ノエルのブログ

シネマと海外文学、そしてお庭の話

これって、ホント?

2016-03-22 21:10:33 | アート・文化
ここ1か月ほど家でぼーっとしていることが多いのだが(何だか疲れていて、積極的に何もしたくないのである)、それでも世の中には興味ある事件が続発していて、好奇心を刺激されてしまう。

まず、なんといってもこれ――ツタンカーメンの墓の後ろには、隠し部屋があった! という大ニュース。 そして、あろうことか、そこにはかの美女ネフェルティティが眠っているというのだが、何だか変。
ネフェルティティのミイラが見つかっていないままであることや、彼女の墓が不明ということは知っていたが、それがどうして、ツタンカーメンの墓の奥でなくてはならないのか!?

考古学者たちが言うには、ツタンカーメンの墓はもともとネフェルティティのために作られたものであって、少年王があまりにも若くして急死したため、急きょその墓に充てられたものだという。 それは良いとして、ここには厳正な考古学的史実を積み重ねた推論というより、ロマンや想像が飛躍していると思うのは、私だけだろうか?

大体、ツタンカーメンの墓が発掘されてから、90年余り。その間、この科学的調査法の発達した現代にあって、「墓の奥にもう一つ部屋がある」との確証も持てなかったとはお粗末すぎるのではないだろうか? DNAから、ツタンカーメンの両親がほぼ姉弟同士の事実が分かったこと以外、古代エジプトの研究は私が子供だった頃から、進歩があまり見られないような気がするのだけれど(こんな事を言うのも、私が子供時代、ずっとエジプト考古学者になりたい、という夢を抱いていたからなのだが)。


ネフェルティティの夫にして、人類史上最初の一神教の考案者であるアクナトン。この魅力的なファラオについては、ツタンカーメンの異母兄だとも、父親だとも言われるが、どれも推測にすぎない。古代エジプトははるか過ぎ去った時代であり、砂漠の中に、神殿の碑文の中に発見されたわずかな断片を頼りにして、歴史を再構成していくしかないのである。
だから、考古学はロマンであり、絶対の確かな史実というのは、ほとんどの場合つかみようがない。

それでも、考古学者は幸せな人々だな、と思ってしまう。灼熱の太陽や砂嵐の中で、土器のかけらを拾うだけだったとしても、彼の目にはいにしえの壮麗な寺院や王宮の庭が見えているのかもしれないのである。 アガサ・クリスティーのミステリの中でも、殺人犯(!)の考古学者がポアロに言っていた。「ポアロさん。あなたは探偵としてだけじゃなく、考古学者にもなれたでしょうな。過去を再構成する能力をお持ちですから」と。

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