ギリシャ神話に元々は両性具有だった存在(androgyunous)がある日ゼウスによって二つに分けられたという話があり、それで男と女が惹かれ合うのはかつて一体だった片割れと再び一緒になりたいからだ、という物語がある。(プラトン『饗宴』) 人は元の完全な状態に戻りたくてしょうがないのだ、と。
またユダヤでは、世界は4つのもの(element)、火・風・水・地、 人間・動物・植物・命のないもの全て、 春・夏・秋・冬、 北・南・東・西で作られていて、これら4つのものを超越する5つ目の存在が、男と女の魂が結びついた存在即ち「神」の魂に到達した存在、と言われていたりする。
肉体だけでなく心も魂までも一緒になる、というのは一瞬のことならば結構簡単なことなのかもしれない。ところが長い年月を共に経つつとなると、とてつもないチャレンジとなってくる。
それでも、「神」に近いより完全な存在になるため、とまではいかないとしても、一人では到達できないところへ行くためにこうして共にいるのだ、という前提みたいなものが互いの間にあると、チャレンジ溢れるパートナーとの暮らしも、より生き生きと意味を持ち始めるということはあるのかもしれない。
2人でしか到達できないところがある。目の前の相手は、到達する地点へいくための「障害」なのではなく、到達するために「必要不可欠な存在」なのだという認識。
「問題」をより一体となるための「チャレンジ」と、目の前に現れる「問題」は二人がより完全になるための「好機」だととらえながら。
様々に与えられるチャレンジに向き合い共に越えていく二人。
ふと、一人では絶対に来ることのなかった地点に佇んでいる自分に気がつく日が来るだろう。
もう二人と分かつことのできないほど一体となったパートナーと共に。
またユダヤでは、世界は4つのもの(element)、火・風・水・地、 人間・動物・植物・命のないもの全て、 春・夏・秋・冬、 北・南・東・西で作られていて、これら4つのものを超越する5つ目の存在が、男と女の魂が結びついた存在即ち「神」の魂に到達した存在、と言われていたりする。
肉体だけでなく心も魂までも一緒になる、というのは一瞬のことならば結構簡単なことなのかもしれない。ところが長い年月を共に経つつとなると、とてつもないチャレンジとなってくる。
それでも、「神」に近いより完全な存在になるため、とまではいかないとしても、一人では到達できないところへ行くためにこうして共にいるのだ、という前提みたいなものが互いの間にあると、チャレンジ溢れるパートナーとの暮らしも、より生き生きと意味を持ち始めるということはあるのかもしれない。
2人でしか到達できないところがある。目の前の相手は、到達する地点へいくための「障害」なのではなく、到達するために「必要不可欠な存在」なのだという認識。
「問題」をより一体となるための「チャレンジ」と、目の前に現れる「問題」は二人がより完全になるための「好機」だととらえながら。
様々に与えられるチャレンジに向き合い共に越えていく二人。
ふと、一人では絶対に来ることのなかった地点に佇んでいる自分に気がつく日が来るだろう。
もう二人と分かつことのできないほど一体となったパートナーと共に。