群馬県前橋市山王町1-28-3の平地にあります。
全長60m、 後円部径40m・高さ6.5m、 前方部先端幅15m・高さ1.5m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部が極端に低くなっています。
(前方部)
(後円部)
墳丘の周りには周濠がありました(昭和10年の調査時ころまで)が、いまは住宅開発で消滅しています。
墳丘には葺石が施されていたようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
学術的調査は行われていませんが、竪穴式と推定される埋葬施設は盗掘を受けています。
副葬品等の有無は不明です。
5世紀後半から6世紀初頭にかけての築造と推定されています。
昭和54年3月26日、前橋市の史跡に指定されています。
全長60m、 後円部径40m・高さ6.5m、 前方部先端幅15m・高さ1.5m 二段構築の帆立貝形前方後円墳です。
前方部が極端に低くなっています。
(前方部)
(後円部)
墳丘の周りには周濠がありました(昭和10年の調査時ころまで)が、いまは住宅開発で消滅しています。
墳丘には葺石が施されていたようです。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
学術的調査は行われていませんが、竪穴式と推定される埋葬施設は盗掘を受けています。
副葬品等の有無は不明です。
5世紀後半から6世紀初頭にかけての築造と推定されています。
昭和54年3月26日、前橋市の史跡に指定されています。