古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

大阪府岸和田市・久米田貝吹山古墳

2010-07-10 08:47:07 | Weblog
大阪府岸和田市池尻町持ノ木、久米田公園の東端にあります。
橘諸兄(たちばなのもろえ)塚古墳とも呼ばれています。
墳丘は一部損傷を受けています。

全長135m、 後円部径82m・高さ9m、 前方部幅64m・高さ5.5m 三段構築の前方後円墳です。

墳丘の周りには今も水を湛えた、幅12~13.5mの周濠があります。
山田池、ねんど池、どじょう池と呼ばれているのがそれです。
墳丘には葺き石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

1996年発掘調査が行われています。
後円部中央と前方部に埋葬施設が確認されています。

後円部にある埋葬施設は竪穴式石室で、刳抜式石棺が納められていたそうです。
銅鏡、碧玉製管玉、鍬形石、車輪石、石釧、鉄剣、銅鏃、鉄小札革綴冑などが出土しています。
前方部にある埋葬施設には、木棺が納められていたそうです。
碧玉製管玉、鉄片などが出土しています。
4世紀末ころの築造と推定されています。
出土品は、朝鮮半島・新羅の影響が強いもので、そのことからこの古墳は渡来人の墓とみられています。

戦国時代、久米田合戦で「三好実休」の陣地となり、ほら貝を吹いたことからこの古墳の名前が付いたそうです。

「橘諸兄(たちばなのもろえ)」
684年~757年、敏達天皇の後裔・太宰帥美努王の子。
初代橘氏長者






大阪市・天王寺茶臼山古墳

2010-07-10 08:20:55 | Weblog
大阪市天王寺区茶臼山町1の天王寺公園内にあります。
墳丘は一部損傷を受けています。

全長200m、 後円部径120m・高さ?m、 前方部幅?m・高さ?m の前方後円墳です。

1986年(昭和61年)発掘調査が行われています。
その結果、葺き石や埴輪など確認できず、古墳ではないとの見方もあります。
ただ、聖徳太子が建立したことで有名な「四天王寺」のすぐ南西に位置し、その四天王寺には長持型石棺があり、境内からは埴輪などが出土しています。
また茶臼山古墳から出土したと伝わる石棺蓋もあります。

2009年(平成21年)の発掘調査で、水銀朱が塗られた石室らしいものが発掘されたそうです。
その後の詳しい発掘結果の発表が待たれるところです。

5世紀後半に、この地の豪族のために築造された墓と伝えられています。
古墳の周りには河底池(通称・ちゃぶいけ)があります。
大阪府の史跡に指定されています。

この古墳のある茶臼山一帯は、慶長19年(1614年)の大阪冬の陣で徳川家康の本陣に、翌慶長20年の大阪夏の陣では真田幸村の本陣となっています。


(ちゃぶいけと古墳に架かる橋・・・左奥は通天閣です。)