傍観者の独り言

団塊世代で、民間企業で「チンタラ・グウタラ」に過ごした人間の手前勝手な気儘な戯言・放言。

大飯原発再稼動:暫定的な安全判断を前提に、限定的な適切の判断とは?・・・再稼動順延では?

2012-06-01 05:59:50 | 民主党(野田政権)

関西広域連合の関電大飯原発の再稼動を「暫定的な安全判断を前提に、限定的とし適切な判断を要請」の声明を受け、野田政府は再稼動決断と報道があるが、限定的とし適切な判断が地元同意で再稼動になるのでしょうか?
暫定的な安全判断が前提であれば、再稼動は見送りが適切な判断になるのでないでしょうか。
政治判断とは、国民に犠牲を強いる稼動停止であり、その対応策が政治ではないでしょうか?

5月28日の国会事故調査委員会での菅直人前首相の発言は既報済みの釈明・弁明に過ぎず、想定外であろうが「知らなかった」の無知は理由にならないが現場の常識であり、自分なり精一杯努力したが結果はダメでしたでは無罪放免にならないのが世の常です。

菅前首相の責任については、本ブログ「事故検証委員会:中間報告・・・・事故・被曝拡大は現場より対策本部の問題」(2011-12-27)、「菅前首相の責任については、本ブログ「独立検証委員会報告:何故、菅前首相の大罪を断罪しないのか?」(2012-03-01)で書きましたが、TBSが、昨年12月26日、特集番組「報道の日2011」で、菅前首相が官僚不信になり、内閣官房参与に就任した東京工大の同期の北陸先端科学技術大学院 日比野靖・副学長に助言をもとめ、日比野靖・副学長は、インタビューで菅・前首相について、

”「震災の対策として、やらなければならないことは山ほどあった。
その中で原発の事故対応に全力で注いでいたように思う。
(菅首相に)不足しているのは何かというと、ずっと若い時から政治家としてやってきていて、サラリーマンの経験がない。
組織をどう動かしていくのか十分な経験がないことがあった
」”

と思うと語っている場面を紹介し、想定外の原発事故の対策本部の最高責任者である菅前首相が組織運用の未経験が組織力を発揮できなかったことが原発事故被害を拡大させた主因なのです。

当方が改めて菅前首相を批判を書く動機になったのは、「JBpress」に掲載された烏賀陽 弘道氏が寄稿『福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者無視され、死蔵された「原子力防災」の知見』(2012.05.31)に接し、大飯原発の再稼動を野田首相の政治判断する首相の責任に疑問をもったからです。

烏賀陽 弘道氏の『福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者無視され、死蔵された「原子力防災」の知見』は、2007年2月に発刊された『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』の著者の松野 元氏との対談です。

ちなみに、著者の松野 元氏の略歴は、
“【原子炉主任技術者、第1種電気主任技術者。
1945年1月1日愛媛県松山市生まれ。1967年3月、東京大学工学部電気工学科卒。
同年4月、四国電力(株)に入社、入社後、火力発電所、原子力部、企画部、伊方原子力発電所、東京支社等で勤務。
2000年4月、JCO臨界事故後の新しい原子力災害対策特別措置法による原子力防災の強化を進めていた経済産業省の関連団体である(財)原子力発電技術機構(現在の独立行政法人原子力安全基盤機構)に出向。
同機構の緊急時対策技術開発室長として、リアルタイムで事故進展を予測し、その情報を中央から各原子力立地点のオフサイトセンター等に提供して、国の行う災害対策を支援する緊急時対策支援システム(ERSS)を改良実用化するとともに原子力防災研修の講師も担当し、経済産業省原子力防災専門官の指導にも当たった。
2003年3月出向解除。2004年12月四国電力(株)を退職(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです
) 】”
です。

『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』では、烏賀陽 弘道氏は、松野 元氏を

”「原子力安全基盤機構(当時は原子力発電技術機構)の緊急時対策技術開発室長だった当時、「ERSS」(緊急時対策支援システム)の改良と実用化を担当したという。ERSSは、原発事故が起きたときに、原子炉の圧力や温度、放射性物質放出量の予測といったデータをオフサイトセンターや東京の関係部署に送る重要なシステムだ。

 話題になった「SPEEDI」が放射性雲の流れを警告する「口」なら、ERSSはそれと対になる原子炉の情報収集をする「目と耳」である。自然な流れとして、松野さんはERSSとSPEEDIの両方に精通している。

 また「原子力防災研修」の講師もしていたという。この研修には、原子力発電所の防災対策を「監督」する経産省の原子力防災専門官も参加する。つまり松野さんが書いた本は「教科書」であり、3.11で国は「教科書レベル」のテストにすら落第したということなのだ。

 ということは、松野さんが書き残した知見は、今も経産省や、その下にある原子力安全・保安院に受け継がれていなくてはならないはずなのだ
。」”

と、2007年1月の松野 元氏の著作『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』が原発防災の教科書に利用されていたのです。

そして、『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』では、
”「「15条通報」で住民避難が始まるはずだった

──「全交流電源喪失」はどの時点で分かるのですか。どこから起算すればいいのですか。

(松野 元氏)「簡単です。『原子力災害対策特別措置法』第15条に定められた通り、福島第一発電所が政府に『緊急事態の通報』をしています。3月11日の午後4時45分です。このときに格納容器が壊れることを想定しなくてはいけない。つまり放射性物質が外に漏れ出すことを考えなくてはいけない。ここからが『よーい、スタート』なのです」

15条通報」があった時点で「住民を被曝から守る」=「原子力防災」は始まっていなくてはならなかったのだ
。」”
と記述しています。

更に、

”「原子炉を助けようとして住民のことを忘れていた?

──首相官邸にいた班目春樹(原子力安全委員会)委員長は「情報が入ってこなかったので、総理に助言したくでもできなかった」と言っています。SPEEDIやERSSが作動していないなら、それも一理あるのではないですか。

(松野 元氏)「いや、それは内科の医師が『内臓を見ていないから病気が診断できない』と言うようなものだ。中が分からなくても、原発災害は地震や台風より被害が予測できるものです」

「もとより、正確な情報が上がってきていれば『専門家』は必要ないでしょう。『全交流電源喪失』という情報しかないから、その意味するところを説明できる専門家が必要だったのです。専門家なら、分からないなりに25時間を割り振って、SPEEDIの予測、避難や、安定ヨウ素剤の配布服用などの指示を出すべきだったのです」

「ERSSの結果が出てくるまでの間は、SPEEDIに1ベクレルを代入して計算することになっています。そのうえで風向きを見れば、避難すべき方向だけでも分かる。私なら10の17乗ベクレルを入れます。それで住民を逃がすべき範囲も分かる」

──すべてが後手に回っているように思えます。なぜでしょう。

(松野 元氏)「何とか廃炉を避けたいと思ったのでしょう。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。太平洋戦争末期に軍部が『戦果を挙げてから降伏しよう』とずるずる戦争を長引かせて国民を犠牲にしたのと似ています」

このままうやむやにすると、また同じことが起きる

 私にとって不思議だったのは、これほど事故を予見し尽くしていた人材が電力業界内部にいたのに、その知見が無視され、死蔵されたことだ。松野さんにとっても、自分の長年の研究と専門知識が現実の事故対策に生かされなかったことは痛恨だった。

(松野 元氏)「私の言うことは誰も聞いてくれませんでした。誰も聞いてくれないので、家で妻に話しました。しかし妻にもうるさがられる。『私の代わりにハンガーにかけたセーターにでも話していなさい』と言うのです」

 松野さんはそう言って笑う。

(松野 元氏)「このままうやむやにすると、また同じことが起きるでしょう
・・・・・・・・
」”
と記述しています。

当方は、烏賀陽 弘道氏の『福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者無視され、死蔵された「原子力防災」の知見』に接して、やはり、社会の現場には専門家がいるという思いと菅前首相、枝野前官房長官、海江田前経産大臣は「自分なり瀬一杯務めた」という釈明・弁明で許容できないと同時に原子力ムラは宿弊で解体すべきと思いましたね。

関西広域連合の関電大飯原発の再稼動を、細野原発相の4月の閣僚会合で決めた安全基準は「暫定的なもの」で「規制庁発足後の新たな安全基準で再稼動が適正とないとされれば、原発を止めることもある」を受け、「暫定的な安全基準であることを前提に、限定的なものとして適切な判断されるように強く求める」の声明は、何が言いたいのか意味不明であり、それで、政治判断で再稼動を決断するとは、皆で責任を分散化させ、誰も責任を負わないことになりますね。

政府は暫定と言い、その暫定を広域連合は限定的に受容し、政府に判断を委ね、政府は暫定を地元が応諾したとし、再稼動を決断したとすれば、何らかの事故・不具合が発生した際は、政府は安全基準は暫定案であったとし、地元はそれを了解したとし、地元は適切な判断を求めたのであり、稼動・稼動停止も政府の責任であると責任は堂々めぐりし、結局は担当省になり、担当部門になり、担当部門は暫定で未発足であり、関電は再稼動しないと受電者に犠牲に強いることが問題で、結局は受電者の安定受電の要求が起因となりますね。

また、福井県が求めた特別の原発監視体制の強化に、経産副大臣らの常駐などで監視体制強化策など政府への責任転嫁させ政府を逃がさない小細工にすぎず、邪道ですね。
代替策もなく今夏から0%となるのであれば暫定案も許容できるが、たかが、関電の給電が10数%不足程度の問題で1年以上も準備時間があったのに、暫定案で再稼動など努力不足の安直な政治判断ですね。

天災もあるでしょうが、設備機器の経年劣化もあり、ヒューマンエラーもあり、テロも予想され、不経済かつ最終処理の目処のつかない原発は捨てる覚悟が日本は求められているのです。

野田政府のいい加減さには失望から憤りを感じますね。



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