大阪府岸和田市池尻町持ノ木、久米田公園の東端にあります。
橘諸兄(たちばなのもろえ)塚古墳とも呼ばれています。
墳丘は一部損傷を受けています。
全長135m、 後円部径82m・高さ9m、 前方部幅64m・高さ5.5m 三段構築の前方後円墳です。
墳丘の周りには今も水を湛えた、幅12~13.5mの周濠があります。
山田池、ねんど池、どじょう池と呼ばれているのがそれです。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1996年発掘調査が行われています。
後円部中央と前方部に埋葬施設が確認されています。
後円部にある埋葬施設は竪穴式石室で、刳抜式石棺が納められていたそうです。
銅鏡、碧玉製管玉、鍬形石、車輪石、石釧、鉄剣、銅鏃、鉄小札革綴冑などが出土しています。
前方部にある埋葬施設には、木棺が納められていたそうです。
碧玉製管玉、鉄片などが出土しています。
4世紀末ころの築造と推定されています。
出土品は、朝鮮半島・新羅の影響が強いもので、そのことからこの古墳は渡来人の墓とみられています。
戦国時代、久米田合戦で「三好実休」の陣地となり、ほら貝を吹いたことからこの古墳の名前が付いたそうです。
「橘諸兄(たちばなのもろえ)」
684年~757年、敏達天皇の後裔・太宰帥美努王の子。
初代橘氏長者
橘諸兄(たちばなのもろえ)塚古墳とも呼ばれています。
墳丘は一部損傷を受けています。
全長135m、 後円部径82m・高さ9m、 前方部幅64m・高さ5.5m 三段構築の前方後円墳です。
墳丘の周りには今も水を湛えた、幅12~13.5mの周濠があります。
山田池、ねんど池、どじょう池と呼ばれているのがそれです。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
1996年発掘調査が行われています。
後円部中央と前方部に埋葬施設が確認されています。
後円部にある埋葬施設は竪穴式石室で、刳抜式石棺が納められていたそうです。
銅鏡、碧玉製管玉、鍬形石、車輪石、石釧、鉄剣、銅鏃、鉄小札革綴冑などが出土しています。
前方部にある埋葬施設には、木棺が納められていたそうです。
碧玉製管玉、鉄片などが出土しています。
4世紀末ころの築造と推定されています。
出土品は、朝鮮半島・新羅の影響が強いもので、そのことからこの古墳は渡来人の墓とみられています。
戦国時代、久米田合戦で「三好実休」の陣地となり、ほら貝を吹いたことからこの古墳の名前が付いたそうです。
「橘諸兄(たちばなのもろえ)」
684年~757年、敏達天皇の後裔・太宰帥美努王の子。
初代橘氏長者