岡山県赤磐市西窪田の丘陵上にあります。
天満池の東岸そばです。
(一番右側の茂みが高塚古墳です)
(前方部)
(後円部)
全長67m、 後円部径30m・高さ5m、 前方部先端幅39m・高さ?m の前方後円墳です。
前方部を中心にかなり削平を受けています。
造り出しはありません。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなかったものとみられます。
後円部にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
石室は奥壁が3枚の巨石で、側壁は3~4段に石を積み上げて造られていて、全長が15m、玄室の長さ7.7m、幅2.7m、高さ2.6mの単室構造です。
南西方向(天満池方向)に開口しています。
陶棺が収められていたそうです。
石室入り口周辺は灌木・雑草で覆われていて、中には入れそうにありませんでした。
古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
昭和54年12月14日、赤磐市の史跡に指定されています。
天満池の東岸そばです。
(一番右側の茂みが高塚古墳です)
(前方部)
(後円部)
全長67m、 後円部径30m・高さ5m、 前方部先端幅39m・高さ?m の前方後円墳です。
前方部を中心にかなり削平を受けています。
造り出しはありません。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなかったものとみられます。
後円部にある埋葬施設は、両袖型横穴式石室です。
石室は奥壁が3枚の巨石で、側壁は3~4段に石を積み上げて造られていて、全長が15m、玄室の長さ7.7m、幅2.7m、高さ2.6mの単室構造です。
南西方向(天満池方向)に開口しています。
陶棺が収められていたそうです。
石室入り口周辺は灌木・雑草で覆われていて、中には入れそうにありませんでした。
古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。
昭和54年12月14日、赤磐市の史跡に指定されています。
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