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古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

福岡県福津市・勝浦峯ノ畑古墳

2014-09-20 08:01:14 | Weblog



              (手前が後円部で奥が前方部)

福岡県福津市勝浦藤ヶ浦、釣川河口の丘陵縁辺部にあります。
国道495号線を挟んで、勝浦井ノ浦古墳の反対側(西側)にあります。

                 (左が後円部で右が前方部)
「津屋崎41号墳」とか「勝浦14号墳」とも呼ばれています。

全長97m、 後円部径58m・高さ6.8m、 前方部先端幅54m・高さ6.5m の前方後円墳です。

造り出しはありません。
墳丘には葺石が施されています。
埴輪の出土はなく、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。






             (前方部先端)

1976年と1988年に発掘調査が行われています。
後円部にある埋葬施設は、古式の横穴式石室です。
南西方向に開口しています。
石室内は天井から壁面に至るまで赤い顔料が塗られているそうです。
石室には、中央の室を3等分する位置に2本の石柱が建てられていて、天井を支えています。
石室内に石柱がある古墳は国内では他にはありません。
わずかに朝鮮半島北部にあった高句麗の古墳(双楹塚古墳)に例があるだけだそうです。

中国製画文帯神獣鏡・倭製内行花文鏡・倭製珠文鏡・連弧文鏡・八乳獣帯鏡片 など8面の鏡、碧玉製管玉、ガラス製連玉・ガラス製丸玉・ガラス製小玉・ガラス製管玉 などガラス玉15,000個以上、琥珀製勾玉、翡翠製勾玉、銅釧、鹿角製装具付剣、鹿角製装具付大刀40振以上、素環頭太刀、鉄鏃、長頸鏃、短甲片、刀子、須恵器 など大量に出土しています。

この古墳に眠る被葬者は「玄界灘」に浮かぶ「沖ノ島」の祭祀に深くかかわった人物(胸形君一族)と言われています。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

勝浦古墳群を構成しています。

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