群馬県邑楽郡板倉町岩田風張2630、谷田川左岸の低台地縁辺にあります。
筑波山古墳から南西に200mほど行った、館林市との境界に接するところです。
「伊奈良村2号墳」とも呼ばれています。
全長66m、 後円部径48m・高さ6.1m、 前方部先端幅25m・高さ4.6m の前方後円墳です。
現在は前方部が残るのみです。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にあった埋葬施設は横穴式石室で、浮石質角閃石安山岩の河原石で造られていたようです。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和44年5月29日、板倉町の史跡に指定されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/08/5ddc719b764e601abd3a088081ee2447.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/27/9c/86bfdf6ddc50691fb3c6c779bc859c3c.jpg)
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筑波山古墳から南西に200mほど行った、館林市との境界に接するところです。
「伊奈良村2号墳」とも呼ばれています。
全長66m、 後円部径48m・高さ6.1m、 前方部先端幅25m・高さ4.6m の前方後円墳です。
現在は前方部が残るのみです。
墳丘の周りには盾形をした周濠があります。
円筒埴輪などが採取されていて、墳丘に埴輪の配列がなされていました。
後円部にあった埋葬施設は横穴式石室で、浮石質角閃石安山岩の河原石で造られていたようです。
古墳時代後期・6世紀後半頃の築造と推定されています。
昭和44年5月29日、板倉町の史跡に指定されています。
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