傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

上杉隆氏の「大連立の亡霊」に物申す・・・同感です。

2009-04-18 10:45:20 | 政治


上杉隆氏がダイヤモンド社サイトにコラム『またぞろ動き出した中曽根・渡辺両氏・・・・・「大連立の亡霊」に物申す』で、中曽根・渡辺の政界の長老が語っている「大連立」は、「選挙後の話(社会保障制度の充実、消費税UP、憲法改正)」であり、政治家は選挙前に公約し、国民の信と問うべきとし、渡辺主筆には、「新聞記者なら、その政治力ではなく、ペンで勝負すべきだ。」と批判しています。当方も中曽根元総理、渡辺主筆の語っている社会安定化には、安定政権の必要性という考えには理解できますが、ただ、その手法は、年寄りの憂国というより、跋扈であり、老害と思っており、上杉氏の意見には同感しますね。


上杉氏は、4月10日の時事通信主催の講演会で、渡辺恒雄・読売新聞主筆の大連立について語った


「私は大連立論者で、一昨年の暮れにやって失敗した経験があるが、私の大連立の理想というか、考え方っていうのはどうしても将来の安心・安全な社会を作ろうと思ったら、社会保障制度を、安定的に確立したものにしなければならない。
その場合、財源はどうするか。
その財源としては、もうこれは消費税しかない。
税率を10%ないし15%にしなければできない。
それをやれば、国民大衆も低額所帯、失業対策などなど、かなり安心できるから、消費も増える。
貯蓄よりも消費が増えてきて経済が前進する、そういうふうに考えている次第です」

の発言に、上杉氏は、大連立問題は、一新聞社の「主筆」(渡辺恒雄・読売新聞主筆)が政治のプレイヤーになることに疑義を投げ掛けてたとし、政治の中に手を突っ込みながら、しかも、知り得た情報を一切書かないというのは読者に対する裏切りだとも批判したことが、そうした裏切りがあったことが明らかになったとし、読売新聞は政党機関紙とどうちがうのかと書いています。

同じ講演の中で、大連立騒動のもうひとりの主役、中曽根元首相

「解散・総選挙が行われた後は、やはり政権を安定させなくてはいけない。
そういう意味において、総選挙後は、比較多数の関係になって、絶対多数、安定多数を持つ政党は出にくく、連立内閣になるのではないか。
あるいは大政党間の連立内閣ができて、挙国的勢力を作ろう、という可能性が私は十分出てくるだろうと思います。
その大連立という形が少なくとも1年は続いてもらい、当面の不況対策、それから次に、憲法改正の準備段階に入らなければならない。
政治家として、やはり選挙民から支持を受けた者としては、国の大改革を心がけなければならないので、そのスタートラインが次の解散総選挙で、各党とも公約するという形になるだろうと思います。
そうなるとやはり、挙国的勢力の結集ということが望ましいことであって、やるべきであると、私は思っております」

の発言に、上杉氏は、「政治家が大連立を語り、そのために動くのは何の問題もないと思う。」と理解を示しながら、「大連立の亡霊が問題であるのは、彼らがそう語っているのがすべて選挙後の話だということだ。」とし、「大連立騒動が批判の対象となったのは、実はその内容ではない。国民へ一切の説明もなく、為政者が勝手に「談合」したことにある。そこに国民は不在であった。」と書いています。

上杉氏は、大連立をやりたければ、政治家は選挙前にそう公約すべきであるとし、

「選挙という国民の意思を表すことのできるほとんど唯一の機会を無効にするような振る舞いは許されないはずだ。
本当に国のためを思うのなら、大連立の重要性を説き、国民を説得した上で選挙に臨んではどうだろうか。」

とし、新聞は、政治的志向がありながら、それを隠し、中立を装って報じる続けることのほうが、新聞が自らの意思を表明するよりは問題とし、渡辺主筆の

「安定連立政権を作ったら、消費税で、将来の社会保障制度の絶対的な安定を図る。
それから憲法改正をする。
それと、その小選挙区を中選挙区に戻すと。
この3つをやれば、日本はいい国になると思うんですよ。
坂の上の雲でなくて、雲の下に転落するだけであって、そういうことをそろそろ国民も分かってもらいたいと。
本当に新聞というのはまったく時に有害な存在であると思っています」

の発言について、

「有害な存在であるのは、都合が悪くなるとごまかすこれまでの姿勢にある。
渡辺主筆はこの際、正々堂々と、その紙面で大連立の必要性を説く論陣を展開したらどうだろうか。 
新聞記者ならば、その政治力ではなく、ペンで勝負すべきだ。」

と結んでいます。

当方は、大連立騒動の際に、渡辺主筆の発言と読売新聞の報道内容の不一致に、読売新聞の報道姿勢に疑問を感じたことを記憶しています。

確か、渡辺主筆自ら、小沢代表と面談し、そして、福田総理の代理人(森元総理)との面談の仲介の労をとり、福田・小沢の党首会談に到った経緯を、小沢代表辞任・続投会見で、「自分からは、党首会談、大連立を持ちかけはない」と読売新聞の報道を批判した際に、読売新聞は、「小沢代表が党首会談、大連立を持ちかけた」というのは、根拠があるとして、「小沢代表に、真実を語れ」という論調の記事には疑問を感じ、疑問より、自民党が読売新聞(事実の取材・報道が使命)と情報操作した捏造思惑記事としか思えず、読売新聞の報道内容には、それ以降、素直に、読まないようにしています。

今回、渡辺主筆の「本当に新聞というのは、まったく時に、有害な存在であると思っています」の言葉は、どう意味なのか不明ですが、渡辺主筆と読売新聞報道姿勢の関係を意味するのか?不可解ですね。
個人と組織の関係であれば、影響力・政治力を持つ人間は、個人的な立場と組織の立場の曖昧さは許されず、区別には、明確な意思と慎重さを持つ事が肝要でしょうね。





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