古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

宮崎県国富町・本庄古墳群39号墳

2011-10-22 08:41:57 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄十日町6886の台地上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「丸山塚古墳」とも呼ばれています。
上記写真、手前が前方部です。
田部歯科医院の駐車場横です。

全長50m、 後円部径30m・高さ6.8m、 前方部先端幅?m・高さ4.2m の前方後円墳です。

後円部の墳丘の大きさに比べ、高さが際立っています。
築造時期など詳しいことは不明です。

市街地の西のはずれ近くにあり、一部観察しにくい所もあります。






宮崎県国富町・本庄古墳群38号墳

2011-10-22 08:04:22 | Weblog
宮崎県東諸県郡国富町本庄神ノ原4845の台地上にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。
「剣塚古墳」とも呼ばれています。
37号墳の少し西、肥後街道の北側です。

全長56m、 後円部径35m・高さ4m、 前方部先端幅?m・高さ4m 二段構築の前方後円墳です。

築造時期等詳しいことは不明です。

この古墳は、彦稲飯命(ひこいないのみこと)ー神武天皇の兄ーの陵墓とか、御刀姫(みはかしひめ)-景行天皇の妃ーの陵墓、はたまた日本武尊が熊襲武を刺した短刀を埋葬した塚 などいろんな伝説が残されています。

後円部墳頂には「本庄剣柄稲荷神社(ほんじょうけんのつかいなりじんじゃ)」があります。
この神社は、今から凡そ1900年ほど前の景行天皇即位12年壬午11月の創建と言われています。
御祭神は彦稲飯命・玉依姫命・神倭盤余彦命です。
かって社殿右手には、樹齢千数百余年と言われていた天然記念物の「本庄のいちいがし」がそびえていたそうですが、戦後間もなくの台風で倒れ今はありません。
わずかに石柱(半壊していますが)に名を残すのみです。

一部観察しにくい所があります。


   (手前の道路が旧肥後街道です。)




   (前方部の名残です。)