宮崎市下北方町5756、大淀川左岸の台地上にあります。
1号墳のすぐ西側です。
周りを住宅で囲まれています。
下北方町は、宮崎市内でも高級住宅地として知られています。
全長68m、 後円部径36m・高さ6.3m、 前方部幅35m・高さ5.7m の前方後円墳です。
1号墳同様、主軸を南北方向に取っています。
墳丘には葺き石が施されています。
1989年発掘調査が、1995年には測量調査が行われました。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
この古墳の築造時期は、古墳時代中期と推定されています。
昭和14年4月21日、宮崎県の史跡に指定されています。
下北方古墳群(塚原地区)を構成しています。
因みに、この古墳の西方には、直径20mほどの円墳6基が集中してあります。
その中の7・8・9号墳の墳丘下には、地下式横穴の存在が確認されています。
1号墳のすぐ西側です。
周りを住宅で囲まれています。
下北方町は、宮崎市内でも高級住宅地として知られています。
全長68m、 後円部径36m・高さ6.3m、 前方部幅35m・高さ5.7m の前方後円墳です。
1号墳同様、主軸を南北方向に取っています。
墳丘には葺き石が施されています。
1989年発掘調査が、1995年には測量調査が行われました。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
この古墳の築造時期は、古墳時代中期と推定されています。
昭和14年4月21日、宮崎県の史跡に指定されています。
下北方古墳群(塚原地区)を構成しています。
因みに、この古墳の西方には、直径20mほどの円墳6基が集中してあります。
その中の7・8・9号墳の墳丘下には、地下式横穴の存在が確認されています。