何度も戻る言葉に、マザーテレサの「The Final Analysis」の最後の部分がある。
“You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway”
「お分かりのように最終的に分析すると、それはあなたと神との間でのことなのです。
決してあなたと彼らとの間でのことではなかったのです。」
この「神」は「自身の中心」「内の無限」という言葉に置き換えると自分にはしっくりとくる。自身の奥にある自身という枠組みを越えた存在。
修道院を飛び出し、嵐のような否定的反応にあいながらも、一心に活動し続けることで結果的に多くの人々の心に影響を与え新しい流れを生むことになったマザーテレサ。マザーテレサの心の奥底には常に「私と彼らとの間」を超えた「私と神との約束」のようなものがあったのだろう。「私と彼ら」を超えたところに拠るからこそ、現状を変えていくこともできるのかもしれない。
こんなマザーテレサの言葉もある。
"Do not wait for leaders; do it alone, person to person."
「リーダーを待たないで。自ら一人でやってみなさい。」
リーダーは一人一人の内に。
「The Final Analysis」は元々「The Paradoxical Commandments」 としてKent M. Keithによって書かれたものを、マザーテレサが最後の部分を書き加えるなどして、カルカッタの「子供の家」の壁に貼ったもの。
以下「The Final Analysis」全文。
People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
...Forgive them anyway!
If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives;
...Be kind anyway!
If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
...Succeed anyway!
If you are honest and frank, people may cheat you;
...Be honest and frank anyway!
What you spend years building, someone could destroy overnight;
...Build anyway!
If you find serenity and happiness, they may be jealous;
...Be happy anyway!
The good you do today, people will often forget tomorrow;
...Do good anyway!
Give the world the best you have, and it may never be enough;
...Give the world the best you've got anyway!
You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway.
“You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway”
「お分かりのように最終的に分析すると、それはあなたと神との間でのことなのです。
決してあなたと彼らとの間でのことではなかったのです。」
この「神」は「自身の中心」「内の無限」という言葉に置き換えると自分にはしっくりとくる。自身の奥にある自身という枠組みを越えた存在。
修道院を飛び出し、嵐のような否定的反応にあいながらも、一心に活動し続けることで結果的に多くの人々の心に影響を与え新しい流れを生むことになったマザーテレサ。マザーテレサの心の奥底には常に「私と彼らとの間」を超えた「私と神との約束」のようなものがあったのだろう。「私と彼ら」を超えたところに拠るからこそ、現状を変えていくこともできるのかもしれない。
こんなマザーテレサの言葉もある。
"Do not wait for leaders; do it alone, person to person."
「リーダーを待たないで。自ら一人でやってみなさい。」
リーダーは一人一人の内に。
「The Final Analysis」は元々「The Paradoxical Commandments」 としてKent M. Keithによって書かれたものを、マザーテレサが最後の部分を書き加えるなどして、カルカッタの「子供の家」の壁に貼ったもの。
以下「The Final Analysis」全文。
People are often unreasonable, illogical, and self-centered;
...Forgive them anyway!
If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives;
...Be kind anyway!
If you are successful, you will win some false friends and some true enemies;
...Succeed anyway!
If you are honest and frank, people may cheat you;
...Be honest and frank anyway!
What you spend years building, someone could destroy overnight;
...Build anyway!
If you find serenity and happiness, they may be jealous;
...Be happy anyway!
The good you do today, people will often forget tomorrow;
...Do good anyway!
Give the world the best you have, and it may never be enough;
...Give the world the best you've got anyway!
You see, in the final analysis, it is between you and God;
It was never between you and them anyway.
リーダーは一人一人の内に。~その通りだと思います!
人に頼らず、ひとの評価に振り回されず、自分の柱に従った心構え、行動指針、みたいに思いました。まるで、大自然が、人間の小さな営みなどお構いなしにふるまうみたいに。不本意な結果をもたらすこともあるかもしれないし、苦しみを伴うこともあるかもしれないけど、その「不本意さ」「苦しみ」は一つの評価であって、自身の規範・柱に対してくだされた評価じゃない、というような感じを受けました。
簡単にいうと、主婦が家族が気付かなくても、きちんと掃除をするとか、料理の下ごしらえを丁寧にするとか、そういうことも含まれるのかな、なんて思いました。
気付かぬうちに人は、原点から遠い場所に来ていて、その時にまた原点に戻ることの大切さ忘れないように、ですね。
>人に頼らず、ひとの評価に振り回されず、自分の柱に従った心構え、行動指針、
まさしくだね。内の中心にある柱のようなものによって外に向き合っていく。評価なんてアップダウンがあるもので、本当に目指しているものはその人本人にしか見えないということはあるのだと思うよ。皆自分の範囲から見てるからね。それらが合わさっての創造もあるわけだけれど。それにはまず中心によって立たないことには。誉められても貶されても振り回されず、中心に戻り中心と共に進んでいく。的を得た批判は進む道を改善するために生かしつつ。
>簡単にいうと、主婦が家族が気付かなくても、きちんと掃除をするとか、料理の下ごしらえを丁寧にするとか、そういうことも含まれるのかな、なんて思いました。
うんうん、普段の生活でいうとそうだよね。分かりやすく言ってくれてありがとう。これらは私にとってむちゃくちゃ難しいことです。(笑) 家人に対しては、すぐにこれやったあれやったと声を大にしてアピールしたくなる。何で気づかないと首根っこつかんで凝視させたり。(笑) ホントまだまだです。こうして言葉にするだけでも最初の一歩になると願いつつ。
テッサーさんの言葉に整理されます。いつもありがとう。感謝を込めて。
誰でもができる、そして誰でもがすることに大きな意味があるのだと思ってます。
>気付かぬうちに人は、原点から遠い場所に来ていて、その時にまた原点に戻ることの大切さ忘れないように、
本当ですね。この「原点ー自身の中心との約束」のようなものにフォーカスしつつ、それてしまったのなら常に戻りつつ、進んでいきたいです。
ありがとうございます。インドのあの暑さ匂いを思い出してます。Have a wonderful week!