傍観者の独り言

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福島原発事故:国会に原発事故調査委員会の設置・・・当然だが!

2011-09-29 14:51:18 | 社会

福島原発事故の検証に、政府の事故調査・検証委員会(委員長:畑村洋太郎東大名誉教授)と異なり、事故責任の追及に発展する可能性もある有識者による事故調査委員会と衆参国会議員による協議会が国会に設置されると報道。

事故調査・検証委員会の畑村洋太郎教授の「失敗学」による検証については、ブログ「社会科学者の時評」様がエントリー『【原発問題で失敗したいらしい自然科学者の無識さ加減】』、『【畑村洋太郎『未曾有と想定外-東日本大震災に学ぶ』2011年7月は原発事故の本質がみえていない駄作か,それとも単なる愚作か】』らで、酷評しています。

当方は、「社会科学者の時評」様のブログに接して、畑村洋太郎教授の「失敗学」による検証については疑問を感じていましたが、ETV特集「シリーズ 原発事故への道程 後編 そして“安全”は神話になった」を視聴し、原発導入推進・事故は、歴史的な背景があり、福島原発事故のみを調査・検証するのは違和感を感じました。

伊方原発裁判で行政の裁量権を容認し、異端者を封殺する原子力ムラが形成され、安全性より経済性重視の社会構造の副作用が福島原発事故の起因となったと思われ、福島原発事故を工学的な「失敗学」での検証は矮小化する危険性がありますね。
黒澤明監督の『悪い奴 ほどよく眠る』の題名ではないが、悪いやつほど責任を問われないですね。

ETV特集では、原子力船「ムツ」の放射線漏れ事故が契機で、国民から原子力行政を疑問視されるようになり、原子力委員会(規制と推進が同じ組織)のあり方が問題となり、政府は有識者による原子力行政懇談会を設置されたと。
懇談会は、原子力事業者を規制するアメリカ原子力規制委員会(NRC) を参考とする「原子力規制委員会」を求める答申だったが、結果的には、NRC的スキームは、日本原子力の将来に懸念があるという意見が多数で、監督官庁へ助言・指針する「原子力安全委員会」が設置されたが、原子力事業者を規制するのは、従来とおりの監督官庁が担うことになる。

安全委員会に籍をおいた佐藤一男氏は、番組で、
”「安全委員会で安全の研究するな、そんなこと国民を不安に陥れするだけだという風潮。
安全を銘打った研究は日の目にあわないと。
安全をとなえると 原子力ムラから村八分に
。」”
とし、
”「原子力は100万の1という安全だ」という暗黙の了解が定着してきたと語っていました。

また、東電の元副社長の豊田正敏氏は、稼働率UPに改良標準化の新しい原子炉導入は経済的メリットあり、福島原発に導入されたGE製の「マーク1」原子炉は、アメリカの公聴会で、重大事故に繋がる欠陥があり廃止・停止の指摘があったが、東電は、改良標準化の新しい原子炉は、材料・設備・予備もメリットあり、安全審査も一回になり、審査期間も短縮できるメリットがあり、”「既設はやるにはやるが100%やることはありません。福島第一は、やれといってもできません」”と語っており、福島原発事故は現場作業の不手際はあったが、事故の遠因は、40年前に発生していたのです。

1975年のインドの核実験で、アメリカは核拡散の危惧し、政府関係者はウラン燃料を制限するのでないかと危惧し、再処理の問題と核燃料サイクルの確立へ方向転換することになる。
電力会社の経済原理と政府の原子力政策の方向転換があり、安全性が軽視されてきたと。

ブログ「社会科学者の時評」様は、畑村洋太郎教授の「失敗学」による検証を、”「原子力政策の失敗がみえていない視野狭窄の,読めていない失敗学の無益有害」”との酷評は、納得できますね。
工学的な「失敗学」による検証は、視野狭窄の恐れがあり、過去については問わないことになる危険性があり、『悪い奴 ほどよく眠る』ではないが、何ら責任を問われないのは違和感を感じますね。

原発導入には、それなりの背景があり、事故は経済成長時の副作用であったが、副作用の責任を問われずに今日に至っており、新たな有識者による事故調査委員会と衆参国会議員による協議会も、福島原発事故の不手際・無知による不作為だけの責任追及になる恐れがありますね。


1 コメント

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失敗学の失敗 (古井戸)
2011-10-08 08:09:43
畑村の<本質安全>という概念は原発には適用不能です。原発は<本質危険>なシステムとはおよそ呼べないシロモノ。想定外=設計ミス、の過ちは、想定外=設計範囲外の事態が発生した場合どのような破壊のされ方、影響が国土に及ぶのか(リスク。復旧に何十年何十兆円かかるのか)を公表していない点です。リスクを公表して、事故発生時はどの程度の負担が国民に発生するぞ、被害がおよぶぞ、ということを事前に説明した上でないと、負担者が有責であるとはいえない。
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