群馬県安中市簗瀬756-1ほか、碓氷川右岸中流域の河岸段丘上にあります。
原市小学校の南、約400mほどのところです。
「原市町13号墳」とも呼ばれています。
全長80m、 後円部径52m・高さ8m、 前方部先端幅60m・高さ7m 二段構築の前方後円墳です。

(右が後円部)

(右が前方部)

(前方部)


(後円部)

墳丘の周りには二重の盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や盾形埴輪・形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部のやや東寄りに埋葬施設・両袖型横穴式石室があります。
石室は全長11.5m、羨道の長さ7.47m・幅0.95m・高さ1.7m、玄室は長さ4.07m・幅2.32m・高さ2.2mあり、単室構造です。
玄室壁全面がベンガラで朱塗りされているそうです。
羨道から玄室に向かって2段低くなっています。
南方向に開口しています。
この石室は明治12年に発見されたそうで、群馬県内最古の横穴式石室といわれています。
現在石室内部には入れません。

硬玉製勾玉、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、滑石製臼玉、金銅製丸玉、水晶製丸玉、ガラス製丸玉、ガラス製小玉、琥珀製小玉、水晶製算盤玉、金銅製耳環、石製模造鏡、石製模造鎌、石製模造刀子、石製模造斧、石製模造剣、鉄刀、鉄鏃、長頸鎌、挂甲小札、鉄地金銅張辻金具、轡、鞍、須恵器、土師器 などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀初めころの築造と推定されています。
平成24年(2012年)11月27日、安中市の史跡に指定されています。
この古墳は以前個人所有の竹林だったのを、安中市が買収し2015年7月史跡公園として整備、公開されたものだそうです。
後円部墳頂には明治19年、「黒田清綱」氏が建てた「布多古塚碑」があります。


原市小学校の南、約400mほどのところです。
「原市町13号墳」とも呼ばれています。
全長80m、 後円部径52m・高さ8m、 前方部先端幅60m・高さ7m 二段構築の前方後円墳です。

(右が後円部)

(右が前方部)

(前方部)


(後円部)

墳丘の周りには二重の盾形をした周濠があります。
墳丘には河原石による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や盾形埴輪・形象埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部のやや東寄りに埋葬施設・両袖型横穴式石室があります。
石室は全長11.5m、羨道の長さ7.47m・幅0.95m・高さ1.7m、玄室は長さ4.07m・幅2.32m・高さ2.2mあり、単室構造です。
玄室壁全面がベンガラで朱塗りされているそうです。
羨道から玄室に向かって2段低くなっています。
南方向に開口しています。
この石室は明治12年に発見されたそうで、群馬県内最古の横穴式石室といわれています。
現在石室内部には入れません。

硬玉製勾玉、ガラス製勾玉、碧玉製管玉、滑石製臼玉、金銅製丸玉、水晶製丸玉、ガラス製丸玉、ガラス製小玉、琥珀製小玉、水晶製算盤玉、金銅製耳環、石製模造鏡、石製模造鎌、石製模造刀子、石製模造斧、石製模造剣、鉄刀、鉄鏃、長頸鎌、挂甲小札、鉄地金銅張辻金具、轡、鞍、須恵器、土師器 などが出土しています。
古墳時代後期・6世紀初めころの築造と推定されています。
平成24年(2012年)11月27日、安中市の史跡に指定されています。
この古墳は以前個人所有の竹林だったのを、安中市が買収し2015年7月史跡公園として整備、公開されたものだそうです。
後円部墳頂には明治19年、「黒田清綱」氏が建てた「布多古塚碑」があります。


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