遅ればせながら、「君の名は」を観ました。去年の今頃、封切りされて、日本はおろか海外にまで絶賛された大ヒットアニメ映画。
「観たいなあ~」と思い続けて、やっと見ることができた(日本語の字幕版が発売されたから)のだけど、正直言うと、最初観たときは「?」な反応。
これ、そんなに面白いかあ~? ずいぶん昔の角川映画の「転校生」とかの21世紀版じゃないか……とぐらいに思ったのだが、中盤からがぜん面白くなったのであります。なんたって、地球に飛来する彗星(この映像がとっても幻想的で綺麗!)というSF的な展開に加えて、実は互いの体に魂が入りこむ主人公二人の生きる「時間」が三年ずれているということがわかるのだもの。
ヒロインの三葉は、飛騨の山奥に住む女子高生という設定。対する少年、瀧は同じ高二で、こちらは東京に住む都会っ子。
三葉の住むところは、コンビニもカフェもな~んもなくて、日照時間も短いというくらいのド田舎なのだが、こんな土地柄がかえって、とっても新鮮!
なんせ、友人が「カフェでおごったるで」といい、連れていかれたのは、自動販売機の前だというのだが、今どき、こんなところ本当にあるのだろうか?(ひょっとして、限界集落みたいなところ?)
「こんなところ、もう嫌や! 今度生まれるときは、東京のイケメンの男子高生にしてください!」と三葉は叫んだりするのだが、「今の子でも、東京なんかにそんなに憧れるのか?」と思っていた私にも、この彼女のリアクションはとっても自然に感じられましたです。
私が、三葉や瀧の年齢だったのは、もう三十年も前になってしまうのだけど、彼らの気持ちがとってもリアルに響いて、ひととき青春に帰った気分時代が変わっても、ティンーンエイジャーの心情は同じなんだなあ……。
この気分にひたりたくて、翌日二回目を観ました。
魂が互いの体に乗り移るという、不思議な現象がピタッと途絶えてしまい、瀧はわずかな手がかりを頼りに、三葉を探す旅に出るのですね。そして、わかったのは、この糸守という美しい山村が、三年前の彗星衝突事故で、跡形もなく消えてしまったという衝撃的な事実。三葉も、彼女の妹も友人も、みなその時亡くなっていたのだ。
だが、どうしてももう一度三葉に会いたい! その瀧の思いが奇跡を生むのです。三葉の家は、代々神社を統べて来た巫女の家系――そのご神体である岩の洞窟の奥にたどり着けば――そして、そこで時間は三年を飛び越え、彗星が衝突する「あの日」に瀧は運んでくれた、というわけ。
物語の圧倒的な面白さもさることながら、主人公の二人が互いの記憶を共有する「スマホの日記」やLINEというツールがとっても新鮮! スマホなんて、便利なばっかりで、電車や街ン中でも、みんな周囲には目もくれずジーッとその画面を見ているなど、「人間性を奪う、けしからん道具」と思っていたのだが、ここではじめて魅力的な使い方を発見したような気がいたします。
雪の降る東京の街の風景、糸守の深い自然。アニメの映像でここまで表現できるのか、と思うほど背景のディテールも美しいのであります。
ただ、欲をいうようだけれど、瀧と三葉の二人が、互いの名前すらも忘れてしまう、というのは哀しすぎるのでは? 互いの体を交換して感じたことは素晴らしい記憶になったはず。それを失って欲しくなかった……。
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