古墳:探訪

全国の前方後円墳を中心に訊ね歩いています。

栃木県足利市・中日向1号墳

2019-04-13 05:28:08 | Weblog
栃木県足利市瑞穂野町1320の台地上にあります。
「中日向(なかひなた)赤城神社古墳」とも呼ばれています。

全長50~60(現存37)m、 後円部径30m・高さ2.5m、 前方部先端幅23m・高さ?m  の前方後円墳です。
前方部を西に向けています。
その前方部は道路で切断され、すでに消滅しています。
後円部には南面する赤城神社の社殿が建っています。

















墳丘には埴輪の配列がなされていたようです。

中日向古墳群を構成しています。
瑞穂野町から高松町にかけて広がる台地上に15基以上が残っています。
この古墳はその台地の東端部にある前方後円墳2基・円墳3基のうちの1基です。

古墳時代後期の築造と推定されています。

昭和58年12月21日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・永宝寺裏古墳

2019-04-06 06:23:59 | Weblog
栃木県足利市小曽根町242、足利市の東南端・矢場川北岸の低台地上にあります。
永宝寺本堂裏(北側)です。



小曽根浅間山古墳の東約100mのところです。

全長66m、 後円部径36m・高さ6m、 前方部先端幅23m・高さ6m  二段構築の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。
前方部を西に向けています。


                   (右が前方部)

(後円部)








墳丘の周りには、幅約4m以上・深さ1m以上の周濠があります。
墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
南側くびれ部からは須恵器製大甕の破片も出土しています。
後円部にある埋葬施設は、無袖型の横穴式石室です。
南南東方向に開口している石室は、全長6.7m・幅1.6m(奥壁)・高さ1.6m(奥壁)あり、割石積で造られています。
羨道と玄室の間には約60㎝の段差があります。
現在石室入り口は施錠されていますが、お寺の方にお願いすれば開錠していただき内部を見学することができます。
石室から金銅製耳環11個、石製管玉5個、ガラス製小玉200個以上、雲珠の部材、弓飾金具、鉄鏃1点などが出土しています。
金銅製耳環11個が出土していることから、少なくとも6人以上が埋葬されたとみられています。











古墳時代後期・6世紀末頃の築造と推定されています。

昭和61年9月24日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・小曽根浅間山古墳

2019-04-06 05:55:13 | Weblog
栃木県足利市小曽根町掃田、矢場川左岸の平地にあります。
足利市の南端で、墳頂には浅間山神社がたっています。






               (神社裏にたつ稲荷社)

全長58m、 後円部径38m・高さ7m、 前方部先端幅23m・高さ3m  の前方後円墳です。
前方部が低くて短い特徴を持っています。




墳丘は一部削平を受けています。

(後円部)








1986年に調査が行われています。
墳丘の周りには、幅約9~14mの前方後円形をした周濠があります。
墳丘には川原石による葺石が施されています。
円筒埴輪や器台円筒埴輪・朝顔形埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
埋葬施設は竪穴式石室です。


                    (盗掘坑?)

筑波小学校の南東約200mほどの矢場川左岸に分布する、前方後円墳2基・円墳7基からなる小曽根古墳群を構成しています。

墳丘の形状や、出土した円筒埴輪が縦刷毛で口縁部を受け皿状にし、巴形や方形の透かし孔をもっていることから、古墳時代前期・4世紀中葉頃の築造と推定されています。
藤本観音山古墳ともども前期古墳の特徴を有しています。

平成15年6月20日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・藤本観音山古墳

2019-03-30 05:53:41 | Weblog
栃木県足利市藤本町532、群馬県(上野)と栃木県(下野)の境を流れる矢場川右岸の標高約30mの平地にあります。
「藤本古墳」とか「矢場川村1号墳」とも呼ばれています。



全長117.8m、 一辺長56m・高さ11.8m、 前方部先端幅51m・高さ5.4m  前方部2段、後方部3段構築の前方後方墳です。
前方後方墳としては全国5番目の大きさです。
前方部を西北西に向けています。







くびれ部付近にはかって民家があったそうで、そのためか削平を受けています。


(後方部)







                    (墳頂)


(前方部)


昭和59年度に第1次発掘調査が行われ、その後も平成15年度までに七次にわたり実施されています。
浅くて広い(40m)不整長方形(前方部南西側が極端に狭くなっている)の周濠があります。
周濠幅の狭くなっている部分の外側で、古墳と同時期の竪穴建物(古墳築造のための飯場や現場事務所的なもの?)21棟、土坑3基(祭祀遺構か?)が確認されています。
上記写真の左側一帯です。
後方部3段目には川原石による葺石が施されています。
埴輪の出土はありませんが、墳頂には二重口縁壺形土器が配されていました。
埋葬施設は未調査につきはっきりしませんが、竪穴式石室とみられています。
盗掘は受けていないそうです。


               (盗掘坑or獣の巣?)


この古墳の築造時期は、古墳時代前期・4世紀中葉ころと推定されています。

昭和39年7月25日足利市、平成18年7月28日国の史跡に指定されています。

栃木県足利市・勢至堂裏古墳

2019-03-30 05:36:44 | Weblog
栃木県足利市新宿町1160の自然堤防上にあります。
「上宿古墳」とか「矢場川村41号墳」とも呼ばれています。
勢至堂の裏は墓地になっていて、その先に古墳はあります。
ただ古墳のそばまでソーラーパネルが設置されています。
古墳は立ち入り禁止区域に取り込まれていて、近づくことはできませんでした。

全長45m、 後円部径29m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
遠目ではありますが墳土がむき出し状態のようで、大雨が降ると流出してしまうのではと危惧されます。





平成6年に調査が行われています。
墳丘の周りには周濠があります。
埋葬施設は横穴式石室です。

矢場川村古墳群を構成しています。
かっては90基以上の古墳があったそうですが、今はわずかしか残っていないそうです。

古墳時代後期・6世紀前半頃の築造と推定されています。

昭和39年7月25日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・羽刈観音山古墳

2019-03-23 05:44:58 | Weblog
栃木県足利市羽刈町389の丘陵上にあります。
羽刈工業団地から西へ少し行った西原集会所近くです。
館林市との境界近くでもあります。



全長38m、 後円部径21m・高さ3m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は一部削平を受けています。
前方部を南に向けています。







墳頂には子育観音堂と庚申塔が祀ってあります。










平成5年に測量調査と前方部の裾部付近のトレンチ調査が行われたそうです。
その際遺物は発見されなかったとのことです。

埋葬施設をはじめ築造時期など、資料が少なく詳細は不明です。

栃木県足利市・根本神社古墳

2019-03-23 05:29:30 | Weblog
栃木県足利市朝倉町410、明神山丘陵東の平坦地にあります。

全長30m、 後方部一辺長21m・高さ4.5m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後方墳です。
頂部は長さ約7m、幅5mで北方向に緩やかに傾斜しています。
その頂部には、周辺にあった群集墓の石材と思われる割石を組んで根本神が祀られています。
前方部は削平されています。

















埋葬施設をはじめ築造時期など、資料が少なく詳細は不明です。

昭和56年2月25日、足利市の史跡に指定されています。

栃木県足利市・常見正善寺古墳

2019-03-16 05:36:07 | Weblog
栃木県足利市常見町417、渡良瀬川北岸・沖積平野の低台地にあります。
勧農車塚古墳の西1.3Kmほど・正善寺境内です。
「常見車塚古墳」とか「常見4号墳」とも呼ばれています。

全長88m、 後円部径32m・高さ5m、 前方部先端幅38m・高さ4m  二段構築の前方後円墳です。
前方部を南南西に向けています。
くびれ部に正善寺本堂が建っていて、後円部と前方部を分断する形になっています。
その墳丘上は墓地になっています。



(後円部)








(前方部)






墳丘の周りには周濠が、その外側には堤があります。
墳丘には円礫による葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
外堤にも埴輪が並べられていたようです。
後円部中央にある埋葬施設は、南方向に開口する両袖型の横穴式石室です。
乱石積の石室は全長7.5m、羨道の長さ1.8m・幅1.10~1.15m・高さ0.7~1.1m、玄室の長さ5.7m・幅約1.8~2.15m・高さ約1.7mあります。
羨道部に2個、玄室に5個の天井石が使われています。
副葬品については明らかでありません。


               (お寺の境内に鳥居が...)





古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

昭和39年7月25日、足利市の史跡に指定されています。


             (一般の墓地の中にありました)

栃木県足利市・勧農車塚古墳

2019-03-16 05:20:17 | Weblog
栃木県足利市官北町8、渡良瀬川左岸の沖積台地上にあります。
高庵寺の境内です。



全長80m、 後円部径40m・高さ?m、 前方部先端幅?m・高さ?m  の前方後円墳です。
墳丘は高庵寺本堂や墓地で大きく削平されていて、後円部の一部が残るだけです。
前方部を南に向けています。













墳丘の周りには周濠があります。
種類ははっきりしていませんが、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、竪穴式石室とみられています。
管玉や滑石製模造品(鎌形2・刀子形4など)が出土しています。

古墳時代中期・5世紀中頃の築造と推定されています。

栃木県足利市・助戸山3号墳

2019-03-09 06:22:19 | Weblog
栃木県足利市助戸3丁目、助戸山の鞍部にあります。
定年寺本堂裏の山の上です。
足利市内を眺められる高台です。
「助戸山鞍部古墳」とも呼ばれています。


全長27.5m、 後円部径14.3m・高さ2.5m、 前方部先端幅9.9m・高さ1.5m  二段構築の前方後円墳です。
墳丘は削平を受けています。






                 (奥が前方部)




                 (奥が後円部)

墳丘には葺石が施されていたようです。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘には埴輪の配列がなされていました。
後円部にある埋葬施設は、南向きに開口する無袖型横穴式石室(全長7m以上)です。
天井石などは失われています。

            (石室は土嚢で埋められていました。)

人骨(5体程度)や直刀、鉄鏃、環状鏡板付轡、金銅製耳環、ガラス製勾玉、ガラス製小玉などが出土しています。
直刀の鍔やはばきからは、象嵌が見つかっています。

古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。

全17基からなる助戸山古墳群を構成していて、群中唯一の前方後円墳です。

平成14年11月14日、足利市の史跡に指定されています。
古墳脇に立っている白い標柱には平成11年11月14日指定とありますが、平成14年が正しいようです。

かっては竹藪に覆われていたそうですが、訪ねた時は墳土がむき出し状態で、もし大雨が降ったら流失してしまうのではと危惧しています。