滋賀県長浜市乗倉町の南北に連なる岩崎山の尾根上にあります。
全長52m、 後円部径27m・高さ2.5m、 前方部先端幅18m・高さ1.5m の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平されていて、原形をとどめていません。
岩崎山の尾根上にある10余基からなる乗倉古墳群を構成する1基です。
現在残っている10基の古墳の墳頂部はすべて「姉川の合戦」の折、浅井軍の陣所設置のため削平されています。
(ここから山に入ります)
1989年に発掘調査が行われているようですが、詳細は不明です。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
「姉川の合戦」
元亀元年(1570年)、「織田信長」と「浅井長政」が死闘を繰り広げた合戦です。
姉川の東(茶臼山古墳や龍ケ鼻古墳など)に陣取った織田信長軍に対峙し、浅井・朝倉連合軍は姉川の西・乗倉山(乗倉山古墳群)の尾根筋に「浅井長政」が、その北に東西に横たわる「大依山」に朝倉孫三郎(景健)が陣を敷きました。
全長52m、 後円部径27m・高さ2.5m、 前方部先端幅18m・高さ1.5m の前方後円墳です。
墳丘は大きく削平されていて、原形をとどめていません。
岩崎山の尾根上にある10余基からなる乗倉古墳群を構成する1基です。
現在残っている10基の古墳の墳頂部はすべて「姉川の合戦」の折、浅井軍の陣所設置のため削平されています。
(ここから山に入ります)
1989年に発掘調査が行われているようですが、詳細は不明です。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
「姉川の合戦」
元亀元年(1570年)、「織田信長」と「浅井長政」が死闘を繰り広げた合戦です。
姉川の東(茶臼山古墳や龍ケ鼻古墳など)に陣取った織田信長軍に対峙し、浅井・朝倉連合軍は姉川の西・乗倉山(乗倉山古墳群)の尾根筋に「浅井長政」が、その北に東西に横たわる「大依山」に朝倉孫三郎(景健)が陣を敷きました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます