古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

愛知県犬山市・羽黒城屋敷古墳

2013-12-07 08:08:47 | Weblog




愛知県犬山市羽黒城屋敷の河岸段丘上にあります。
興禅寺の東すぐ近くです。

全長60m、 後円部径?m・高さ?m、 前方部先端幅30m・高さ8m の前方後円墳です。

造り出しはありません。
墳丘の周りには幅15mの周濠があります。
墳丘には葺き石が施されています。
埴輪の出土は確認されておらず、墳丘に埴輪の配列はなされていなかったようです。
その他資料が少なく詳細は不明です。

前方部は、羽黒城の中核として利用されたため、大きく削平されています。
後円部墳頂に「羽黒城址」の石碑が建っています。


古墳時代後期の築造と推定されています。


            (後円部)


             (後円部)



              (手前が前方部)



「羽黒城」
建仁元年(1201年)、梶原景時の孫・景親によって築造されたと言われています。
影親の17代孫にあたる梶原茂助景義は、織田信長に仕え羽黒村3千石の領主になります。
しかし天正10年(1582年)、本能寺の変で信長に殉じたため、梶原家は絶えました。
天正12年(1584年)、小牧山の合戦の折り豊臣秀吉がこの城を修復させ、山内一豊(猪右衛門)や梶原茂助などに守らせましたが焼け落ち、後に廃城となりました。