靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

何度も戻る言葉

2011-09-15 23:42:15 | 思うに
何度も戻る言葉に、マザーテレサの「The Final Analysis」の最後の部分がある。

“You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway”

「お分かりのように最終的に分析すると、それはあなたと神との間でのことなのです。
決してあなたと彼らとの間でのことではなかったのです。」

この「神」は「自身の中心」「内の無限」という言葉に置き換えると自分にはしっくりとくる。自身の奥にある自身という枠組みを越えた存在。

修道院を飛び出し、嵐のような否定的反応にあいながらも、一心に活動し続けることで結果的に多くの人々の心に影響を与え新しい流れを生むことになったマザーテレサ。マザーテレサの心の奥底には常に「私と彼らとの間」を超えた「私と神との約束」のようなものがあったのだろう。「私と彼ら」を超えたところに拠るからこそ、現状を変えていくこともできるのかもしれない。

こんなマザーテレサの言葉もある。

"Do not wait for leaders; do it alone, person to person."

「リーダーを待たないで。自ら一人でやってみなさい。」

リーダーは一人一人の内に。



「The Final Analysis」は元々「The Paradoxical Commandments」 としてKent M. Keithによって書かれたものを、マザーテレサが最後の部分を書き加えるなどして、カルカッタの「子供の家」の壁に貼ったもの。

以下「The Final Analysis」全文。

People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
...Forgive them anyway!

If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives;
...Be kind anyway!

If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
...Succeed anyway!

If you are honest and frank, people may cheat you;
...Be honest and frank anyway!

What you spend years building, someone could destroy overnight;
...Build anyway!

If you find serenity and happiness, they may be jealous;
...Be happy anyway!

The good you do today, people will often forget tomorrow;
...Do good anyway!

Give the world the best you have, and it may never be enough;
...Give the world the best you've got anyway!

You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway.

添い寝

2011-09-14 01:16:25 | 子育てノート
「五人とも添い寝した」と言うと、大抵驚かれる。

こちらでは赤ちゃんのときから親とは別のベッドに寝せるのが普通。


American Academy of Pediatrics やthe Consumer Product Safety Commissionなども添い寝を奨めない。母親が赤ちゃんに覆いかぶさって突然死や窒息死の原因になると。一方、添い寝を推奨する専門家もいる。一緒に寝ていると返って突然死などの変化に気がつきやすいと。

私自身の経験から言って、赤ちゃんをつぶしてしまうということは、ない。不思議なものでどんなに
ぐっすり眠っていても、赤ちゃんの少しの変化にも気がつくものだ。多分出産後の母親はそういう風にできているのじゃないかな。


一人で寝せることをトレーニングするのは、かなり泣かせて慣れさせるというケース(耳栓をしたり音楽を大きくしてドアを閉め聞こえないようにしたという知り合いも)から、ぐずるたびに背中をたたくなどして大丈夫と分からせ徐々に慣らし赤ちゃんもストレスを感じずといったケースまで色々だけれど、慣れてしまえば赤ちゃんでも自分の部屋で一人でスヤスヤと眠るようになる。

一人で寝ることは自立心を育て、一緒に寝ているといつまでも自立できない癖をつけてしまうという意見が、一人寝を促す大きな理由のひとつにある。一方、添い寝を推奨する専門家として最も知られているDr. William Searsなどは、添い寝を「情緒的絆の育児」(attachment parenting)の7つの柱の1つとし、小さな頃にしっかりと親とくっついている方がより安心感と自立心を育てる、とも言っている。("The Baby Book” by Dr. William Sears)


色々な意見があるけれど、周りをみても一緒に寝たというケースはほとんど聞かない。確かに親ものびのびと眠ることができ子供もハッピーならば一人寝ほどいい方法はないだろうとも思う。

それでも私は添い寝を選んでしまった。選ぶというよりそれしかできなかったといった方が当たっているかもしれない。添い寝することが子供にとって害だという納得できる理由があったのなら、泣く泣く諦めただろうけれど。

一つには楽。よく母乳をあげたままお互い寝てしまっていた。大雑把な私にはとにかく合っていた。(笑) もう一つには、自分の子供時代の体験。これが大きかったのだと思う。私は物心ついた頃から親と離れた部屋で寝ていた。ところが必ず毎晩目を覚まし、母親の布団へ潜り込んだ。この真夜中バチリと目を覚まし、暗い廊下を通って母親の布団までいくという経験が自分の内に大きく残っている。なぜかいつも夜が恐くて恐くてしょうがなかった。


いつしか上3人は自分の部屋で寝るようになり。今は2歳の次男とくっつき合って寝ている、時々三女も混ざって。すやすやと眠るプニョプニョとした子供たちに囲まれて眠るのが大好きだ。子どもの背中やお腹に顔をこすり付けながら。子どもたちの温もりに私は随分と癒されてきたのかもしれない、そんな風に感じている。

夫婦ノート(流れは止まることなく)

2011-09-14 00:38:46 | 夫婦ノート
内の温もりからは 愛が流れ続けている

愛がなくなるということは ない

遮るものに 目を向けていただけ

遮るものを 積み重ねていただけ


内の温もりに戻る

すると 流れに気がつく

止まることのない流れ

遮るものは押し流され


日々内の温もりに戻る

あの共に生きていくと誓いを立てた日と

同じ情熱で相手に向き合う自分に 気がつくだろう

夫婦ノート(一つに)

2011-09-12 00:11:01 | 夫婦ノート
ギリシャ神話に元々は両性具有だった存在(androgyunous)がある日ゼウスによって二つに分けられたという話があり、それで男と女が惹かれ合うのはかつて一体だった片割れと再び一緒になりたいからだ、という物語がある。(プラトン『饗宴』) 人は元の完全な状態に戻りたくてしょうがないのだ、と。

またユダヤでは、世界は4つのもの(element)、火・風・水・地、 人間・動物・植物・命のないもの全て、 春・夏・秋・冬、 北・南・東・西で作られていて、これら4つのものを超越する5つ目の存在が、男と女の魂が結びついた存在即ち「神」の魂に到達した存在、と言われていたりする。


肉体だけでなく心も魂までも一緒になる、というのは一瞬のことならば結構簡単なことなのかもしれない。ところが長い年月を共に経つつとなると、とてつもないチャレンジとなってくる。

それでも、「神」に近いより完全な存在になるため、とまではいかないとしても、一人では到達できないところへ行くためにこうして共にいるのだ、という前提みたいなものが互いの間にあると、チャレンジ溢れるパートナーとの暮らしも、より生き生きと意味を持ち始めるということはあるのかもしれない。

2人でしか到達できないところがある。目の前の相手は、到達する地点へいくための「障害」なのではなく、到達するために「必要不可欠な存在」なのだという認識。

「問題」をより一体となるための「チャレンジ」と、目の前に現れる「問題」は二人がより完全になるための「好機」だととらえながら。


様々に与えられるチャレンジに向き合い共に越えていく二人。

ふと、一人では絶対に来ることのなかった地点に佇んでいる自分に気がつく日が来るだろう。

もう二人と分かつことのできないほど一体となったパートナーと共に。

フィリピン料理ルンピア!

2011-09-12 00:06:50 | 
肉の詰まった春巻き、という感じのルンピア。

ガーリックとしょうゆと塩胡椒の味付け。チリ甘辛ソースなどにつけて。

豚ひき肉、玉ねぎガーリック、キャベツ、ニンジン、ねぎを炒めて、

ライスペーパーで巻いて、


まいて。


山盛りルンピアひたすら揚げる。


できあがり!

手前オーブンベーク、後ろ揚げたもの。

いけました。肉いっぱいなのに、なぜかあっさり軽い。パクパクとすすみます。


夏の誕生日合わせて7人の誕生日祝いも。

メレンゲケーキと、ベリーパイと。

子供たちの奏でる音に耳を澄まし。



ああ、楽しく美味しかったです。感謝を込めて。

(よかったらこちらイマココ煮もどうぞ。複数人で続けるブログです。カイで書いてます。)

収穫差し入れ!

2011-09-12 00:06:07 | 
友人が裏庭で取れた野菜を下さった。

大量のソラマメとニンジン!


むいてむいて。


友人ゆでる。


ゆでソラマメの美味しいこと! 大人にも子供にも大人気。

ニンジンの葉はこうしてオーブンで焼き、


細かくほぐして塩とゴマを混ぜ、フリカケにしてくださった!

これ驚きの美味しさです。子どもたちパクパクとおかわり。

『そらまめくんのベッド』なかやみわ作・絵、友人による読み聞かせ。

「ほんとうにやわらかかったね~、そらまめくんのべっど~」皮をむき終わった子どもたち。

処理から調理、読み聞かせまで、本当にありがとうございました!

メールマガジン「MUGA」第二号!

2011-09-09 23:07:38 | お知らせ
メールマガジン「MUGA」第二号が完成しました。

とても読み応えのある内容でした。

「MUGA」は毎月15日発刊の無料メールマガジンです。

興味がある方は是非こちらから登録どうぞ!


以下第二号目次及び「MUGA」についてです。

◆目次

◇アート

・詩
『季節の詩』     rita

・小説
『きみの涙を恥じるなかれ』②   那智タケシ

◇自然科学

『潜態論入門』第2回   河野龍路

◇座談会
「潜態論」の可能性 無我表現研究会

◇評論

『悟り系とは何か ~悟りはゴールではない~』   高橋ヒロヤス

◇体験

『2つが1つに』 河中慶滿

◇エッセイ
アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 
『晩夏』   長岡マチカ


●「MUGA」発刊にあたって  

 自然からの分離、エゴの恐るべき肥大化によって、人類は戦争、テロ、飢餓、自然破壊、核の問題等、恐るべき問題を生み出し続けてきました。そして3月11日の福島原発の事故によって、私たちは新たな道へと歩き出さねばならないことが明白になりました。
エゴイズムに汚染された現代文明から、自然の摂理と合一した「無我」的な文明への転換の道――しかしその道を選択し、実際に人々が歩み出すためには、まず「無我」というものを積極的価値観として、社会の中に根付かせてゆく必要があると強く感じています。
「私」中心の価値観から、「世界=無我」中心の価値観へ。無我表現研究会では、機関紙『MUGA』を月刊(毎月15日)で発行し、芸術、自然科学、評論、エッセイ等、様々なジャンルで「無我」の側からの表現を発信してゆきます。
  
無我表現研究会代表 那智タケシ

長女との時間

2011-09-09 23:05:27 | 出来事や雑感や (子育て)
長女と2人で出かけた。

上3人と交代で1人ずつ出かけるというのを夏に始めてふたまわり。長女と2回目のお出かけ。

「ヴィジョン・ノート」というのを持ってカフェへ。この先1ヵ月の、5年生の、1年後の、中学、高校、大学、成人してから、先へいけばいくほど漠然としているけれど、思い描くヴィジョンを書き出していく。夢のような話も楽しみながら。

どうしたら実現できるかという話も。あれこれアイデア出し合って。

長男長女を見ていて、高学年くらいになると随分とやりたいことがはっきりとしてくるんだな、と感じている。まだまだ変わっていくのだろうけれど。

「嫌になったりもうだめだと思う時も来るかもしれないけれど、それでもしばらく休んだら立ち上がってまた歩いてみる。進む方向が見えているならあとは歩いていくだけよ。何かに向けて進んだという過程は例えその後違う方向へ進むことになったとしても絶対に生きてくるから」と話す。

その後、長女がこれからやりたい思っていることに必要なものを買いに行った。5ドルですむようなものだけれど。「ヴィジョンを書き出して初めの1歩、行動して次の1歩」そんなことを言い合いながら、長女は買ったばかりのそれを胸にしっかりと抱え、嬉しそう。



帰り道、窓の外を見ていた長女が突然叫ぶ。

「あの花! ずっとずっと気になってたの!」

車をUターンさせ、舗装されていない細い道に入り止める。

目の前には一面オレンジ、ところどころ青紫の花。花の間を大喜びで歩き回る長女。

「いつも忙しくて通り過ぎるだけだったけど」

そんな長女の言葉にはっとする。


押し花にするんだと少しだけ摘んだ花を手に、「ママ!びっくりするくらいいい香り!」と助手席ではしゃぐ長女。

「こういう寄り道も、たくさん楽しもうね」

長女の差し出す小さな花の強い香りに驚きながら、そう言う。長女は笑顔で肯いていた。


2時間少しのことだったけれど、何だか永遠に感じるような、とても贅沢な時間だった。



長女の摘んだ花。


寝る前に犬とじゃれ合って。

せっせとパン

2011-09-09 22:59:56 | 
今週は何だか一日おきにパンをせっせと焼いていた。

一度に7カップ(一カップ250グラム)のパンが一気になくなる!

ほんとこの人たちよく食べるなあ、と感じる今日この頃。

せっせ。

犬はおこぼれをいまかいまかと待ちわびる。

犬 by 三女

何だかどこかの遺跡の壁画を思い出した・・・。(笑)

ジャムにチーズに雪だるま、楽しいパンたち。

芋虫のような電車は次男のお決まりリクエスト。

「律」のようなもの

2011-09-07 21:50:39 | イメージ・ヴィジョン
自身が何に依拠しているのか 観てみる

自分自身 家族 パートナー 友人 仕事 お金 悦楽 所有物 正しさ 評価  


自身の内の温もりを 感じてみる

その温もりから生まれる「律」のようなものがある

思いやりであり 共感であり 平安であり 愛であり 

自身をその「律」に拠るよう戻していく


「律」に拠りつつ

自分自身 家族 パートナー 友人 仕事 お金 悦楽 所有物 正しさ 評価  

に向き合っていく