長男妊娠7ヶ月のときアラスカへ移住した。
一人で降り立った空港、久しぶりに会った夫にとって初めて見る私の妊娠姿だった(結婚してすぐ2年間の別居、時々アラスカ日本を互いに行き来していた)。
右も左も分からない二人、出産に向けて準備。病院の手続きを済ませ、マタニティクラスへ出かけ、呼吸法の練習をし、本を何度も読み返して。
自然志向を決めた私は、出産の際医師や看護婦に配る手紙のようなものも用意した。「極力自然に。極力薬剤を使わず。会陰切開もなしで。母乳をすぐにあげる。産後母子ずっと一緒に。」そんなことを書き綴って。
頭で何度もシュミレーション、痛みを呼吸法でうまく逃し、ゆったりと生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて感動する自分を想像しながら。新しい命の誕生のため、どんな痛みだって大丈夫だ。大昔から果てしない数の女性が乗り越えてきたこと。
夜中に破水、なかなか強い陣痛が来ず朝になると陣痛促進剤を入れ始める。痛みが増していく。午後になって促進剤の量を増やす。破水から24時間以内に生む必要があると、感染などを防ぐためにと。
「ヒーヒーハーハー」必死の呼吸法も勢いを増し、過呼吸を心配する看護婦に止められる。リラックスも瞑想も色々習った姿勢も、全部吹き飛んだ。身体が裂ける。
「エピデラル(無痛分娩に使う麻酔)~!」「もうどうでもいいから帝王切開してくれ~!」そう叫んでいた。この痛みから逃れられるなら何だってする。付き添う夫の腕からは私の爪がめりこんで血が流れている。
多分「自然志向の手紙」を配ったせいか、エピデラルはやってこず・・・。夜8時過ぎ、子宮口は全開ではないものの赤ちゃんがすぐそこまで下がっているということでいきみ始める。「会陰切開するとすぐに出てくるよ、どうする?」そう聞く医師に「お願いします」即答。
破水から21時間。無事生まれた長男をぎこちなく抱く。それまで感じたことのない気持ちがじわじわとこみ上げる。これが私の中にあった新しい命。とまどいと奥の底から湧き出る愛おしさと。
「あれは一体誰だったのだろう?あの病室で取り乱し叫んでいたのは?命の誕生などそっちのけで。」自分のアイデンティーティーのようなものを回復するのにしばらく時間がかかった。頭だけで作り上げていた私と現実の私。認めたくない自分と向き合う。身体の痛みより心の痛みを癒していくほうが時間かかったように思う。この出産の体験がどれほど私を謙虚にしてくれたか。
普段自然とかけ離れたライフスタイルをおくりながら、お産だけ自然に、というのも随分と無理があるのかもしれない、そう思った。
自分の弱さに向き合い、普段の生活をより意識し始めると同時に、もっと理想的なお産がどうしたら可能になるのだろう、そう考え始めた。
促進剤で急激に起こす人工的な陣痛は母体にかなり無理があるのではないか。時間をかけて自然な陣痛を待つことでその母体に合った速度でお産が進むのではないだろうか。日本では破水したとしても24時間以内にということはあまり聞かない。
2人目からは助産院や助産婦付き添いの自宅出産も考えたのだけれど、「破水後24時間」は同じ決まりのようで、微弱陣痛が続き結局病院に回され間に合わず帝王切開になったというケースを何件か聞いた。強い陣痛が中々来なかった自分には踏み切れず、結局2人目からも病院で産むことに。促進剤を入れることになったら「エピデラル」を入れるという方法をとった。
下の子の出産になるほどより自然に強い陣痛がつくようになっていった。促進剤も徐々に出産間近に少しという程度に。そして5人目にして初めて促進剤なしで産むことができた。4回の出産を経て子宮口が開きやすくなっているということもあるだろうけれど、下の子の妊娠生活ほど動き回る毎日、ここアラスカの自然の中で「出産直前まで畑仕事」というような昔のライフスタイルに少し近づいていったことも大きいのじゃないかと思っている。
命の始り、親としての人生の始り。どんな出産でもかけがえのない新しい命の誕生ということに変わりはない。その大前提の下、より多くの人々がそれぞれ描く「理想の出産」に一歩でも近づけるよう願っている。
一人で降り立った空港、久しぶりに会った夫にとって初めて見る私の妊娠姿だった(結婚してすぐ2年間の別居、時々アラスカ日本を互いに行き来していた)。
右も左も分からない二人、出産に向けて準備。病院の手続きを済ませ、マタニティクラスへ出かけ、呼吸法の練習をし、本を何度も読み返して。
自然志向を決めた私は、出産の際医師や看護婦に配る手紙のようなものも用意した。「極力自然に。極力薬剤を使わず。会陰切開もなしで。母乳をすぐにあげる。産後母子ずっと一緒に。」そんなことを書き綴って。
頭で何度もシュミレーション、痛みを呼吸法でうまく逃し、ゆったりと生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて感動する自分を想像しながら。新しい命の誕生のため、どんな痛みだって大丈夫だ。大昔から果てしない数の女性が乗り越えてきたこと。
夜中に破水、なかなか強い陣痛が来ず朝になると陣痛促進剤を入れ始める。痛みが増していく。午後になって促進剤の量を増やす。破水から24時間以内に生む必要があると、感染などを防ぐためにと。
「ヒーヒーハーハー」必死の呼吸法も勢いを増し、過呼吸を心配する看護婦に止められる。リラックスも瞑想も色々習った姿勢も、全部吹き飛んだ。身体が裂ける。
「エピデラル(無痛分娩に使う麻酔)~!」「もうどうでもいいから帝王切開してくれ~!」そう叫んでいた。この痛みから逃れられるなら何だってする。付き添う夫の腕からは私の爪がめりこんで血が流れている。
多分「自然志向の手紙」を配ったせいか、エピデラルはやってこず・・・。夜8時過ぎ、子宮口は全開ではないものの赤ちゃんがすぐそこまで下がっているということでいきみ始める。「会陰切開するとすぐに出てくるよ、どうする?」そう聞く医師に「お願いします」即答。
破水から21時間。無事生まれた長男をぎこちなく抱く。それまで感じたことのない気持ちがじわじわとこみ上げる。これが私の中にあった新しい命。とまどいと奥の底から湧き出る愛おしさと。
「あれは一体誰だったのだろう?あの病室で取り乱し叫んでいたのは?命の誕生などそっちのけで。」自分のアイデンティーティーのようなものを回復するのにしばらく時間がかかった。頭だけで作り上げていた私と現実の私。認めたくない自分と向き合う。身体の痛みより心の痛みを癒していくほうが時間かかったように思う。この出産の体験がどれほど私を謙虚にしてくれたか。
普段自然とかけ離れたライフスタイルをおくりながら、お産だけ自然に、というのも随分と無理があるのかもしれない、そう思った。
自分の弱さに向き合い、普段の生活をより意識し始めると同時に、もっと理想的なお産がどうしたら可能になるのだろう、そう考え始めた。
促進剤で急激に起こす人工的な陣痛は母体にかなり無理があるのではないか。時間をかけて自然な陣痛を待つことでその母体に合った速度でお産が進むのではないだろうか。日本では破水したとしても24時間以内にということはあまり聞かない。
2人目からは助産院や助産婦付き添いの自宅出産も考えたのだけれど、「破水後24時間」は同じ決まりのようで、微弱陣痛が続き結局病院に回され間に合わず帝王切開になったというケースを何件か聞いた。強い陣痛が中々来なかった自分には踏み切れず、結局2人目からも病院で産むことに。促進剤を入れることになったら「エピデラル」を入れるという方法をとった。
下の子の出産になるほどより自然に強い陣痛がつくようになっていった。促進剤も徐々に出産間近に少しという程度に。そして5人目にして初めて促進剤なしで産むことができた。4回の出産を経て子宮口が開きやすくなっているということもあるだろうけれど、下の子の妊娠生活ほど動き回る毎日、ここアラスカの自然の中で「出産直前まで畑仕事」というような昔のライフスタイルに少し近づいていったことも大きいのじゃないかと思っている。
命の始り、親としての人生の始り。どんな出産でもかけがえのない新しい命の誕生ということに変わりはない。その大前提の下、より多くの人々がそれぞれ描く「理想の出産」に一歩でも近づけるよう願っている。