靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

レゴ・リーグ、コース完成!

2011-09-07 21:49:16 | レゴリーグ
コース組み立てキット到着!

子どもたち定期のミーティングまで待っておられず、週末午後集まる。

3時間組み立て続け、


完成!

ロボット、黒い線をセンサーでたどって進むそう。

先週金曜日にはコースの課題も発表された。2分以内にどれだけの課題をこなせるか。


昨夜は早速ロボットのデザイン、プログラミング開始!


プロジェクト(今年の課題は「食の安全性」)のテーマの絞込みも。


楽しくてしょうがないようです。


他者に対しては

2011-09-07 21:48:29 | イメージ・ヴィジョン
「どう反応するかは自分の選択」

というのは自分が自分に向ける言葉


目の前で悲しみ苦しんでいる人に

「それはあなたの選択なんだ、あなたが苦しむと選択しているからなんだ」

と言うのは 

傷を負ってどくどくと血を流している人に

「痛いと思えば痛くないから」

と言っているようなもの


目の前で悲しみ苦しんでいる人がいるのなら

傷の手当てをし 痛みに共感し 寄り添う


他者に対しては 共感し寄り添う

それが他者に対する自分というものの役割

ステート・フェア!

2011-09-06 00:09:58 | 出来事や雑感や (行事)
年に一度のアラスカ州祭り。

アンカレッジから車で1時間ほど走ったパーマー市で。

学校早引き。学校へ迎えにいくと先生たち「あら、楽しんできてね」と。(笑)

農畜産業部門:

アヒル・コンテスト


ベリーコンテスト


ヤギなでて

偶然友人家族にも出会う!

巨大野菜コンテストなども。


乗り物部門:

電車


飛行機






アクロバット部門:

登って登って


「自転車って飛ぶんだね~!」




手品師にも出会ったし、


曇っていた空もいつしか晴れて。



子どもたち大興奮の一日。いい思い出になりました。

小説「砂漠の紅」(仮題)5、推敲中

2011-09-04 04:34:52 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
 次第に冷たくなっていく父の横で、工場長は車を貸さなければよかったと泣いた。父と母は高校を卒業してすぐに工場で働き始めたのだった。結婚して、私が生まれ。

 私は六畳が二部屋と台所があるだけの古い長屋の家で大きくなった。学校から帰って鍵を開けると、湿った畳の匂いが鼻をつく。西日が差し込み始めると、父と母が自転車で戻ってくる。リンリン、リンリン、父は私に帰ったことを伝えるために玄関先で自転車のベルを鳴らした。私は持っていたものを全部放り投げて立ち上がる。夕日を纏った父と母が玄関に立っている。私は二人の顔を見て工場での一日を想像する。機械がうまく動かなかったのかな、帳簿の計算が合わなかったのかもしれない、今日の工場長はとびっきりご機嫌だったんだろうな。父は作業着を着替えるとテレビをつけた。父の頭はスクリーンと台所に立つ母の背中を行き来する。夕焼けに染まった畳の匂いが、鍋から立ち上がる湯気に包まれていく。

 リンリン リンリン 

 アリーがベルを鳴らしている。沈み始めた太陽に照らされた自転車が茶色に見える。もう誰も乗ることのないだろうあの茶色い自転車。

アリーとエリックは少し盛り上がった丘の上で立ち止まり、振り返って手を振る。オレンジ色の蛍光ペンでくっきりとなぞったようなシルエットが二つ並んでいる。私は熱の冷めつつある砂の表面に足を踏み出し、真っ直ぐ歩いて行く。

「もうすぐよ」

 二人の体温をかすかに感じられるほどの距離に来ると、アリーはそう言って水筒を差し出した。温度の保たれた冷たい水を飲みながら、アリーの背後からまぶしい光が漏れているのに気がつく。アリーの後ろを覗き込むようにして見てみる。あっ、と声を上げた。オレンジ色の砂の上に大きくあいた光の穴。

「オアシス」

 アリーは嬉しそうに何度か肯くと、少しはしゃいだ声で言った。

 砂漠中の光という光を集めたオアシス。太陽が地平線に近づくにつれオレンジ色だった空はピンクから水色へそして紫へと変わり始めている。それでもオアシスは不思議なほど輝いたままだ。光というのは太陽からやって来るのではなく地球の奥底から発せられるのじゃないだろうか。太陽が沈んで辺りが闇に包まれてもオアシスは光り続けるているのかもしれない。丘の上に立ち続け夜のオアシスを確かめてみたいという気持ちになっている。

 ふと、胸の奥から湧き上がる感覚に気がつく。それは子供のときに走り回った空き地、雨上がりの砂場、長屋の路地で夕涼みする老婆たち、そんな光景を思い出したときの感覚と似ている。あの『懐かしい』という感覚。なんでだろう? 砂漠に足を踏み入れるのだって、オアシスを見るのだってこの旅が初めてなのに。目を凝らしてようやくとらえられる小さな小さな点のようだったその感覚は、次第に大きな円となっていく。そんな感覚はただの思い過ごしなのだと目をそらしてしまうには、もうあまりにも大きくはっきりとし過ぎている。

私はその『懐かしい』という感覚にとまどいながら、オアシスに向かって歩き始めた。

(一章終わり)





一昨夜の体験に思う

2011-09-01 23:19:21 | 思うに
一昨夜のこと。

いつものようにキャンドルを囲みそれぞれが感謝の言葉、そして子供たちと抱き合いおやすみの挨拶を交わすと、ブランケットの温もりに潜り込んだ。

出張へ行っていた夫も戻って少しリラックス、夜集まったレゴ・リーグもわいわいと楽しかった、小説もほんのちょっとずつだけど進めて、教育関係のリサーチをもっとしたいな、しかし「観る」ということは本当にパワフルだなスカンとぬける、明日は久しぶりの「作って食べる会」ああ楽しみだあ、今日も一日ありがとうございます・・・、そんなことを思いながらいつしか眠る。

顔には笑みを浮かべながら。


深夜にバチリと目が覚める。時計をみると2時少し前。

圧倒的な重さがあたりに立ち込めている。「不安」と言う言葉にはもう入りきらない。「自分の不安」と囲ってしまうのならば、自分というものなど一気にぐしゃりと潰れてしまうような重さ。

以前なら一気に気が狂ってしまっていたかもしれないほどのもう「不安」とも呼べない「感覚」。重い闇。それでも、今ではとても静かな気持ちで眺めている自分がいる。

思う、一体全体これはどういうことなんだろう? 


何人かの知り合いの顔が浮かび、そして見知らぬ人々の姿が次から次へと通り過ぎる。

「観る」ということで私は何かを置き去りにしていたのだろうか? その置き去りにしてきたものが忘れ去られた反動でとてつもない力となって溢れ出しているのだろうか? それとも「観る」というトゥールを得たことによって溶かしていくためのより大きな課題がやってきているのだろうか? 今まで気がつかなかった奥深くに隠されたトラウマのようなものとか?

やがて圧倒的な温もりがやってくる。その温もりの光に包まれ、圧倒的な闇は小さな点に集約され温もりの中心に収まっていく。闇の点は消えないまま、それでも圧倒的な温もりに包まれている。


朝目が覚めると、少し重い。しばらく身体を動かし、まだ半分寝ぼけたような子供たちと話しているうちに、温もりが湧き起こってくる、その温もりは以前に増して強く、その日何度か涙が流れる、何だか嬉しくてありがたくて、といったような涙。



「隙」という言葉が浮かぶ。隙のない武士、というようなイメージが。

光と闇のバランスが崩れると、「隙」ができる。

私はあの「観る」ことで闇を消し去ったと、光だけみてうっとりと隙だらけになっていたのかもしれない。


「観る」ということは自身を「使いものにする」ためにあるのかもしれない。

まずは不安や闇に自身が飲み込まれないよう整え、自身を闇と対峙させておくために。



闇はなくなりはしない。多分、世界中に苦しむ人々がいる限り。

思考の外

2011-09-01 23:11:32 | 思うに
「不安」は思考にはまることからくる 思考の「外」が抜け落ちた状態から

「外」に触れることで 思考は恣意的なものだと気がつく 選択できるものだと


そのはまっている思考を違う思考で置き換えることは 

そのはまっている思考の「外の思考」にいる状態に過ぎない


思考の外とは 圧倒的な静であり 平安であり 無限であり 肉体の死即ち個の死であり

肉体をもって生きるとは思考することだ 思考は消えない 肉体が死なない限り


ただ 肉体を持ちながら即ち思考しながら 肉体を超えた存在即ち思考の外と共にあることはできる

「観る」はそこへ至るトゥールの一つに過ぎない


では 思考の外に触れることに どんな意味があるのか? 

より必要な思考を選択していけるようになる ということなのではないだろうか 

サーモンパイ!

2011-09-01 23:09:22 | 
夏も終わり、ちょっと切ないながらもほっと一息、久しぶりの「作って食べる会」!

友人提供この夏獲れたてサーモン!


野菜調味料につけ込み、


たまねぎ、ガーリック、マッシュポテト、クリームと混ぜる。

パイ生地広げ、


ひろげてひろげて、


あなあけてあなあけて、


出来上がり!

あまった具をパンにのせても。

いけました。サーモン料理レパートリー増えた!


今年からキンダーの子も多く子供年齢少し低く。

ここにこれから産まれる友人たちの赤ちゃんが加わるのも楽しみ。

楽しく美味しいひと時に感謝。

(よかったらこちら「イマココ煮」もどうぞ。複数人で続けるブログです。「カイ」で書いてます。)