傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

日本最後の焼き畑農法・・・理想形の一つ

2011-10-01 18:33:22 | 社会

9月25日のNHKスペシャルの『クニ子おばばと不思議の森』で、日本で最後の「焼き畑農法」を取り上げていたが、自然と順応した農法というより、人生の理想像の一つではないかと思いましたね。

クニ子おばばと不思議の森』(再放送:10月6日(木)  午前0時15分~1時04分 総合(5日深夜))の番組紹介を転載すると、

”「今なお秘境と言われる宮崎県椎葉村。その最深部の山奥に、今も夏になると山に火を放ち焼き畑を作る「おばば」椎葉クニ子さん(87)が暮らしている。焼き畑と言っても南米や東南アジアの大規模開発に使われている略奪的な焼き畑ではない。毎年焼く場所を変えながら少しずつ畑を作り、4年収穫したら放置して森に返す。

そして30年周期で山全体を一巡する。それは森の豊かさを保つ営みであることを、かつては誰もが知っていた。
年老いる前に切られた木々は、すぐに新たな芽を出し新たな循環が始まる。
人が焼き「かく乱」することで、森は若返り、畑の作物だけでなく、山菜やきのこなどさまざまな恵みを生み出す。かつては日本中が森を再生するための焼き畑を行っていたが、今もそれを続けているのは椎葉クニ子さんただ一人だ。

この山で暮らすため、代々伝えられた焼き畑用の「」を守るため。
クニ子おばばは山の神に祈りを捧げて火を放ち、その恵みを日々の糧とする。草木や、土の中の生き物たちと同じように、人間が自然の循環の一部となって暮らす最後の風景がここにある。縄文以来続けられてきたという焼き畑の営みに込められた日本人の知恵を、椎葉の四季の映像と、特殊撮影を駆使して描く
。」”

と、宮崎県椎葉村の椎葉クニ子さん(87)を主役の焼き畑農法のドキュメントであり、焼き畑農法が森での生活に理に適っているという内容です。

焼き畑農法は、秋に、焼き畑後、30年経過した森を伐採し、翌夏(8月)に、近隣の応援のもとで、伐採した森に火を放ち、「蕎麦」の種を蒔き、火入れから35日後には蕎麦は開花し、秋には収穫でき、翌春には「ゼンマイ」など山菜が芽生える。
火入れした森(焼き畑)は、2年目には「ヒエ」を、3年目には「小豆」を、4年目には「大豆」を栽培し、その後は、自然のままに。
4年目の森からは、「ナラタケ」などキノコ類が成長する。

当方が「理想形」と思ったのは、生涯現役の87歳の椎葉クニ子さんの生き様です。
「焼き畑」農法が、森林を火入れすることで、肥料の3要素(窒素・燐酸・カリ)になり、小動物が土を耕し、菌糸が発生し、植物の成長を促し、30年周期で「焼き畑」することは「理」にか適っていると思うが、そのことより、椎葉クニ子さんの生き様が印象的でした。

椎葉クニ子さんの焼き畑をしている場所は、1500メートル越える宮崎県椎葉村の奥で、「平家の落人」が住み着いたという場所で、過去は諸々の苦労が絶えない歴史があったと想像できます。
椎葉クニ子さんは地元で生まれ、嫁いで63年間、焼き畑を続けてき、番組で、”「火、水、塩さえあれば 世渡りできる」”、”「焼き畑農法変えることがどうしてもできない農法だものね。森が無いと焼き畑できんですよ。これだけはどうすることもできない。」”と語っております。
この言葉は、含蓄ある内容ですね。
番組では、『人は森を活かし、森は人を生かす。森が死ねば、人は死ぬ』と結んでいますが、当方が触発されたのは、87歳の椎葉クニ子さんが現役で元気な姿です。

当方は、本ブログ「農文協の主張:復興に名を借りた漁業権・農地所有権の自由化を許すな・・・共感」で、

”「秋山弘子女史の「WEDGE Infinity」に寄稿の『高齢者はゲーセン通いより地域で就労を』で、秋山弘子女史は、定年退職後も、高齢者は何らかの形「生きがい就労」で働くべきとの考えであり、当方も、定年退職後も、高齢者は「社会貢献・社会参加」すべきという考えであり、その延長線に、限界集落への労働奉仕があり、理想は「生涯現役」でね。」”

と、「生涯現役」を理想を書きました。

また、本ブログ「コラム「趣味化した農家をいつまで保護するのか」・・・雑感」で、

”「昆 吉則氏の「貧農史観」が現代の農政のなかにも生きていないかの論調を紹介しましたが、団塊世代の当方は「貧農史観」の考えはなく、逆に、自然相手の農林漁業は、ある意味、幸せな生業ではないかと思うこの頃です。
田舎のない当方にとっては、農文協論説委員会の論説にある、”「定年になったら年老いた親とバトンタッチして米作りに励む」”という定年退職後に、Uターンで帰れる田舎がある人間は恵まれていると思いますね。

マアー、認知症の老母(90歳)を自宅介護で時間を割いている当方にとっては、直前の事柄も自分の家も忘却する老母が生まれ故郷での生活の記憶だけが鮮明であり、毎夜、生まれ育った頃の夢(幻想・幻覚)を見ている老母に接して、人間にとっては、生まれ故郷は死する場所に相応しいのではないかと思うこの頃ですね
。」”

と、趣味化した農家には寛容であり、高齢者には、自然相手に「社会参加」が望ましいのではないかと書きました。

当方の老母(要介護3)は、ディサービスを利用していますが、本人には「時間つぶし」程度で、施設内のサービスメニューには嫌がっています。
本人が望んでいるのは、他人との会話であり、自然相手の単純な作業ですね。
認知症でも、毎日毎日、自然相手に何らかの単純作業なり、自然変化を眺めているのが効果的ではないかと思っております。

87歳の椎葉クニ子さんが50ha?の森で、30年サイクルで焼き畑農法は、現実的かどうかわかりませんが、椎葉クニ子さんが毎日毎日、森に元気に通う映像をみて、「焼き畑農法」は、人間の生き様の理想形の一つではないかと思いましたね。

マアー、椎葉クニ子さんの焼き畑が宮崎県椎葉村であり、福島原発事故の影響なく、良かったと痛感しましたね。



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