視覚障碍者が駅のホームから転落、そこへ電車、はねられ死亡とのこと
(最初に一言)
同類(同病)相憐れむではないのだが、中途視覚障碍者としての私にはとても辛すぎる話である。
なんとも言い難い事故であり、正直なところ「またか」なのである。必ず防げたはずだ。だが、それがなぜかできないから、もどかしさはつのるだけ。
(最後に一言)
もう何も言うことはないので、今回はこれでやめておこう。ずっと以前のブログ記事でも述べていたが、健常者と障碍者の間に見い出される差別と排除の関係は、健常者同士の間にも、また障碍者同士の間にも等しくみられる。そして、それら差別と排除の関係をつくり出しているのは、何度も語ってきたようにいわゆる「普遍的価値」と、その価値を世界の隅々へと拡大・浸透を目指す普遍主義なのだ。この点に関しては、拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」セカイ・世界とそこでのセンソウ・戦争』(晃洋書房2014年)の88-91頁の図表とモデルを参照されたい。もっとも、私の主張は多くの読者には伝わらない。それどころか、「こいつの頭は相当にいかれている」、と同情されるのが落ちだろう。
昨年のある時期、盲学校での朝の全校集会での一こまを、私は忘れることはないだろう。「差別解消のためには、日本国憲法前文や憲法本文にある普遍的価値(人権)を尊重して、その実現を目指すことが重要云々との文科省通達が紹介されたからだ。なお、これに関してもブログ記事で論述しているので、参照されたい。その日のために、これまでの私の研究を全否定するかのような青天の霹靂というのを感じるために、私はこの盲学校の生徒になるように、何かの導きがあったのだろう、と考えたものだ。