群馬県藤岡市上落合七輿831-1ほか、鏑川と鮎川の間にあります。
宗永寺裏西塚古墳の前方部と後円部が向き合う形です。
「美土里村1号墳」とも呼ばれています。
藤岡八景の一つで、桜の名所でもあるそうです。
全長146m、 後円部径87m・高さ16m、 前方部先端幅106m・高さ16m 三段構築の前方後円墳です。
全国で73番目の大型古墳です。
(右側が後円部)
(右側が前方部)
後円部のテラス状に抉られたところには、首を落とされてしまっている五百羅漢像があります。
中堤帯や外堤帯と呼ばれる堤を境にして、内と外に盾形をした二重の周濠があります。
さらに西側(前方部の前面)にはコの字形に巡る三重目の濠があります。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・盾形埴輪・挂甲武人埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
併せて須恵器や土師器なども出土しています。
なかでも円筒埴輪は、全国的にもまれな7条の帯(タガ)が巡る高さ110cm・径50cmもある大型のものです。
埋葬施設は未調査につき不明ですが、横穴式石室とみられています。
(前方部)
(後円部)
(奥が後円部)
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
昭和2年6月14日、国の史跡に指定されています。
平成8年9月26日、追加指定されています。
平成30年4月18日、藤岡市教育委員会と群馬県立歴史博物館、それに早稲田大学の合同調査隊が実施していた、地中レーダー探査の結果が発表されています。
調査は2月26日から3月25日にかけて行われたそうです。
その結果、後円部の南側で約10mの横穴式石室の通路(羨道?)が確認されたそうです。
玄室はレーダーが届かず確認されなかったそうですが、中央にあるとすれば通路の全長は15m以上になると推定されています。
また墳長も調査の結果150mほどになるとみられています。、
宗永寺裏西塚古墳の前方部と後円部が向き合う形です。
「美土里村1号墳」とも呼ばれています。
藤岡八景の一つで、桜の名所でもあるそうです。
全長146m、 後円部径87m・高さ16m、 前方部先端幅106m・高さ16m 三段構築の前方後円墳です。
全国で73番目の大型古墳です。
(右側が後円部)
(右側が前方部)
後円部のテラス状に抉られたところには、首を落とされてしまっている五百羅漢像があります。
中堤帯や外堤帯と呼ばれる堤を境にして、内と外に盾形をした二重の周濠があります。
さらに西側(前方部の前面)にはコの字形に巡る三重目の濠があります。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・盾形埴輪・挂甲武人埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
併せて須恵器や土師器なども出土しています。
なかでも円筒埴輪は、全国的にもまれな7条の帯(タガ)が巡る高さ110cm・径50cmもある大型のものです。
埋葬施設は未調査につき不明ですが、横穴式石室とみられています。
(前方部)
(後円部)
(奥が後円部)
古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。
昭和2年6月14日、国の史跡に指定されています。
平成8年9月26日、追加指定されています。
平成30年4月18日、藤岡市教育委員会と群馬県立歴史博物館、それに早稲田大学の合同調査隊が実施していた、地中レーダー探査の結果が発表されています。
調査は2月26日から3月25日にかけて行われたそうです。
その結果、後円部の南側で約10mの横穴式石室の通路(羨道?)が確認されたそうです。
玄室はレーダーが届かず確認されなかったそうですが、中央にあるとすれば通路の全長は15m以上になると推定されています。
また墳長も調査の結果150mほどになるとみられています。、