岐阜県不破郡垂井町府中市之尾深谷569の山頂にあります。
垂井町の北部、標高185mの尾根上です。
関ケ原から大垣市街までもが見渡せるところです。
(古墳への道の途中からみる垂井町)
天神神社の駐車場から、山道・尾根道を登ること20分ほどやっとのことで辿り着きました。
道の途中途中に案内標識があったおかげです。
(後円部墳頂)
全長85m、 後円部径42m・高さ6m、 前方部先端幅43m・高さ5.5m 二段構築の前方後円墳です。
あの箸墓古墳に代表される、前方部が先端に向かって曲線的に広がる特徴を持っています。
造り出しはありません。
墳丘には人頭大の川原石による葺石が施されています。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
埋葬施設は粘土槨です。
発掘調査は行われていません。
ただ明治時代に粘土槨の北端にあった木箱から、15点もの石製品が出土しています。
これら石製品は、東京国立博物館に収蔵されています。
倭製内行花文鏡・碧玉製鍬形石・碧玉製車輪石・碧玉製合子・碧玉製高坏・碧玉製壺・滑石製壺・碧玉製管玉 なども出土しています。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和32年2月15日、垂井町の史跡に指定されています。
垂井町は、「中山道・垂井の宿」があった所として知られています。
垂井町の北部、標高185mの尾根上です。
関ケ原から大垣市街までもが見渡せるところです。
(古墳への道の途中からみる垂井町)
天神神社の駐車場から、山道・尾根道を登ること20分ほどやっとのことで辿り着きました。
道の途中途中に案内標識があったおかげです。
(後円部墳頂)
全長85m、 後円部径42m・高さ6m、 前方部先端幅43m・高さ5.5m 二段構築の前方後円墳です。
あの箸墓古墳に代表される、前方部が先端に向かって曲線的に広がる特徴を持っています。
造り出しはありません。
墳丘には人頭大の川原石による葺石が施されています。
埴輪の出土がなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
埋葬施設は粘土槨です。
発掘調査は行われていません。
ただ明治時代に粘土槨の北端にあった木箱から、15点もの石製品が出土しています。
これら石製品は、東京国立博物館に収蔵されています。
倭製内行花文鏡・碧玉製鍬形石・碧玉製車輪石・碧玉製合子・碧玉製高坏・碧玉製壺・滑石製壺・碧玉製管玉 なども出土しています。
古墳時代前期・4世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和32年2月15日、垂井町の史跡に指定されています。
垂井町は、「中山道・垂井の宿」があった所として知られています。
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