剛氏が不良債権問題処理に貢献者であろうが、日本振興銀行のビジネスモデルの破綻は、才覚におぼれた成れの果て、犯罪性については結論がでておらず、極悪人とは思わないが、現場音痴の人間だったという評価ですね。
現場音痴の才覚に、同調した政治家も、程度がしれていますね。

金融だけでは、日本の経済、中小企業は救えないのです。


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