群馬県前橋市粉川町月田213-1、月田小学校の北側にあります。
「粉川村44号墳」とも呼ばれています。


全長28m、 後円部径17.5m・高さ3.7m、 前方部先端幅12.8m・高さ1.3m 帆立貝形の前方後円墳です。

(後円部)





(前方部)

(手前が前方部)


墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には(墳頂部を除く)葺石が施されています。
円筒埴輪や翳形埴輪・家形埴輪・女子像埴輪・馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和23年(1948年)群馬大学史学研究室による発掘調査が、昭和58年(1983年)には県営圃場整備事業に伴い粉川村教育委員会による周濠の一部の発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、南南西方向に開口する片袖型横穴式石室です。

(開口部は落ち葉などでほぼ埋まった状態です。)
安山岩の自然石を用いた乱石積みで、全長5.99m、羨道の長さ2.99m・幅0.71m・高さ0.7m、玄室の長さ3m・幅1.18m・高さ1.7mの単室構造です。
人骨(頭蓋骨)、直刀5振、鉄鏃60本以上、刀子、耳環などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
月田古墳群を構成していて、その古墳群南部にあります。
昭和24年2月24日、群馬県の史跡に指定されています。
「月田古墳群」
赤城山南麓の兎川と粉川に挟まれた、標高約240mの緩傾斜地にあります。
月田小学校の北側です。
総数約50基ほど(34基が確認されているが現存するのは5基)からなる古墳群です。
「粉川村44号墳」とも呼ばれています。


全長28m、 後円部径17.5m・高さ3.7m、 前方部先端幅12.8m・高さ1.3m 帆立貝形の前方後円墳です。

(後円部)





(前方部)

(手前が前方部)


墳丘の周りには周濠があります。
墳丘には(墳頂部を除く)葺石が施されています。
円筒埴輪や翳形埴輪・家形埴輪・女子像埴輪・馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
昭和23年(1948年)群馬大学史学研究室による発掘調査が、昭和58年(1983年)には県営圃場整備事業に伴い粉川村教育委員会による周濠の一部の発掘調査が行われています。
後円部中央にある埋葬施設は、南南西方向に開口する片袖型横穴式石室です。

(開口部は落ち葉などでほぼ埋まった状態です。)
安山岩の自然石を用いた乱石積みで、全長5.99m、羨道の長さ2.99m・幅0.71m・高さ0.7m、玄室の長さ3m・幅1.18m・高さ1.7mの単室構造です。
人骨(頭蓋骨)、直刀5振、鉄鏃60本以上、刀子、耳環などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
月田古墳群を構成していて、その古墳群南部にあります。
昭和24年2月24日、群馬県の史跡に指定されています。
「月田古墳群」
赤城山南麓の兎川と粉川に挟まれた、標高約240mの緩傾斜地にあります。
月田小学校の北側です。
総数約50基ほど(34基が確認されているが現存するのは5基)からなる古墳群です。
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