古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

栃木県足利市・緑町愛宕山古墳

2019-03-09 06:02:26 | Weblog
栃木県足利市緑町2丁目の丘陵南端にあります。
足利公園の南、両毛線の南隣りです。

全長60m、 後円部径40m・高さ7.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。

(後円部)






(前方部)








後円部墳丘上には愛宕神社の社殿が建っています。






墳丘には葺石が施されていたようです。


円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

資料が少なく、築造時期を含めそのほかの詳細は不明です。

栃木県足利市・足利公園3号墳

2019-03-02 06:35:33 | Weblog
栃木県足利市緑町1丁目の丘陵上にあります。
渡良瀬川の北側の丘陵・足利市街の西の足利公園内です。

全長34m、 後円部径24m・高さ6m、 前方部先端幅24m・高さ?m  二段構築の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。
それまで円墳とみられていましたが、平成5年度の保存整備事業に伴う発掘調査で前方後円墳と判明しました。






                 (後円部)



                 (前方部)


墳丘には川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や朝顔形埴輪・靱形埴輪・大刀形埴輪・盾形埴輪・鞆形埴輪・衣蓋形埴輪・人物埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、両袖型の横穴式石室です。


全長7.9m、玄室の長さ3.3m・幅約1.8m・高さ約2.1mあり、奥壁・側壁とも山石で造られています。


南南東方向に開口しています。
銅製耳環、鉄鏃、小札、刀子、轡、杏葉、辻金具、カコ、須恵器などが出土しています。

本古墳は明治19年(1886年)峰岸政逸、それに続く坪井正五郎によって発掘調査が行われています。
その際、金環・小刀・鉄鏃・轡・馬具・杏葉・鎧小札・須恵器などが出土したとのことです。

前方後円墳1基、円墳9基からなる足利公園古墳群を構成しています。


古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和44年3月31日、1~2号墳とともに足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・水道山山頂古墳

2019-03-02 06:10:27 | Weblog
栃木県足利市緑町3780の丘陵尾根上にあります。
足利市緑町排水場の裏山、水道山の山頂です。

全長35m、 後円部径20m・高さ3m、 前方部先端幅20m・高さ3m  の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。
立派な鳥居と小さな石製の祠が祀ってありました。





墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や女子埴輪・靱形埴輪・剣形埴輪・盾形埴輪・鞆形埴輪・翳形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、横穴式石室(全長5.5m・高さ1.7m)です。
胴鋺などが出土しています。

古墳時代後期頃の築造と推定されています。
















栃木県足利市・行基平山頂古墳

2019-02-23 14:00:42 | Weblog
栃木県足利市本城3丁目の織姫公園内にあります。
機神山の北に続く尾根、「レストハウス」を挟んで反対側の行基平の山頂部です。

全長44(以上)m、 後円部径20m・高さ4m、 前方部先端幅12m・高さ2.5m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
自然地形を利用して造られているため、前方部が開きのないやや短い特徴があります。
墳丘の各所で土嚢による補強(?)が施されていました。















平成24年(2012年)~平成27年(2015年)にかけて発掘調査が行われています。
墳丘には葺石が施されていたようです。
墳頂部及び中段のテラス面に円筒埴輪や朝顔形埴輪が並べられています。
くびれ部東側からは、儀式用とみられる須恵器や土師器がまとまって出土しています。
前方部前端の南側からは、形象埴輪(人面付円筒埴輪・人物埴輪・馬形埴輪・鳥形埴輪・小像ミニチュア埴輪)群が出土しています。
後円部墳頂の中心から約2.3mの深さで、竪穴式とみられる主体部の一部が見つかり鉄鏃が出土しています。


この古墳の築造時期は、古墳時代後期・6世紀初頭頃の築造と推定されています。
機神山山頂古墳よりは少し先行しているようです。

昭和53年6月21日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・機神山山頂古墳

2019-02-23 13:20:19 | Weblog
栃木県足利市本城3丁目にあります。
足利市役所西側の山の上、織姫公園内の機神山最南端の山頂です。

全長36(以上)m、 後円部径19m・高さ4m、 前方部先端幅19m・高さ3m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
山を削って造られていますが、後円部テラス部は盛り土です。
墳頂部の標高が約118mあり、足利市全体を見渡すことができます。


                    (前方部)


(後円部)










墳丘二段目に葺石が施されています。
後円部にある埋葬施設は、南側に開口する無袖型の横穴式石室です。
現存している石室の全長は8.08m、入り口部の幅1.53m・高さ1.23m、奥壁幅1.98m(最大部分で2.73m)・高さ2.34mあります。
明治26年に行われた発掘調査で、副葬品として直刀2・鉄鏃17・鍔・倭製獣帯鏡2・六鈴鏡・杏葉や轡や鉄製輪鐙といった馬具・須恵器製堤瓶・勾玉・小玉・耳環などが、墳丘裾部からは円筒埴輪や朝顔形埴輪・靱形埴輪・盾形埴輪・家形埴輪・馬形埴輪・鳥形埴輪・女子人物埴輪などが出土したそうです。
ただそれらの所在は不明だそうです。
保存整備事業に伴う発掘調査が平成20年、足利市教育委員会によって実施されています。
その際くびれ部付近を中心に、円筒埴輪や馬形・大刀・盾形・靱形・翳(さしば)などの形象埴輪が数多く出土したそうです。
石室は平成23年3月11日に発生した巨大地震に伴い、石室の側壁の一部が転落したり、天井石がずれるなどの被害が出たそうです。
そのため現在は石室内部に土嚢を詰めて保護しているそうで、見学はできないようになっています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和53年3月6日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・蔵王権現古墳

2019-02-16 06:01:33 | Weblog
栃木県足利市名草下町485、山すそ斜面にあります。
「北関東自動車道」の北側です。
「丸木8号墳」とも呼ばれています。




                 (蔵王権現社)


               (権現社脇の墳丘への道)

全長44m、 後円部径22m・高さ4.5m、 前方部先端幅22m・高さ4m  の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。



(前方部)






(後円部)





                 (盗掘坑?or陥没坑)



墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪や武人形埴輪、女子形埴輪、琴を持つ人形埴輪、馬形埴輪、靱形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。

3支群(大坂・上丸木・下丸木)27基からなる丸木古墳群を構成しています。
その中の一つ、上丸木支群(前方後円墳1基・円墳8基)にあります。
名草下町自治公民館東方の丘陵上です。

古墳時代後期・6世紀中頃の築造と推定されています。

栃木県足利市・瓢塚古墳

2019-02-16 05:43:42 | Weblog
栃木県足利市小俣町鳴石にあります。
JR両毛線・小俣駅前から小俣川の上流を目指してかなりの距離進んだ山間部、深高山側の対岸(南岸)山麓です。
山間部に1基だけ存在します。

全長約42m、 後円部径26m・高さ7m、 遠方部先端幅6m・高さ5~5.5m  帆立貝形の前方後円墳です。
前方部を南に向けています。
墳丘は一部削平を受けています。







(後円部)






(前方部)




資料がほとんどなく築造時期や遺物の出土の有無など詳細は不明ですが、かって埴輪片や須恵器片が散乱していたということです。

昭和35年7月12日、足利市の史跡に指定されています。

群馬県板倉町・道明山古墳

2019-02-09 06:13:07 | Weblog
群馬県邑楽郡板倉町岩田道明1540、谷田川左岸の台地縁辺にあります。
「伊奈良村3号墳」とも呼ばれています。



全長36m、 後円部径24m・高さ3.4m、 前方部先端幅30m・高さ2.7m  の前方後円墳です。
現在は後円部の一部が残っています。


         (手前の田圃に前方部がありました)















墳丘の周りには周濠(前方部の東隅が直角になる片直角型)があります。


円筒埴輪や太刀形埴輪、人物埴輪、馬形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、紡錘状の浮石質角閃石安山岩(軽石)で造られた横穴式石室です。

築造時期は古墳時代後期と推定されています。

昭和50年4月25日、板倉町の史跡に指定されています。

谷田川左岸の板倉町岩田地区にある三基の前方後円墳は、「道明山古墳」・「舟山古墳」・「筑波山古墳」の順に築造されていったようです。

群馬県板倉町・舟山古墳

2019-02-09 05:56:18 | Weblog
群馬県邑楽郡板倉町岩田風張2630、谷田川左岸の低台地縁辺にあります。
筑波山古墳から南西に200mほど行った、館林市との境界に接するところです。
「伊奈良村2号墳」とも呼ばれています。

全長66m、 後円部径48m・高さ6.1m、 前方部先端幅25m・高さ4.6m  の前方後円墳です。
現在は前方部が残るのみです。

墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にあった埋葬施設は横穴式石室で、浮石質角閃石安山岩の河原石で造られていたようです。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和44年5月29日、板倉町の史跡に指定されています。














群馬県板倉町・筑波山古墳

2019-02-02 05:53:24 | Weblog
群馬県邑楽郡(おうらぐん)板倉町岩田風張2498、谷田川左岸の低台地縁辺にあります。
「伊奈良村1号墳」とも呼ばれています。



全長53.5m、 後円部径36m・高さ4m、 前方部先端幅36.5m・高さ3.5m  の前方後円墳です。
墳丘はかなり削平されています。

墳丘の周りには幅4.5~9.5mの盾形をした周濠があります。
墳丘に葺石は施されていなかったようです。
また埴輪の出土もなく、墳丘に埴輪の配列はなされていませんでした。
昭和8年、後円部墳頂に社(筑波山神社)を造る際横穴式石室が見つかりました。
石室は天井石が旗川流域産の石灰岩、石室の壁石が榛名山二ツ岳産・角閃石安山岩(軽石)で築かれていて、胴張り型の馬蹄形をしています。
男女(夫婦?)2体の人骨のほか、瑪瑙製勾玉2個、水晶製切子玉9個、金環、銀環、鉄刀、鉄鏃、銀象嵌亀甲繋鳳凰文円頭把頭、銀象嵌鍔などが出土しています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和44年5月29日、板倉町の史跡に指定されています。
平成14年6月26日、石室の石材及び副葬品が町の重要文化財に指定されています。


                 (左が前方部)










                 (右奥が前方部)