宮崎県東諸県郡国富町本庄神ノ原4045の台地端にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「上長塚古墳」とも呼ばれています。
肥後街道の南側、国富町商工会館を挟んで36号墳の西側にあります。
全長(現在長)73m、 後円部径37m・高さ7m、 前方部先端幅32m・高さ7.6m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
築造時期など詳しいことは不明です。
現在後円部には立派な「37・8年戦役記念碑」が建っています。
また前方部には石仏を祀った小さな祠があります。
住宅などで一部からしか全体像は観察できません。
ただし墳丘に登る階段が設置されています。
(後円部に立つ記念碑)
(後円部から前方部をみています。)
( 前 方 部 )
墳丘は一部損傷を受けています。
「上長塚古墳」とも呼ばれています。
肥後街道の南側、国富町商工会館を挟んで36号墳の西側にあります。
全長(現在長)73m、 後円部径37m・高さ7m、 前方部先端幅32m・高さ7.6m 二段構築の前方後円墳です。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていたようです。
築造時期など詳しいことは不明です。
現在後円部には立派な「37・8年戦役記念碑」が建っています。
また前方部には石仏を祀った小さな祠があります。
住宅などで一部からしか全体像は観察できません。
ただし墳丘に登る階段が設置されています。
(後円部に立つ記念碑)
(後円部から前方部をみています。)
( 前 方 部 )